2015/12/06

そこには人がいたということを僕たちは知っている:『ブルーシート』を観てきました




詩のように紡ぎだされる台詞。舞台で広がる芝居は、現実の世界のような、フィクションの世界のような。そんな感覚を抱きながら、生きること、死ぬこと、個という存在、社会という見えないものを説いた作品だった。

12月5日午前11時、フェスティバル/トーキョー15で鑑賞した飴屋法水さんの『ブルーシート』。仮設校舎のグランドを舞台にいわき総合高校の生徒10人で2013年に上演した作品の再演。

初演を演じた生徒たちも高校を卒業したり、新たな出演者を通じて「生きること」と向き合いながら、もがきながら、そこには当たり前の日常のようなやりとりが舞台で行われる。演技とも、即興とも、素の様子、それらが交じり合った、ありのままの美しい人の姿がそこにはあった。

ときに社会や大きな出来事があったとき、そこにいる一人の「個」への視線が抜け出ていくことがある。10人いれば10人それぞれの人生があり、10人それぞれに出来事をきっかけに影響しあっている。そうしたことを僕たちはつい忘れがちである。

「人は、見たものを、覚えていることができると思う。人は、見たものを、忘れることができると思う。」覚えておくことも忘れることもできるからこそ、人は成長し、前へと進むことができる。けれども、どんなに忘れようとしても、そこであったことは消すことはできない。

僕たちで人であるかぎり、僕たちが人であることをやめないかぎり、人と向き合い、人とともに生きる。時間も、場所も、考えも違う人であっても、そこには必ず人がいるということを僕たちは忘れてはいけない。

晴れ渡る冬の空の下で行われた『ブルーシート』。次見たときには、また違った光景と思考が巡りあうのだろう。それまで『ブルーシート』の戯曲を手元に置いて時折読みなおしてみよう。




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