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2015/12/31

2015年の振り返りともろもろ報告など

今年一年は、個人的に山あり谷ありな一年だったかもしれません。2014年の年末にそれまで長く住んでいた目黒から東京は東にある清澄白河に引っ越し、生活スタイルも仕事のスタイルも少しづつ変化した一年でした。個人としては6月に『ICTことば辞典』を出版したり、色んな媒体での仕事や企画をご一緒する機会も多い中、それまでとは違ったフィールドに足を踏み入れながら、色々ともがいていた時期でもありました。日々刻々と変わる状況や周囲の環境に日々戸惑いながら、それまでとは違ったあり方を模索していくなかで失敗や経験をしたなかで、色んな気づきや自分のできていることとできていないことも理解することができました。

今年一年は周囲にきちんと報告できていないこともあったので、改めて以下にまとめてみました。

自分の会社をつくりました
2015年の5月1日に株式会社を設立しました。社名は株式会社トーキョーベータ(英:TOKYObeta Ltd.)。不動前で友人らとシェアハウスをしてたときにつけた名前で、「編集」という手法をもとに、都市や社会を"TOKYO”という一つのメタファーとしながら、都市や社会にあるさまざま空間や地域、コミュニティ、メディアを未来に向けてアップデートしていく(永遠のβ版)ための企画・編集・デザインをしていくクリエイティブ集団という意味で名づけました。これまでの歴史や文化、価値観や常識を受け入れつつ、次へとつながるための環境を構築するために柔軟な発想と想像力を働かせ、行動していくことが大切です。もちろん、コミュニティのあるべき姿は一つではありませんし、ゴールがあるものではありません。だからこそ、永遠のプロトタイプであることを意識し、成熟した環境構築を実践していければと考えています。

当たり前かもしれませんが、社会はさまざま要因が複雑に絡み合いながら動いています。そこには、テクノロジーもデザインも、アートも、建築も、まちづくりも、政治もすべてが関わっています。そうしたさまざま領域を横断しながら、次世代に向けた新たなプロトタイプづくりをしていくためのプロジェクトをつくっていければと思います。今年は個人事業と会社の両方をやりくりしながら次第に法人での活動にシフトしていく移行期でもありました。会社のサイトとかもきちんと作っていなくて、あまり表立っての活動はしてこなかったのですが、すでに広告代理店や自治体の方々と法人名義でお仕事をさせていただいています。また、法人としても新しい挑戦をしようと今年の春から冬まで色々と仕込んでいた時期でもありました。体制づくりや環境づくりのためにじっくりと時間をかけて形にしていく大きな過程とさまざま経験をさせてもらった一年だったと思います。

これまでさまざまな形でご一緒してきた方々と2016年からはもっとオモシロイことを仕掛けていけるような場をつくれるよう準備をしていますので、2016年も引き続きよろしくお願いいたします。また、ぜひなにかオモシロイ企画やプロジェクトがあればぜひお声がけください。これまで以上にいろんなことができるような状況をつくっていければと思います。

NPO法人インビジブルを設立し、理事として活動しています
2015年7月に、林曉甫と菊池宏子と一緒に、NPO法人インビジブルを設立しました。アートを軸とした企画運営やアートプロジェクトの支援や研究、プロトタイプづくりを行う団体です。もともと別府のアートプロジェクトを推進してきた林とは、彼の弟の林賢司と昔一緒にプロジェクトをしたことがきっかけで、同世代でアートを通じた地域の活動をしている人がいる、と紹介されたことから、一緒に遊んだり仕事をしたりする中でした。その林からNPOを作ろうとしてるから一緒にやらないか、と今年のはじめに相談され、その際に菊池を紹介されました。菊池はもともとボストンで20年以上アートを軸にコミュニティづくりなどに取り組んでいた人物で、僕との色んな共通点や社会を見る視点などで話が弾んだのが最初の出会いでした。そこから、いまの社会に必要な思想や価値観をどのように実践していくか、プロトタイプづくりをしていくかなどを話すなかで、三者それぞれの微妙に違う経験や考えをもとに、よいプロジェクトがつくれるのではと考えています。

すでに、NPOとしては鳥取藝住祭や関西広域連合でのAIRシンポジウムの企画、アーツカウンシル東京からサポートをしてもらいながら行っている、文化創造拠点の形成としての活動として、六本木のけやき坂にある宮島達男さんのパブリックアート「Counter Void」の再点灯を行うためのアートプロジェクト「リライトプロジェクト」を運営しています。今年の4月に行われた六本木アートナイトでも出店者として参加し、ワークショップを行ったり、再点灯に向けたプロジェクトを推進するための「リライト コミッティ」を運営し、集まったさまざまバックボーンや価値観をもっている人たちとともに、作品の再点灯だけでなく、作品自体が持っている「生と死」というテーマや東日本大震災をきっかけに消灯させた作品をどう扱っていくかなどを議論しながらアクションを進めています。

アートを軸としながら、僕自身が考える市民参加型社会のあり方や、人の意識のアップデートと社会構造の変革に向けた一つの大きなプロジェクトとして日々NPOでの活動を通じて刺激や発見をもらっています。これも、今年一年での一つの取り組みであると同時に、いままでとは違った立場や考えの人たちと出会う場として、自分としても一歩違うステージで活動するための挑戦だと考えています。

NPO法人日本独立作家同盟の理事として活動しています
もう一つ、今年の3月に設立したNPO法人日本独立作家同盟の理事としても活動しています。日本独立作家同盟は、インディーズの作家たちを支援する団体です。私自身のメディア業界で活動する一人として、メディア業界全体の変化を大きく感じる日々を過ごしています。出版業界のあり方や作家自身の作品の作り方や発表の仕方、作品というあり方そのものやそれを届けるデリバリーの仕方、紙の書籍や雑誌だけでなく電子書籍などパッケージのあり方、ライターや作家、メディアそのもののビジネスモデルの転換など、考えることは山積みです。そのなかで、実験や実践を自分たちで行っていくなかで、インディーズ作家を支援していく団体とつくろうと、代表の鷹野さんが活動されている取り組みを応援する形を通じて、自分自身としてもなんか実践していければと思い、団体の理事として活動をしています。

今年設立したばかりですが、いまの出版やメディア業界、もっといえば書店など本を扱うあらゆる人たちにとって新しい実践ができる場になればと個人的には考えています。やはり、作品やコンテンツを創造する人がいなければ僕たちは文化を楽しむことができないわけで。小説やマンガなどのありとあらゆる種類、そしてウェブや雑誌や書籍のあり方そのものに真剣に目を向けながら、新たな文化を作り出すために何ができるかを模索していく一つの方法として活動していければと思います。

Open Knowledge Foundation JapanやCode for Japanといったオープンデータやシビックテックに関するの活動も引き続きやっています関われているもの関われていないものなどありましたが2016年にはこれまでにお世話になった方々とも仕事やプロジェクトができる種が生まれた一年でもありましたマチノコトもおかげさまで色んな自治体や企業からの問いかけも多く今年は夏にゴミ拾いのキャンペーンも行いました2016年にはいままで以上にNPOとしてやメディアとしての新しい挑戦もしていく予定です

2016年は、まずはじめは、いままさに執筆のラストスパートをしている書籍が2月か3月あたりに出る予定です。昨今の地域づくりのなかでうまくビジネスとして成り立たせるための仕組みなどを事例としてまとめた本です。これまでに私自身も各地の地域をみてきたなかで感じたものや、これからまさに必要となる考え方が少しは整理されたものになっていると思います。「マチノコト」をこれまでやってきたなかで思うのは、いま言われている「地方創生」という言葉だけで終わるのではなく、きちんとその地域に住む人たち自身が自分たちでどう地域を捉え、考え、そして実践していくかを真剣に向きあわなければいけない時代といます。それは、ただ箱物を作っておわりでもなく、これまでの過去のレガシーを踏襲するのではなく、レガシーを現代に再構築したり、いままでにない新しい挑戦をしたりすることが求められている時代でもあります。そのためには、これまでの常識やしがらみから少し客観的な視点をもち、必要なリソースや人材を引っ張ってくるための情熱と仕組みをつくる冷静な目が必要です。そのために、これまでではつながらなかった他分野の人たちと出会い、交流するなかからヒントが生まれてくるかもしれません。もちろん、そこには痛みもあるかもしれません。領域が違えば価値観も、ときには思考回路や言語も違ったりします。それは、円滑にコトが運ぶことは少なくて、衝突や摩擦が起きることは必然です。しかし、その手間をかけることによって、いままでとは違った何かが生まれてきます。その手間を惜しむこと無く、新たな摩擦を生み出すための場をどうつくっていくか。それが、未来への新たな一歩だと考えています。そんなことを思いながら、2016年以降はこれまで以上に色んな企画やプロジェクトを全国各地でつくっていきたいなと考えています。

あと、2013年の年末に書いた「始める一歩と終わるデザイン」で言及した「終わりのデザイン」のことが自分的には個人的にも追い駆けたいテーマになっています。個人的な「死」や「老い」だけでなく、社会における「死」や「老い」を受け入れる価値観や思想、そして個人や法人含めたありとあらゆるものに対しての引き際を見極めながら、本質的な意味でモノゴトを継承させていくための価値体系をどうつくるか、といったことです。人も会社もNPOもプロジェクトも、すべては始まりがあれば終わりがあります。その終わりのタイミングを見極め、うまく次へとバトンを渡すためにできることはなにか。あらゆるものが老いることがインストールされているからこそ、新陳代謝やイノベーションも起きるはず。利己で考えるのではなく、社会全体における問題として捉えたときのあり方を見つめなおすためのきっかけとして新たな価値観としての「死」や「老い」、「終わりのデザイン」を問題提起や問いかけていければ。

また、会社を設立したこともあまり周囲にきちんと報告できていなかったのですが、2016年には法人として本格的な事業や実践をしていく予定です。そのための準備を今年1年間で色々とやってきました。どういうことをしようとするのかも、これから色々と話をしていければ。もちろん、バイトやインターンなども常に募集しています。すでに12月の中旬から海外の大学でジャーナリズムを勉強していた子をインターンとして受け入れいて、リサーチやらをお手伝いしてもらっています。日本にまだあまりない概念や取り組みを研究していますので、色々と形が見えてきたらみなさんにもなにかしらの形で発表したいと思います。

今後は、編集を軸にさまざまなクリエイティブをみなさんに一緒につくっていく楽しみをもっています。色んな方々と仕事を通じてお世話になるかと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。














2015/12/06

そこには人がいたということを僕たちは知っている:『ブルーシート』を観てきました




詩のように紡ぎだされる台詞。舞台で広がる芝居は、現実の世界のような、フィクションの世界のような。そんな感覚を抱きながら、生きること、死ぬこと、個という存在、社会という見えないものを説いた作品だった。

12月5日午前11時、フェスティバル/トーキョー15で鑑賞した飴屋法水さんの『ブルーシート』。仮設校舎のグランドを舞台にいわき総合高校の生徒10人で2013年に上演した作品の再演。

初演を演じた生徒たちも高校を卒業したり、新たな出演者を通じて「生きること」と向き合いながら、もがきながら、そこには当たり前の日常のようなやりとりが舞台で行われる。演技とも、即興とも、素の様子、それらが交じり合った、ありのままの美しい人の姿がそこにはあった。

ときに社会や大きな出来事があったとき、そこにいる一人の「個」への視線が抜け出ていくことがある。10人いれば10人それぞれの人生があり、10人それぞれに出来事をきっかけに影響しあっている。そうしたことを僕たちはつい忘れがちである。

「人は、見たものを、覚えていることができると思う。人は、見たものを、忘れることができると思う。」覚えておくことも忘れることもできるからこそ、人は成長し、前へと進むことができる。けれども、どんなに忘れようとしても、そこであったことは消すことはできない。

僕たちで人であるかぎり、僕たちが人であることをやめないかぎり、人と向き合い、人とともに生きる。時間も、場所も、考えも違う人であっても、そこには必ず人がいるということを僕たちは忘れてはいけない。

晴れ渡る冬の空の下で行われた『ブルーシート』。次見たときには、また違った光景と思考が巡りあうのだろう。それまで『ブルーシート』の戯曲を手元に置いて時折読みなおしてみよう。




2015/12/03

立教大学でゲスト講師をしてきました


先日11月17日に、いま一緒にNPO法人インビジブルを運営している菊池宏子さんにお呼ばれして、立教大学のコミュニティ福祉学部の「キャリア形成論」という授業にゲスト講師で学生さんたちにお話させていただいた。

授業の枠自体は3限と5限の二回でしたが、3限のほうは100人以上の大講義室での授業、5限の授業では20人くらいのゼミ形式と、同じ「キャリア形成論」の名前がついた授業でしたが、学生さんたちの様子も違って面白かったです。

キャリア形成論って授業ですが、内容としては、ゲストで30分ほどキャリアやらいまの仕事に至るまでも紆余曲折な道を共有して、学生さんたちに多様な生き方を通じて社会と向き合うことの面白さや楽しさを知ってもらうこと。その後、ゲストが取り組んでいるテーマや業界について考えて、発表させたりグループワークをしてもらう二部構成な内容で僕のときには展開されました。(ゲストによっても内容を変えているとか)

キャリアの話でいえば、たしかに公務員から退職して大学生になり、大学在学中にフリーで活動し、いまや会社やらNPOやらの活動もしたりと、一般的に会社に勤めてとは違った生き方をしているかもしれない。やっている仕事自体の幅はたしかにあるけど、その根底にあるのは自分自身と世の中との向き合い方で、それに必要なスキルや能力を自分から能動的に学んだり習得しようと努力し続けることが重要だと僕は思う。色々とやってきた内容はそこそこに、僕自身が普段考えていることや、仕事を通じて目指したい世界観などについて学生さんたちに話をさせてもらった。もちろん、全部をそんな短時間で理解するのは難しいと思うけど、なにか気づきや生き方の参考になれば。

で、キャリアの話はそこそこに、授業の後半では講師の菊池さんと話した結果、ちょうど大学生たちにも関わりがある「18歳選挙権」について、学生さんたちに率直な意見をもらう場に。3現の授業では学生さんたちにまずは4,5人くらいのグループワークをしてもらい、賛成と反対の意見を言うワークをし、いくつかのグループは代表者がグループで議論されたことを発表してもらいました。次に、数人の学生さんを壇上にあげ、僕がモデレーターをしながら、登壇したゲスト学生たちに質問や意見を振って、話してもらうトークセッションスタイルに。

議論して、「地元といま住んでいるところでの住民票による投票権の話」や、「いつからが大人になるのか」という大人の議論など、色んな話題になり、学生さんたちも普段なかなか考えないような話をしたかもしれません。

同時に、自分たち自身の身の回りのことだけでなく、社会全体に対する想像力をいかに養うか、自分だけでなく公益性やら社会性を考えるために必要なものごとのロジックや道理を理解するためにもっと日々色んなことを経験したり考えたりしてもらいたいな、と思いながら授業をさせてもらいました。

3限のときの様子

5限では、人数はゼミ形式な感じだったので、3限と同じくキャリアの話を前半にしつつ、後半では18歳選挙権に関して、肯定派と反対派に即席で分かれてもらい、ディベートをやってもらうことに。これも一つの想像力を養ういい訓練になったと思う。もちろん、普段なかなか考えないテーマなので、論点の稚拙さとか議題の形成はやや弱い部分はあるけど、それよりもまずは「考える」ことが大事。考えて、行動し、そしてフィールドバックをもとにまた考える。つねに思考し続け、自分が直接は体験していないことも想像しようとする努力をすること。そこから将来の仕事とか生き方とかにつながるはず。

5現のときの様子
これまでにも、東海大学とか早稲田の大学院ジャーナリズムコースとか、色んなところで授業やらゲスト講師をさせてもらったけど、やはり、一回の授業で教えられることなんてたかがしれてるし、多くがスキルやらキャリアやらの話で終わってしまう。そうではなく、学生とともに時間を過ごし、一緒に考え、学びながらなにかをつくりあげるような、そんな経験をしていきたい。

それなりに自分自身も色んな経験をしてきて、自分の成長や学びもさることながら、同時に次の世代に向けても同時並行で教え学び合う関係を作っていきたいと思う。大学でゲスト講師として登壇するたびに、非常勤でもいいので大学で授業とかゼミを持ってみたいと思う。

これからも、大学の講師やゲストは、できるだけ積極的に受けていきたい。当たり前かもしれないけど、僕達の世代は今以上に色んなものを学び、考え、想像し、そして他者とともに仕事をしていきながら、世の中を面白くしていかないといけない。大学という色んなものを経験したり見聞したりできる時代に、大人がどんな学びや刺激の環境が提供できるか。自分の成長と他者の成長を喜びながら、ともに考えともにつくる学びの場をこれからも提供していきたい。




オリジンとコピーはどっちがおいしいか

先日、とある料理発祥のお店に食べに行った。値段もそこそこするしお店もそれなりに混んでて繁盛している様子だった。

注文して料理を待つこと数分。料理が到着し食べてみると。うん。たしかに、悪くない。けれども、味は普通、というと申し訳ないが、とりわけて美味しいかというとそうでもない。別に自分の舌が肥えていないとかそういったものでもなく、まぁ、たしかに味は悪く無い、と思うレベル。

よく、色んな地域に行く度に「◯◯発祥」とかを売りにしているところも多いし、東京でも色んな料理の発祥のお店があったりする。えてしてそうしたお店は非常に混んでいるけど、味の美味いかどうかはまた判断が別れるところ。けれども、観光ガイド本などを見るとだいたいがそうした発祥のお店がまとめられてるし、美味しい場所、一度食べるべき、などと味や料理への評価や期待値が高いことも多い。

ここで、「発祥=オリジン」というものを考えてみる。発祥とは、あるモノやコトが生まれたことを指し、「発祥の地」とか、「◯◯発祥のお店」と言われることが多い。ルーツとか原点、元祖、由来とか色んな表現をされることがある。

発祥とはいわばゼロイチ、無から有を産んだ場所であり、かつ、それまで世の中に無かったものをうみだしている。それは、言い換えればそのモノの時間軸がそこから生まれたとも言える。カレーライスはカレーライスとして世に生まれてからの歴史しかないし、インターネットはインターネットとして世に誕生するまではインターネットの歴史はないわけで。

そうしたときに、発祥というのはその新しい時間軸を生み出したことにこそ価値があるとともに、それが現在まで続いていることにおいて、世界で最も長い時間軸を抱えているものだといえる。で、その発祥をもとに例えば修行をしたり見よう見まねでコピーをしたもの、分家、分社したものによっていまの豊かな食文化や製品が生み出された。

発祥のものからヒントを得てその後に続く人たちは、どうにか自分らしいものや顧客を満足しようと独自の進化や改良を加える。それによってさまざま派生が生まれ、ベースや料理名は同じでも、ちょっとした手間や隠し味、調理方法の工夫などが行われる。

さて、発祥のところは自分たちによって創造したものを軸にさまざま改良や工夫を行うだろう。ただ、新しいものを生み出したことによる体外的な評価は、特にそれ自体を維持するための保守的な力が働き、時代のニーズとは違った愛でるものとして存在することもしばしおこる。保守的な力はときにそれ自体を維持するためのコストはブランディングによって、料理であれば味というそのものとは違った評価係数が働きだす。伝統とか歴史というにもそこにはいってくる。もちろん、その発祥のモノを生み出したという功績は大きい。実際に、どのように考案し、どのように生み出し、そして現在まで続いているか、という重層化された時間の重みがある。

なので、発祥のお店に行ったからといって、そのお店のそれが最も美味しいモノとは違う。もっと言えば、ある意味で発祥のときのままの味を軸に維持した正統派なものであれば、美味しさの評価も現代人のそれとはまた違ったものと言えるかもしれない。そこで支払っているものは、料理も含めたそこで生まれたという事実やそれを現代まで引き継いだという手間も含めたものに払っているといえる。よく、発祥のお店が一番美味しい、という言説があるが、それもまた違ってて、人の味覚や趣向は多種多様だからこそ、一元的な、絶対的な評価ではなく、最終的にはその人にとって最も良いと思えるものを選択すればそれで良いのではないか。

もちろん、現代に合わせて味を変化させるお店も多くある。それはそれでお店なりの工夫や手間をしているものだ。よく言われるが、伝統とはただそこにあるものを引き継ぐだけでなく、現代にあわせて変化や革新性を持たせたものだ。つまり、伝統とはある意味で時代における革新性を帯びたものでもある。つまり、伝統と表現するときには、常に時代に呼応したイノベーションが合わさっているわけで、そのための手間を長い時間軸をもった人たちも考えていきながら、多様なモノが生み出されてほしいと思う。

発祥のお店は発祥なりの意味や意義がある。だからこそ、評価すべきポイントや見るべきポイントを変えてみると、世界は変わってみるかもしれない。













2015/11/09

手紙を書くように友人を祝福する

先日の日曜、大切な友人同士が結婚する晴れやかな式を迎えた。
建築家とクリエイターという、領域や考えていることが違いつつも、根底で共鳴する価値をもっているこそ互いに補完し合える関係にある二人。
それぞれに僕自身が尊敬し、いつも色んな発想をいただいている大切な友人同士。
そんな二人の門出をぜひ祝ってほしいと、挨拶を述べてることになった。

依頼をいただいたときから、僕自身が二人をいつも見てて感じること、そして、未来に向けたエールを込めた手紙を送ろうと思い、ずっと言葉を紡ぎだしていた。
二人のこれまでの活動や考えを汲み取り、自分なりに解釈して言葉にした二人に向けた手紙。

これからも、素敵な二人でいてください。
おめでとう。そして、これからもよろしく。


2015/10/03

人は変わり続ける

数ヶ月会っていない人と久しぶりに会うと、髪型や格好もそうだし、時にはぱっと見た時の雰囲気も違ってたりする。
その原因は、会っていない間に仕事でいい経験をしたり、どこか旅に出てたり本を読んで感動したり、恋愛だったり食生活などの日々の習慣を変えたり、これまでの言動を振り返って発する言葉や会話の仕方を変えようとしていることかもしれない。
そうした変化は微細で、なかなか気づきにくいものかもしれないけど、確かにそこには変化が生じている。
その変化をつぶさに感じ取るような振る舞いが、かつてはあったような気がする。
まだ電話も普及していない時には、手紙のやり取り一つとっても相手の変化を感じ取っていたかもしれない。
携帯電話やメールがない時代には、道端でばったり出会ったり偶然の出会いでもそうしたことが読み取れたかもしれない。
最近では、SNSでなんとなく誰とでもつながってるようにみえるが、そこに現れるのはその人のごく一部であり、つながってる"風”でしかない。
けれども、せわしい日々のなか、なんとなく見ているSNSの書き込みや周囲の様子から、ついつい目の前にいる人の変化に気づきにくくなっているかもしれない。
久しぶりに会った人であっても、どこか変化しているところがあるはず。
それをきちんと私たちは読み取っているだろうか。
相手ときちんと対峙しているだろうか。
感情や相手の気配に対して鈍感になってはいないだろうか。
どんなにテクノロジーが進化していようとも、その起点にあるのは人間だからこそ、やはりしっかりと人を視ることを怠ってはいけない。
人は常に変わり続けるからこそ、その変化に気づけるようになりたい。

2015/09/08

NewsPicksのインフォグラフィック企画に編集協力しました



ソーシャル経済ニュースのNewsPicksに在籍している、インフォグラフィックのエディターなどをやっている櫻田さんとコラボし、『インフォグラフィックで復習。オープンガバメントの歩み』という企画の編集をお手伝いしました。

きっかけは、共著で執筆した『ICTことば辞典』を出版し、献本ついでにNewsPicksのオフィスにお邪魔したときでした。櫻田さんとは、以前から親交があり、また櫻田さん自身も最近『インフォグラフィックで見るApple, Google, Facebook, Amazonの買収戦略 』を上梓したばかりで、メディアにおける記事の在り方などを研究されていたこともあり、互いの書籍に関しての意見交換などをするところから話が弾みました。

『ICTことば辞典』は、従来のIT関連の用語集と違い、テクノロジーと私たちの生活がどのように密接に結びついているか、その背景やメリットデメリット、テクノロジーと法律や社会課題に関する記述が豊富なことが特徴です。そうした内容なこともあり、『ICTことば辞典』とNewsPicksの読者層との親和性が高いということから、『ICTことば辞典』にある単語をもとに、再編集などをしてそれをインフォグラフィックにして一つの文脈のなかで記事としてできないか、と話をしながら出てきて、実現した企画となりました。

インフォグラフィックの作り方については、櫻田さんのブログでも紹介されているように、はじめにいくつかの単語などをもとにテーマを設定したり、そこから一つのキーワードを深堀りする記事に変えたりと、互いに議論しながら内容を詰めていきました。

これまでのICT関係は、なにかフィジカルな物体としてのモノがあり、それを説明することができていましたが、最近ではIoTやらウェアラブルといったもの、今回でいえばオープンガバメントとかオープンデータといった概念的なものが時代としても注目されるようになり、それをテキストだけで紹介することの限界もあります。だからこそ、グラフィックなどの手法は意味がある表現手法といえます。

自身が普段から研究しているものをもとに、それをテキストやコミュニケーションをもとにデザイナーに伝え、それをデザイナーが形にする。研究者とデザイナーとの協業を通じた新たな伝える方法の模索は、まだまだ試行錯誤してみたいところ。

また、辞典という中立的で内容が腐らないコンテンツをもとに、そこから時代に合ったものや読者に合わせて再編集しながら、書籍とウェブ、他媒体との連携によるコンテンツ制作という方法もまだまだやりようがあるし、メディア同士のこうしたコラボを通じたやり方もあるはず。

まだまだ『ICTことば辞典』とNewsPicksのコラボ企画はあと何回かあるので、そちらもお楽しみください。

あと、『ICTことば辞典』は書籍だけじゃなく電子書籍版も発売されました。KindleやiPadなどで楽しめます。内容も、紙の書籍ではできなかったオールカラーで、文字調整もできるリフロー型と電子書籍としても形も悪くありません。実は、辞典としての電子書籍はこの本ははじめてみたいなので、版元の三省堂としても色んな意味で挑戦した書籍になっています。

2015/08/24

本と温泉シリーズ


城崎と言えば志賀直哉。小説にまつわるグッズで街は溢れてたけど、お気に入りはこれ。本と温泉シリーズという、城崎でしか買えない限定書き下ろし小説。お風呂で読めるよう宿のタオルに包まれていて、しかも耐水、防水のストーンペーパーの紙を使ってるっていうこだわり。
第二弾は万城目学さんの「城崎裁判」。街の情景に触れながら、ある悩みを抱えた小説家を軸とした物語。城崎でゆっくり読めなかったので家のお風呂で入って読んでみるよね。
本としてのクオリティもそうだし、志賀直哉の「城の崎にて」に触れつつ、温泉街のさまざまな場所わわ物語にうまく忍ばせてる。おかげで、また城崎に行きたくなる内容になってる。

城崎国際アートセンターを訪れる


先日お邪魔した城崎国際アートセンター。建てられた経緯を館長の田口さんに伺い、文化や芸術を通じた社会的価値を信じる市長の本気を感じた。
また、レジデンスとしての機能も充実してて、これはたしかに世界からいろんなアーティストが集まるわけだ、と実感。
さらに、伺った日はちょうどチェルフィッチュの岡田利規さんが韓国との合作の新作をつくってて、そのクリエイションの途中までの舞台を見せてもらったけど、これがかなりの批評性のあるもので、これがどう収束させていくのか完成が楽しみなものだった。
城崎アートセンター、かなりいいところだったので、また行きたいです。

2015/07/25

東京都現代美術館、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展へ


7月25日、午前中に東京都現代美術館へ。7月18日から始まった「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展を見に行く。

展示では、ヨーガンレールの浜辺のゴミで作ったランプなど、人類が作り上げたものを通じてわたしたちの生活そのものをあり方を映し出す鏡のようなものだった。

岡崎乾二郎さんの「美術館はだれのもの?」は、美術の見方を通じて大人としての感性のあり方をある種の批評性をもたせた空間だった。

アルフレド&イザベルの展示は、家族や家といった居場所に対して自由な発想と想像力で考えさせるものだった。特に、子供たちに対するワークショップもいい。

会田一家は、空間と展示全体で個人としての可能性と社会との関係を考えさせるものだった。

特に、問題にもなってる檄文や日本の総理大臣と名乗る男の映像は、拙い英語で痛切に社会を批判しつつも、最後に話す日本語での言葉こそ、会田氏が表現したい一言だったのでは、と思う。グローバルや他者との競争ではなく自己を見つめ直そうと語るその内容は、いまという時代だからこそ考えさせられるものだ。全体としての作品の批評性は面白く、展示を見ずに問題だと映像を批評なり指摘をすべきものではない。

もっと言えば、アートという自由な想像性や社会への批評性をなくすことはあってはならない。それこそ、世の中のそれ自体が答えがないものであり、批判や対立があってこと社会の構造であって、なにかひとつの答え以外は排除される世界ほどつまらないものはない。

対立や矛盾を孕むその姿に対してきちんと向き合うことこそが求められる。

あと、個人的は企画展の「ここはだれの場所?」だけでなく、常設展の「戦後美術のクローズアップ」も展示内容のキレの良さと東京都現代美術館の収蔵されている作品の良さを感じさせるものだった。

とりあえず、まずはアートは自分の目で見て、感じて、自分の中で解釈なりを導き出すことが重要であり、人がどう言ったとかどう思ったとかではなく、内なる自分に素直になり、考えることが必要だ。





2015/06/28

植草甚一スクラップ・ブック展

昨日は、7月5日まで世田谷文学館でやってる「植草甚一クスラップ・ブック」展に赴く。
戦後サブカルチャーの礎を築いた文筆家が残した膨大な映画評のメモやニューヨーク時代に過ごした様子、日常の細やかな読書日記など、いままさにそこにJ.Jの息吹が聞こえるような展示に、一人の物書きとして尊敬の眼差しと大きな刺激を与えてもらった回顧展だった。
幻の古書店「三歩屋」を実現した空間は、その空間に入っただけで、ビビッときていまった。
同時に、昨日と今日の両日だけやってる「セタブンマーケット」では、J.J展に関連して雑貨や古本屋が並び、その書棚から掘り出し物を大量に買ってしまった。古本の出会いはいつも楽しい。
展示期間もあと少しだし、セタブンマーケットやってる今日までに行くべきだと思う。



2015/05/29

沙村広明さんの新刊『波よ聞いてくれ』



沙村広明さんの新刊『波よ聞いてくれ』。いままでのテイストからガラリと変えて、ラジオと恋愛がテーマ。ラジオがテーマなだけに、ところどころで挟む言葉の上手さが光る。
あと、舞台が北海道なせいか、ローカルな話題の入れ方も絶妙。
読んでると、無性にラジオが聴きたくなる作品。次巻が楽しみ。



2015/04/17

藤田一照さんのメールマガジン『仏道探究ラボ』のコラム「仏教とわたし」に寄稿しました

葉山で座禅の研究を行っている藤田一照さん。藤田さんは、著書『アップデートする仏教』などを書かれており、仏教のあり方を現代にあったあり方として見つめなおそうとしている方です。藤田さんが発行しているメールマガジン『仏道探究ラボ』があります。毎月二回発行されているメルマガでは、藤田さんが日々感じていることや発見などを書いたり、読者の質問に優しく答えたりしています。

メールマガジンのなかに、「仏教とわたし」という、さまざまな分野で活動している人たちが寄稿するコーナーがあります。そのコーナーに先日寄稿させていただきました。といっても、なにか大層なことを言っているわけではなく、自分が普段感じていることなどを、仏教の考えなどとも照らしあわせたエッセイのようなものかな、とおもいます。

他にも、藤田さんのメルマガは日々の気づきや仏教の考えを知る機会になるとおもいますので、興味が有る方は覗いてみてください。ゆっくり、深呼吸でもしながら読むのにぴったりなものではないでしょうか。


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■ 5.仏教とわたし
「仏教とわたし」と題して、様々な分野で活動中のゲストをお迎えし仏教との
関係性や、仏教に対する考え、思い等をお伺いしたいと思います。

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ゲスト:江口晋太朗さん
編集者/ジャーナリスト
NPO法人スタンバイ理事

仏教やお経の思い出といえば、お葬式のときにお坊さんが話すよく分からない
言葉、くらいだった。はじまりは母方の祖父が亡くなったときで、自分は2歳
かそこらくらいだったので祖父との思い出なんてものはなく、物心ついたとき
から仏壇に手をあわせて飾ってある遺影の顔を見るくらいだった。

祖父との思い出はなかったが、写真やらなんやらで祖父という人がいたという
痕跡だけはそこにあって、幼少期の自分にしてみればなにか不思議な気持ちに
なっていた。年が経ち、自分が中学生を卒業するくらいまで、父方の祖父や祖
母は元気に過ごしていて、自分自身も次第に身体も大きくなり、物事もわかっ
てきて、なんでも世の中が新しいものに見えてきたし、知識や経験も増えてき
た感覚を覚えてきて、世の中がずっとそういった状態が続くのかな、と思って
いた。なのだが、その頃から父方の祖父の体調が悪くなり、入退院を繰り返し
、じょじょに弱っていく様子を見ていくと、人はいつか「死」を迎えるもので
あるということの実感をすごく抱くようになってきた。その祖父も、僕が高2
のときに亡くなり、そこではじめて親しい人との別離を経験した。

人は必ず死を迎えるという免れることのできない事実を現実として体感してく
なかで、はじめて、自分がここに「居る」ということへの問いを立てはじめた。
事実、数年前までそこに「居た」人が、いまではそこに「居ない」。その現実
を受けとけ、しかもそれがさも当たり前のものだと思う自分がいる。それはつ
まり、自分自身がいまここに居ることすら、自分が死を迎えたときにどうなる
のか、自分が生きているとはなんなのか、自分の存在意義や存在証明がどこに
あるのか、といったある種の禅問答のような考えに陥ってしまった時期もあっ
た。

そんなことを救ったのは、ちょっとした他者から自分への感謝の言葉がきっか
けだった。自分が居たことによって誰かの何かの役に立ってもらったと思って
もらったり、誰かが少しでも幸せになれること、多く人が笑顔でいれる世の中
にするために自分ができることを行うことが自分の居場所なんだ、ということ
を気付かせてくれた。そんな思いを胸に、これまでさまざまな仕事をしてきた。

いまは、最先端の技術の研究や、技術と社会のあり方についての調査などを行
いながら、私たちの身近な生活をどのように豊かにできるものなのか、そのた
めの環境を作り上げ、社会の仕組みを次の時代に合ったものにするためのプロ
ジェクトを立ち上げたりしながら、日々を過ごしている。

技術の進化は日進月歩だ。しかし、ややもすると何か新しい技術やアイデアが
生まれると「◯◯が次の時代を作る!」や、「◯◯で、社会が変わる!」みた
いな言説が流布し、多くの人たちがそれに右往左往することがある。実はそれ
は、社会について考えているようでいて、実はそこにいる人間を考えることな
く、技術が社会を変えるものだと勘違いしがちになる。しかし、技術で社会が
良くなるわけではないはずだ。ときに技術は人に万能感を与えがちで、気がつ
いたら人が技術に振り回される、ということになりがちだ。

けれども、機械や技術は自分からは何も変わらないし、ただ機能としてそこに
あり続け、変化せずにいるだけだ。そこに意思を吹き込むのは、人間しかでき
ないものだ。だからこそ、人がどうあるか、人がどう振る舞うか、人がどのよ
うに考え、行動するのかを知ることこそが、社会を知る上で重要なものだと気
がついた。

現代は、さまざまな変化が激しい時代のなかにおいて、人は世の中に対して不
安になる。不安になると、何か確固としたものや絶対的な解を求めがちだが、
そんなものは世の中にはない。自分がいかにして世の中を生きようとするかが
大切になってくる。だからこそ、技術やテクノロジーを知ろうとすると同時に
、人のあり方を知ろうとすることへとつながってくるのかもしれない。

そうした思いで日々を過ごしているなかで、最近になって、仏教に関連した本
を自然と読むようになった。きっかけは正直言えばあまり覚えていないが、親
鸞について書かれたものや、かつての人たちがどのように仏教に接し、どう日
々の生活のなかで大切にしていたか、仏教をもとにどのように日々を過ごして
いたのか、ということに自然と興味がでてくるようになった。

自分が社会においてどうありたいのか。人を信じ、他者との中で生きている気
持ちと、それでも結局人は孤独であるという考え。人と人とが分かり合えない
部分と、分かり合うことができるのでは、という矛盾を抱えながら生きている
。そんな、人生や生き方について悩むたびに、仏教で描かれているさまざまな
ことがらを読みながら、もちろんそこに答えがあるわけでもないが、自分の考
えに納得したり、違った考えをそこから導き出したりさせてもらっている。

正直言えば、浄土なんてものは僕にはわからないし確証もない。けれども、昔
の人たちは自分の行為やその後について、考え、悩み、苦しんでいたなかで仏
教と出会い、そこなかで自分の居場所や自己について見つめなおそうとしてい
た。その姿や弱さを内包していることこそが、人間の姿であり、人はそこまで
強いものでもないし、合理的に動くものでもない。自身も同じような存在なん
だ、ということを気づかせてくれる。

やはりどこかで死の先のことがどうなっているのか考えることがあるが、考え
ることと同時に、死にたくない気持ちと、死ぬことをいつでも待っている自分
がいる。その根底には、人は年を重ね、死があるという事実を知った幼少期の
経験から、どこか死ぬことへの覚悟があるのかもしれない。

毎日、南無阿弥陀仏を唱えているわけではないが、ときおり座禅を組んだり、
写経に参加してみたりしている。その理由は、自己と向き合う時間を作ると同
時に、ときに、社会のなかで自分の居場所や自己の存在を見失っているような
気持ちを、抑え、今一度、自己の存在を客観視するような場として考えている
からだ。日々のさまざまな周囲の情報に振り回されればされるほど自分の足元
が不安定になり、自分がどこにいるのかが見えなくなってくる。だからこそ、
自分がここに「居る」ことを実感するためにも、書籍を通じて仏教の考えを読
み解き、自分自身のあり方を見直そうとするきっかけにしている自分がいる。

仏教は堅苦しいものでもなく、もっと自然にそこにあるもので、かつ、自分と
の対話を行うものなのかもしれない、と最近思っている。それは、公園をゆっ
くり散歩しながら、季節の変わる様子を感じ取りながら周囲にある自然を観察
し、小さな変化に気づいたりすることでもある。ついつい、人のつながりやネ
ット上の振る舞いなんかを気にしがちだけど、そういったものから解き放ち、
自分と向き合うことの大切さ、自分の感覚や感情に正直になり、ちょっとした
行為の変化を読み取れるようになることで、色々なしがらみや複雑な思考をリ
セットして自分の姿がより鮮明に見えるようになってくる。世の中のことを知
ること以上に、自分のことを知ること、自身に向けた解像度の高い視点をもつ
ことが、これからの時代を生きる何かヒントになるのかもしれない。

いまを生きるために、過去を振り返り、過去から学びながら未来を生きようと
する。その未来は、「いま」の積み重ねであり、「いま」をどう生きていくか
を懸命に考えること。そのためにも、自分がいまここに「居る」ことを感じさ
せることによって、前へと向くことができる。そのためのヒントを、仏教は教
えたり感じさせたりするものではないだろうか。
江口晋太朗
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2015/01/19

自分が普段使う商売道具を手入れすることの大切さ

年末年始にできなかったことの一つが、キーボードの掃除。 メインPCで使ってるRealforceの土台から一つひとつキートップを外し、土台をきれいにして、キートップを洗濯。その後、取り出したキートップを一つづつ丁寧にはめ込んでいくんだけど、その過程は改めて自分が普段使ってるキーボードと、自分の指先に触れるキーと向き合う時間でもある。 「毎日打鍵してる自分は、果たしてキーにとって満足な打鍵をしてるのか」 自分が打ったキーは、それが電気に変換されて新しい何かを生み出していく。 自分が普段使うものだからこそ、時に

2015年になりましたが、年末年始にできなかったことの一つが、キーボードの掃除。文章を書くために毎日打鍵してるキーボードを時には手入れしておくことも重要なこと。

2014年の4月に購入し、メインPCで使ってるRealforce。一般的なキーボードと違い、土台からキーを一つひとつ外すことができ、キーの配置なども自由にカスタマイズすることができる。そのキーボードの土台から一つひとつキートップを外し、土台をきれいにして、キートップを洗濯。

キートップをはめ込んでいる途中の様子。


その後、取り出したキートップを一つづつ丁寧にはめ込んでいくんだけど、その過程は改めて自分が普段使ってるキーボードと、自分の指先に触れるキーと向き合う時間だと実感する。

「毎日打鍵してる自分は、果たしてキーにとって満足な打鍵をしてるのか」

自分が打ったキーは、それが電気に変換されて新しい何かを生み出していく。その生み出されたものが、誰かに何かを伝えたり、自分の普段の仕事に大きく影響を及ぼしているんだということを、改めてキーボードを向き合うことで感じることができる。

キーボードだけに限らず、自分が普段使うものだからこそ、きちんと手入れをして、じっくり道具と向き合うことはあらゆる仕事に就いている人にとって大切なこと。身体を資本にするアスリートや、商売道具として日々手入れをする大工さんらと同じように、それぞれ自分が仕事をするために必要なあらゆる道具をきちんと手入れすること、一つ一つを丁寧に愛用することを常に忘れずにいたいものです。


キートップをすべてはめ込み、完成した様子。手入れをしたせいか、打鍵のどこか軽く感じる。





2014/11/19

お金ってなんだろう、を気づかせてくれるクラウドファンディングというサービス

the audience is shaking (CC)



スタートアップやテックなど起業に関する情報を発信しているTHE BRIDE。編集として携わっており、企画としてクラウドファンディングに関する情報をまとめていました。そのひとつに、クラウドファンディング法案(ネット経由で小口投資を募ることができるようにする金融法改正)について取材などをしていました。

それにあわせて、クラウドファンディングに関して体系的にまとめたり、クラウドファンディング法案成立後にどういった動きが起きるのかなどについて、クラウドバンクの大前さんに取材を行いながら、大前さんとやりとりをしながら寄稿していただき、編集していく、ということを行ってきました。

クラウドファンディングの歴史と日本のポテンシャルについて【ゲスト寄稿】 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)
「2014年はクラウドファンディング元年」:多様化するクラウドファンディングと市場の動き【ゲスト寄稿】 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)
株式型クラウドファンディングを通じて、企業とユーザの関係が再構築される【ゲスト寄稿】 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)
クラウドファンディングが仕掛ける「金融の民主化」:個人を力づける新しい資金調達と資金活用のカタチ【ゲスト寄稿】 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)

全4回、すべて足すと3万字くらいの内容をもとに、クラウドファンディングについての基本的な内容や融資型の海外事例、株式型クラウドファンディングや法案成立後の未来についてまとめていただきました。こうした一連の企画がきっかけで、大前さんが先日書籍『クラウドファンディングではじめる1万円投資』を出版したというご連絡をいただき、書籍をご恵投いただくこととなりました。

あとがきでは、嬉しいことに書籍のきっかけについてご紹介いただきました。

「本書では、私がこれまで行った講演や寄稿などが土台となっています。特にブログメディア『The Bridge』の平野武士さんと江口晋太郎さんには、今回クラウドファンディングについて包括的にまとめる機会をいただいたことが本書執筆の土台となっていることを考えると、生みの親みたいなものです。」(P188)

THE BRIDGEとしてご提案させていただいたことで、こうして書籍化につながったということで、企画提案をさせていただいた身としても大変嬉しく思っています。もちろん、今後もクラウドファンディングに関する情報や、法案についてなども追いかけていければと思います。

同時に、私もクラウドファンディングについて包括的にまとめることで仕組みとしてのクラウドファンディングと、大前さんとも話をしてまさにでてきた「金融の民主化」というところに改めて気付きを得ることができました。普段、何気なく使っているお金も、その値段が付いている商品の後ろには、流通や製造にさまざまな人が関わり、そして製品ができているということに、なかなか知る機会がありません。しかし、お金というのも交換のひとつの手段。それをどう活用するか、もっとお金について能動的に考えるべきだと実感します。

自分が共感した商品や応援したいと思うプロジェクトの製品を買ったり、自分が支払ったお金が何にどう使われているのか、というお金のトレーサビリティといった考えも近年ではでてきています。マイクロファンディングのKivaなどもまさにそういった活動といえます。クラウドファンディングも、まさにそうした個人のお金が何にどう使われているのかを知るひとつの機会として捉えることもできます。もちろん、プロジェクトを掲載する人にとってみれば、資金を調達する手段としてクラウドファンディングを捉えることができますが、お金を支払う側の意識も同時にあることにも気付かされます。

資金を調達し、プロジェクトを推進しようと思うプロジェクトオーナーも、ただクラウドファンディングのサイトに掲載すればお金が集まるわけではなく、そのプロジェクトにかける思いをきちんと整理し、それを映像や言語に落としこむことが必要です。さらに、随時情報を更新してプロジェクトに関しての情報を発信して透明性を高めることも必要です。そうした小さな取り組みや丁寧なコミュニケーションを通じて、自身のファンやサポーターを増やすことができるのです。それって、かなりの手間がかかるし、正直いえばコミュニケーションコストはかなりのものです。さらに、リターンも魅力的でなければなりません。もちろん、マーケティング的視点で、製品づくりのプロジェクトを掲載するということもあるし、ほかにもプロジェクトに関しての何かしたらの記念や限定イベントなどなど、ファンを増やすための施策も必要です。

そうした意味で、クラウドファンディングは単純にお金を集めるだけのことを考えると割にあわないかもしれません。しかし、そうした賛同が可視化され、みんなの応援が見えることで、より責任がましたり、プロジェクトをまわしながら自分自身を奮い立たせるような機能も兼ね備えてています。そのコミュニケーションのひとつのきっかけに、お金という交換ツールがあると考えると、お金の使い方もまた新しい視点が生まれてくるかもしれません。

お金は、ただそこにあるだけでは意味がありません。それをどう使うか、◯◯円という数字的なものではなく、その実数としての数字の裏にある、目に見えない価値をどう作り出すか、それは、お金には変えられないものでもあります。改めて、お金ってなんだろう、ということを問いなおすひとつのきっかけとして、クラウドファンディングを見つめるのもいいかもしれません。



2014/09/22

札幌国際芸術祭に行って感じた、都市の歴史とメタ的コミュニティのあり方

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先日、出張で札幌に行く用があり、ついでに現在開催中の札幌国際芸術祭2014もみてまわりました。

札幌国際芸術祭は、札幌初の国際的なアートフェスティバルとして、が7月19日(土)から9月28日(日)まで、開催されています。開催テーマは「都市と自然」。都市と自然の共生を考えるもので、札幌市内各所でプロジェクトなどが展開。札幌全体がこうして芸術祭の舞台のなるのは、札幌の歴史としては始めてのもので、行政もサポートしながら第一回目を大成功に導こうと取り組んでいます。

主な会場はm北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館、札幌駅前の地下歩行空間(チ・カ・ホ)やモエレ沼公園など、さまざまな場所で行われており、一日で回るのも結構大変なくらいの、作品数とそれぞれの開催場所の点在さが、逆に札幌市内の山や都市部をじっくり見て回る良い機会にもなりそうです。


札幌国際芸術祭の会場の、北海道立近代美術館へ。

札幌国際芸術祭の会場の一つである北海道立近代美術館は、札幌の中心部から西に少し移動した場所にあり、大通り公園から15分ほど歩いたところにあり、市内を散策しながら行くことをオススメします。展示では、

坂本龍一さん+YCAM InterLabによる「フォレスト・シンフォニー」。こちらは坂本さんと真鍋大度さんによる電磁波を可視化するインスタレーション #札幌国際芸術祭

札幌市内から北上したところにあるモエレ沼公園。そこにあるガラスのピラミッド内に展示してある坂本龍一氏と真鍋大度氏による共作。チ・カ・ホでセンシングした電波データを可視化・可聴化した作品で、手元にあるスイッチに周波数と表示されるグラフィックをいじることができます。無限に広がる電磁波とパターンを変えたグラフィックを見ていると、時間を忘れてしまいそうになります。



同じく、センシングによる作品として、札幌駅前の地下歩行空間(チ・カ・ホ)には菅野創+yang02によるドローイングモジュールもあり、地下を行き交う人の数を計測しながら絵を描き続けるという作品がありました。こちらも、札幌駅についてすぐに見ることができる作品です。

竹村真一さんの「触れる地球」で、地球規模の空と大地の動きを実感した #札幌国際芸術祭

また、ガラスのピラミッド内には竹村真一氏による「触れる地球」なども展示されています。地球を感じつつ、空と海と大地といった自然と都市のあり方を感じる札幌国際芸術祭ならではな展示と言えます。

モエレ沼公園で、大地の偉大さを感じた。

札幌国際芸術祭の舞台としてなっているモエレ沼公園は、彫刻家のイサムノグチ氏による遺作としても知られています。「地球を掘りたい」という考えのもと、広大なゴミ埋立地を自然公園にする壮大な計画をもとに、1979年から始まったプロジェクトは、プロジェクト中にノグチ氏が亡くなるもその意志を継いだ人たちによって2004年に完成した、という歴史があります。北海道ならでは、そして人と自然のあり方を考えさせられる作品であり、人々がくつろぐ憩いの場として、愛されています。


モエレ沼公園の様子も、動画のハイパーラプスで撮影していました。広大な土地は、まさに「北海道はでっかいどう」と言いたくなります。


大自然をバックに中谷芙二子さんの FOGSCAPE #47412 #札幌国際芸術祭

今度は札幌市内から南に移動した札幌芸術の森美術館。近代美術館と芸術の森美術館では、自然をテーマにしたさまざまな展示があります。そして、芸術の森美術館では、一時間に一回、中谷芙二子さんの FOGSCAPE #47412を見ることができます。霧をテーマにした作品は、霧という自然現象を、改めて見つめる機会になります。

他にも、今回札幌としても始めての芸術祭ということで、この機会に各地でさまざまな催しや企画が行われていますので、ぜひ足を運んでみるといいかもしれません。あと、札幌国際芸術祭をうまく回る方法として、友人の編集者である塚田有那がCBC.NETで「まだ間に合う!札幌国際芸術祭2014を3倍楽しむ旅案内」という記事を書いていますので、そちらを参考にしてもらえればと思います。

各地の美術館や展示会場は、距離もそこそこあり、見て回るコースなどもある程度事前に考えておくといいかもです。公共交通機関や無料バスなど、さまざまな手段があるので、それらを駆使して満喫することをオススメします。

都市の歴史、そこに住む人たちの意識とまちのありかた
実は、札幌に来たのは高校時代に修学旅行で来た以来なので、約12年ぶり?くらい。ほとんど初といっても過言ではありません。

そんなことで、札幌市内を見て回ってやはり気になったのは、都市がどう成長し、そこに住む人がそういう生活や意識を持っているのか、今回の芸術祭に対してどういった意識を持っているのか、といったものでした。実際に、札幌国際芸術祭に携わっているスタッフや、お会いした方々、取材した人たちなどに、札幌の印象や状況などを伺ってみました。

札幌は、かつてアイヌの人たちが住んでいた土地で、そこに明治時代に置かれた北海道開拓使らにとり、屯田兵などで都市づくりを行っていったという歴史があり、つまりは行政によるトップダウン型の都市づくりによって成長してきたといえます。そうした都市計画であったため、都市の区画もきれいな碁盤の目となっており、京都のような雰囲気や、アメリカのNYのマンハッタンに近い雰囲気を醸し出しています。

そのため、近代に入り急速な都市の発展とともにつくれれてきたという意味で、100年弱ほどしか都市の歴史をもたない、モダンであると同時に人が生きた空気や跡といったものが感じられにくい、ということも言えるのかもしれません。あまりにキレイに整備された都市、豪雪地帯でもあり、街にはホームレスなどの存在も少なく、行き交う人達も情報感度もそれなりにありハイソな匂いがある。しかし、そのまっしろさと純白さがありすぎるがゆえに、どこか物足りなさを感じなくもありません。

NYであれば、民族や人種の多様性などがあるのかもしれませんが、札幌ではもはやアイヌの人たち、という存在も次第に薄まっている状況。いわゆる「日本人」というくくりの中で、札幌にいる人達は住んでいます。また、住み着いている人たちも自発的に渡り歩いた、というよりも国策によって連れられた人が多く、目的別のコミュニティで分断された状態で過ごしてきた人たちが多いのです。そのため、札幌市民をつなぐ横串のコミュニティや、共通認識を持った文化や取り組み、時には多様な人達が集まるカフェやスペース、コミュニティ、といったものが少なく、もともと細分化されたコミュニティを通じて生活をしてきたという歴史なのかもしれません。

また、北海道といえば農業や酪農が盛んですが、そうした農業や酪農を感じる場が、札幌市内にはあまりなく、例えば都内などであるファーマーズマーケットなどといった取り組みも札幌ではあまり見受けられません。農業地域と都市部とが、まさに分断されている、と言えるかもしれません。そのため、それぞれのコミュニティ同士による交流も多くはなく、もともと広い土地でもある北海道において、それぞれの北海道のイメージがあり、それぞれを強固につなぐアイデンティティをもつことが、なかなか難しいのかもしれません。

あわせて、広い土地と農業の発展は高い自給率を作り上げており、都市全体としても保守的な動きにならざるをえません。政治の面において、北海道全体として保守が強いのも、そうした一次産業の強さから言えるかもしれません。しかし、急速な都市と経済の発展、綿密に計画されたトップダウン型の都市デザインは、卸や流通などの業界は発展するも、もともとその地域に根づき取り組んでいた町工場などの工業地域を作るには、あまりに短い時間だったと言えます。そのため、工業地域の少なさが、やはり北海道全域でも見受けられます。

それぞれに細かなコミュニティがあるが、急速な都市と経済の発展、綿密に計画されたトップダウン型の都市デザインによって、人々をつなぐメタ的なものの不足、ハード先行によるソフトの少なさ、という歴史が文化を醸成してきた地域だからこそ、札幌に住む人達のアイデンティティ、札幌に対する外からのイメージの良さの反面、ソフトに対する弱さや住んでいる人たちのおとなしい正確さ、積極的に外に出る必要性を感じない肥沃な土地のもとに、これまで過ごすことができた、という歴史があると言えます。

けれども、日本全体としては高齢化、少子化の問題が待ち構えていますが、まさに北海道、札幌もその痛手を大きく受ける地域でもあります。農業分野においては、後継者問題は深刻な問題であり、これ以上保守的に居続けることには、もはや限界があります。JA自体の改革や、農家によるIT化など、さまざまな取り組みを行う必要があり、農家自体の負担を増やすのではなく、それをバックアップする国や民間企業の取り組みが急務となってきます。これまで一次産業、農業が安泰だった、というある種の神話によって成り立ってきた札幌や北海道は、その神話が崩れ始めているという目下の課題をどうにかしなければいけない現状になっているのです。

そうした意味で、今回始めて芸術祭を開催したことは、市民全体を横串につなぐコミュニティであり、またアートという都市や人の生活の余白や余剰、新しい意識を作り出すものとして、大きな意味を持つといえます。今回の芸術祭をきっかけに、さまざまなコミュニティが協力し、互いに札幌のあるべき姿、札幌としての未来を考える一つのきっかけになっているのだと感じました。今回の芸術祭を踏まえて、もうすでに第二回目をどうするか、という動きもでているとか。動員数も、目標である30万人を超えるということで、道外からのお客さんもそうですが、道内、札幌市内に住んでいる人たちが、今回の芸術祭に足を踏み入れ、そこで感じた何かが、次につながっていくといいなと思います。

まさに、9月27日にマチノコトが企画する横浜トリエンナーレのツアー企画も、横浜という都市の課題と、トリエンナーレによって生み出されたもの、これからの都市のあり方をどう見つめていくか、ということを考えるきっかけになるのではないでしょうか。

アートプロジェクトだけではなく、都市のあり方、都市デザインをどう見据えていくか、ということは、札幌だけに限らず全国の都市にいえることです。そして、それぞれの都市には、それぞれの歴史や持っている文化、リソース、人の意識などさまざまです。だからこそ、その地域がもつ課題、その地域にいる人たちの意識をきちんと汲み取りつつ、新しい施策を考え続けることに意味があるのでないでしょうか。そこに、アーティストやクリエーター、アントレプレナー、政治家、行政、メディアの人たちといった、さまざまな人たちが協力していくことに意味があるのではないでしょうか。









2014/08/31

英国イノベーションの歴史から、日本の次のイノベーションの道を探る

色んなところでクリエイティブやイノベーションが謳われているものの、そうしたものは突然の思いつきやひらめきで生まれるのではなく、自分自身の見聞や経験といった過去の蓄積や社会がもつ歴史と密接に関わっていることは往々にしてあります。すでにあるもの、過去にあったものを違う視点に置き換えたり、現在のニーズやウォンツを研究してくる中で、そこに新しい視点やアイデアを持ち込むことによって生まれてきたりします。

天才的な大発明よりも、そうした積み重ねられたコンテクストを理解したり、視点を替えたり、あえて破ったりしている、ということが重要だったりします。歴史や伝統といった視点からみると、日本はアメリカよりもイギリスのイノベーションの歴史を調べたほうがいいのでは、ということで、仕事の関係もあってイギリスのことについて最近調べてみたら、面白い取り組みがなされていました。

Great British Innovation Vote http://www.topbritishinnovations.org/ という、2013年3月に行われたキャンペーンで、過去100年間でイギリス発祥で起きたイノベーションに対して、あなたが好きなもの、重要なものを投票する、というキャンペーンが行われ、その結果発表がリストアップされていました。中をみると、イギリス発祥、イギリス生まれなイノベーションの事例が、実は自分が知らなかっただけでかなりのものがあり、しかも色んな物事の基盤や基礎を作ったものが多い印象を受けました。

せっかくなので、いくつかリストアップしてみたいと思います。まずは、上位入賞のものから。

1位:Universal Machine
(発明者)アラン・チューリング - Wikipedia http://goo.gl/anUw8
チューリングマシンで「アルゴリズム」と「計算」の概念を定式化し、計算機科学の発展に大きな影響を及ぼし、コンピュータの誕生に重要な役割を果たした。

2位:Mini(BMC) http://goo.gl/nUPm
イギリスブリティッシュモーターコーポレーションが生んだ大衆車。自動車としての必要最小限を形にした設計は、登場当時(1959年)革命的とまで言われた。

3位:X-ray crystallography technique 
(発明者)ローレンス・ブラッグ - Wikipedia http://goo.gl/6X0Hmw
X線結晶学。物理学者。現代結晶学の創始者の一人。X線回析を用いて物質の構造を研究。父であるヘンリーブラッグとともにノーベル物理学賞を受賞。X線結晶学の研究に従事。結晶によるX線回析についての法則「ブラッグの法則」を発表してX線回析による構造解析に理論的な基礎を与える。結晶格子で回析したX線ビームから結晶内の原子の配置を計算することができ、さまざまな結晶分析が可能となる。

4位:Discovery of Pulsars 
(発見者:存命、オックスフォード大学客員教授、元イギリス天文学会会長、英国物理学会会長)ジョスリン・ベル・バーネル - Wikipedia http://goo.gl/YSuLYR
イギリスの女性天体物理学。1967年、アントニー・ヒユーイッシュとともにパルサーを発見。パルサーとは、パルス状の可視光線、電波、X線を発生する天体の総称。電波望遠鏡の観測データの中に規則的に変化する電波信号を発見し、それが高速で回転する中性子星「CP 1919」が電波源であることがわかった。超新星爆発後に残った中性子星がパルサーの正体であると考えられている。

5位:Mallard
LNERクラスA4蒸気機関車4468 マラード - Wikipedia http://goo.gl/uGzmp
ナンバー4468マラードは、London and North Eastern Railwayの蒸気機関車。ナイジェル・グリズリー卿による設計。風洞実験を利用して設計された空気力学的に優れた車体をもち、時速160km以上の速度で走る。マラード号は、時速203kmという蒸気機関車の世界最高速度記録ももつ。(1938年7月3日に樹立)。その後、この世界最高記録が蒸気機関車によって破られたことはない。現在のギネス認定世界記録。

というのが、今回のGreat British Innovation Voteの上位で、上位に入賞しなかったけれども、いくつか面白かった事例もご紹介。

◉World Wide Webの開発
(開発者)ティム・バーナーズ=リー http://goo.gl/NAlL
イギリスの計算機科学者。WWWを考案し、ハイパーテキストシステムを実装・開発した人。URL、HTTP、HTMLの最初の設計者。

◉コンコルドの開発 http://goo.gl/ZV9X

◉ARMアーキテクチャの開発 http://goo.gl/CXzNK
ARM Ltdにより開発されている、現在のスマホや組み込み機器や低電力アプリケーション向けに用いられている32ビット、64ビットRISC CPUのアーキテクチャ(市場の75%を占める。携帯電話、メディアプレイヤー、携帯型ゲーム、電卓、ハードディスクルータなど)。1983年にエイコーンコンピュータ(イギリス)によって設計が開始された。Appleのベースにもなっている。

◉DNAシークエンシングの手法の開発 http://goo.gl/Z7q8
開発者 ウォーター・ギルバード(アメリカ)とフレデリック・サンガー(イギリス http://goo.gl/VrcjsB
DNAを構成するヌクレオチドの結合順序を決定すること。DNAシークエンシングは遺伝子情報を解析するための基本手段。フレデリック・サンガーは、2013年現在で、ノーベル化学賞を二度受賞した唯一の人物。

◉ターボジェットエンジンの開発
フランク・ホイットル - Wikipedia http://goo.gl/dQZhg
ターボジェットエンジン開発装置は第二次世界大戦でも用いられ、その後の飛行機輸送技術に大きな影響を及ぼす。

◉MRIスキャナーの開発、MRI(核磁気共鳴画像法)の発見
ポール・ラウターバー(アメリカ)とピーター・マンスフィールド(イギリス)にノーベル生理学・医学賞が与えられる。

などが挙げられていました。また、これから期待されているイノベーションという項目もあり、それらはみると最先端な研究事例や、今まさに僕らが触れているものに含まれているものでもありました。

◉Raspberry Pi http://goo.gl/uUz7k
(Raspberry Pi発展の基礎に、ARMSアーキテクチャの開発に関わったエイコーン社によるARMプロセッサが搭載されている)

◉Organ printer
3Dプリンタによる臓器プリント。


などなど、医療から航空技術、工学、物理学などなど、さまざまな分野の最先端をイギリスが作り上げていたことが分かりました。

研究の分野では、ある一つの分野を追求し、その先に見つけた真理や原則といったルールや規則を見出すこともあります。技術的な視点だと、それまでなかったプロダクトやサービスを開発することもイノベーションです。人文社会学的な視点だと、人はさまざまなルールを作ったり変えたりする力があり、それはコンピュータではできないものです。同時に、常識やルール、慣習を変えるためには、そのルールがどう作らえ、どういった歴史をたどりながら運用されてきたか、そして時にそのルールを破るような視点を持つことが必要です。その根底にあるのは、人のニーズに対して愚直に応えること、もっとこうあるために何が必要か、と考える意識かもしれません。バラバラだったものを定式化し、形あるものにすること、形あるものを根底から壊し再構築する方法だったりします。

イノベーションは、その言葉の意味には、一つの現象ではなく変えた先の未来、変えた先の世界もその言葉に内包しているのではと思います。つまり、イノベーションが起きたことによって、元に戻ることを拒否したくなるだけの力、人の行動や習慣、価値観を後戻りにできないほどアイデアを普及させることなのかもしれません。ここにあげたどれもが、もはやなかった世界には戻れないことにおそらく気づいていると思います。

イノベーションを創発するヒントとして、やはり過去を振り返ることの重要性を考えたとき、海の向こうであるイギリスは、これだけのイノベーションを起こしていることを多くの市民が自覚し、次の新しい道を作る人達も、こうした事例や出来事を参照しながら次の道を作ろうとしていると思います。日本から新しいイノベーションを生み出すために、では、これまで日本はどういったイノベーションを起こしてきたのか。過去100年間のイノベーションの事例を調べてみることに、次の未来に対する道へのヒントがあるのかもしれない、と、イギリスを調べてて感じるものがありました。

未来は過去の積み重ねであり、そして「伝統から革新」を生み出すためにも、日本のこれまでのイノベーションの事例を体系立ててまとめたら、すごく価値があるのではないだろうか。興味が有る人は、一緒にやってみませんか?






2014/08/18

ALSの認知向上や寄付を促すALS Ice Bucket Challenge #IceBucketChallenge にチャレンジしました

いま世界で広がっているALS Ice Bucket Challenge #IceBucketChallenge
http://www.alsa.org/
に、School Withの太田くんから指名をいただきまして、僕も挑戦したいと思います。

このチャレンジは、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)、通称ALSの認知度向上、治療法発見や寄付促進をサポートするためのキャンペーン活動です。極めて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡するとされる難病で、治癒のための有効な治療法は確立されていない現状なのです。

前の人から指名を受けた人は、24時間以内に氷水を被る or 寄付をする という選択をしなければいけません。氷水を被る人は、次にチャレンジする人を3人指名することが出来ます。

ALSに関しての日本語での詳しい情報はこちら:http://www.nanbyou.or.jp/entry/52
寄付を含む今回の活動の詳しい情報はこちら:http://www.alsa.org/ Facebookページはこちら: https://www.facebook.com/alsassociation

海外のセレブは、氷水をかぶりつつ寄付もするというノブレス・オブリージュを全うしているということで、僕もそれに倣って寄付をしつつ、氷水を被って次のチャレンジの人にバトンを渡したいと思います。

次のチャレンジは、IT業界から元ミクシィ社長の Yusuke Asakura さん、メディア業界からバイラル企画ということでハフィントン・ポスト日本版の編集長の Shigeki Matsuura さん、NPO業界からは、寄付活動ということで JustGivingの Daigo Sato さんにチャレンジしてもらえたらと思います。

海外から始まったバイラル企画ですが、日本にも広がってきたということで、できたばかりの虎ノ門ヒルズの前で撮影しました。自分が被る氷水の氷を自分で割って準備するというパプニングもありつつ、夏の暑さを吹っ飛ばす企画でした。このキャンペーンを通して、少しでもALSの認知向上や寄付が集まり、難病解決につながることを祈っています。



2014/05/15

メディアやジャーナリズムの可能性をもっと議論する場であってほしかった #未来メディア

来たよ #未来メディア

5月12日に、朝日新聞主催の「MITメディアラボ×朝日新聞シンポジウム メディアが未来を変えるには〜伝える技術、伝わる力〜」が開催された。

すでに、いくつかのメディアやブロガーの方々がシンポジウムの内容については触れているように、デジタルにおける表現技術やデジタルにおける手法、データ分析の重要性など、メディアに関する技術の進歩と、それらの環境においてメディアやジャーナリズムがどのように機能していくべきかといった内容を、プレゼンやパネルディスカッションの中で議論するシンポジウムだった。

ニューヨーク・タイムズのグラフィックエディターのアマンダ・コックス氏は、マリアノ・リベラ投手の全球種データをもとに球筋のビジュアライズ化をした記事や、ストーリーをもとにビジュアライズ化し、体験を伝えるためにインタラクティブなデザインを活用したThe Soaring cost of a simple breath という記事、インタラクティブなコミュニケーションを通じて情報をスケールさせたIntaractive Map:Your Biking Wisdom in 10 Wordsといった記事を紹介した。

他にも、Upshotというデータとグラフィック、テクノロジーを活用することに特化したニュースサイトや、情報を集約し、パーソナライズ化した情報を届けるNYTNowを開発するなど、さまざまな試みを通じてメディアのあり方を示す取り組みを行っていることを、伝統あるメディア企業としての誇りとクオリティをもとに作り上げようとしているのが実感できたプレゼンだった。

2005年に設立し、先日9周年を迎えたザ・ハフィントン・ポストのプロダクト部門統括責任者であるニコ・ピットニー氏は、ウェブを中心としたオンラインメディアのニュースアグリゲーターとしてさまざまな分野を横断して情報を発信している取り組みと、メディアとしてのマネタイズやメディアベンチャーらしいアジャイルな開発をもとにしたメディア事業のあり方についてのプレゼンがなされた。

ニコ氏は、編集者は新しい技術をもとに読者にコンテンツを届けることの重要性や、アルゴリズムと人的編集によるミックスを通じてコンテンツの質を向上させることを話した。読者の参加を促し、コメントやSNSのコメントなどをもとにコンテンツを作り上げることや、パーマリンクをもとに情報の元ソースへの誘導を図り、自前主義ではなく積極的に外部と関わりながらユーザーに情報を届けていくことが大切だと語った。

こうした、プレゼンを踏まえたのちに、パネルトークへと移り、モデレーターに朝日新聞の西村陽一氏が登壇し、参加者やSNSでシンポジウムに参加している人たちからもTwitterのハッシュタグを通じて質疑応答の時間を長めにとった場となった。

パネルトークの内容は、
「MIT×朝日新聞」で語られたメディアの未来その1 #未来メディア - Togetterまとめ
上記のツイートまとめや
スター記者の独立、データジャーナリズム、アドボカシー、エンゲージメント、モバイル・・・「未来を変えるメディア」への道しるべとは?  | デジタル・エディターズ・ノート | 現代ビジネス [講談社]
現代ビジネスのこの記事などが網羅しているのでそちらを読んでもらいたい。

また、伊藤穰一氏のプレゼンは、
データジャーナリズム最新事例とこれからの民主主義 MITメディアラボ所長・伊藤穰一氏が語る【全文】
ハフィントン・ポストが内容をまとめている。

社会におけるメディア、ジャーナリズムのあり方を再考する
さて、シンポジウムの概要を踏まえた上で感じたことなのだが、朝日新聞が今後どういったジャーナリズムを目指したいのか、タイトルにある“メディアが未来を変えるには”ということが、あまりつかめなかったイベントであったように思える。

社会が変化してくる中で、ジャーナリズムが社会においてどのような機能を果たすのか、そうした変化において、朝日新聞はどのようなスタンスにおいて行動してくのか、それらも含めてメディアの振舞い、ジャーナリズムのあるべき姿は、ということを議論して欲しかった、と考えている。正直言えば、事例の紹介などは、ブログや記事などである程度網羅できるものであって、それよりも思想や哲学を議論しながら、未来はどうあるべきか、を参加者も踏まえて考えてほしかったと思っている。

たしかに、サブタイトルである“伝える技術、伝わる力”というもののとおり、データを活用したりビジュアライズ化をすることで、読者に情報を伝えやすくすることはあるかもしれない。しかし、データやビジュアライズというのは伝えるための手段であり、技術という名の通りである。その先に、伝えたことによって、読者にどのような感動や共感、アクション、考え方の変化などを促すか、ということをどれだけ考えられるのかを常に考えなければならない。

伊藤穰一氏のプレゼンの中で、「ソーシャルメディアの発達や双方向性が生まれてきたことで、Network Public Sphere(ネットワーク化された公共圏)が生まれてきており、メディアと国民が一緒になって参加型民主主義が生まれてくる」というような言及をしていた。伊藤氏のプレゼンは、SafeCastの活動を例にあげるように、個人から発信した取り組みが、社会に対して大きな影響を与えるようなものになっており、誰もが社会に参画できる環境とツールが整っていることを示した。

これから社会において、民主主義をどのように機能させるか、そのためにジャーナリズムが何ができるか、情報を伝えるということの先に、読者に社会における発見や感動を伝え、民主主義を豊かにする手段として、データジャーナリズムを捉えていくべきでは、という話こそが、伊藤氏が伝えたいものではなかったか。

いきすぎた扇動は、アクティビズムになる可能性もあるからこそ、ジャーナリズムはできるだけ中立的な立場をもとうと努力することは大切だ。しかし、当たり前だが人が介入してる時点ですべてを網羅することも、客観性を完全に担保することはできない、時にデマゴーグにもかる可能性はある、という認識を持った上で、努力していこうとする姿勢をもちながら、国民に対して社会で起きている出来事やその経緯を伝え、それによって国民が自発的に考え行動するきっかけや情報を与えていく。そのために、ジャーナリズムとしての挟持を持って行動し続ける、ということがメディアに求められるはずだ。

パネルディスカッションにおいても、「読者とのエンゲージメントをどう考えていくか」という問いがあったが、まさに、そこをもっと深堀りした議論を聞きたかった。アマンダ女史も、「ニュースを読んだ読者の人生にどう影響を与えるか、友人とシェアしたり会話のネタになったりしながら、媒体を購読したいと思ってもらえるか」ということを言及していた。普段の会話の中で、ニュースの情報をもとに社会課題や時事問題が気軽にコミュニケーションでき、それをもとに自分たちで社会に対してどう関与していくか、ということを促すことを示唆している。

情報を伝えたあとのことを朝日新聞社がどこまで考えているのか、朝日新聞としてどういったエンゲージメントを目指したいのかが明らかにならないままであった。いや、もしかしたらそのあたりはすでに朝日新聞の方々のほとんどはわかっており、朝日新聞としてのジャーナリズムが目指すべき方向というのは理解された前提でのイベントだったのかもしれない。そうであれば、僕個人の理解不足でしかないので、不勉強極まりない。


質な言論空間、を示す指標とは何か
エンゲージメントを考えた時に、PVやUUだけが指標とはいえない。ハフィントン・ポスト日本版を立ち上げた時に、ウェブ上における上質な言論空間を作っていく、ということを目標に掲げていたはずだ。編集主幹として就任した長野智子氏も、ネット上における言論空間や、米国と日本のニュースメディアに対しての接し方の違いからくる、メディアリテラシーについて言及していたことも記憶に新しい。

シンポジウム冒頭で、代表の木村伊量氏がこの1年間で取り組んでいた事例として、データジャーナリズムの取り組みとしてソチオリンピックの浅田真央選手の「ラストダンス」や、データジャーナリズムハッカソンを企画した、ということなどと並行して、ハフィントン・ポスト日本版の開設にも言及していた。しかし、「一年でUUが1000万になりました」といったことしか言及されなかったのはなんとも言いがたいものだ。

当初掲げていた「良質な言論空間」というものを見出すために、日々のハフィントン・ポストでこんなコメントが行われている、言論空間を作りあげ、新しいジャーナリズムが生まれ始めている、といったことも言及してほしかった、と個人的には思っている。これからの言論空間のあり方などにも、木村氏やパネルディスカッションでハフィントン・ポストジャパンの代表取締役を務めている西村陽一氏がもっと言及してほしいところでもあった。


「最先端のメディア」というものはあるのだろうか
メディアのあり方ということも考えた時に、ニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポストが取り組んでいることはたしかに新しいかもしれないし、次のメディアの可能性を占める形かもしれない。しかし、それは選択肢の1つであり、必ずしもこれがすべて、これが絶対的な解、ではないはずだ。

それぞれの国の事情、国におけるメディアとの関係、民主主義の醸成具合、国民のメディアリテラシーなどに応じて、メディアのあり方は変わってくるはずだ。しかし、パネルディスカッションにおける西村氏が節々で語る「最先端のメディアであるニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポスト〜」といった表現を聞くと、彼らこそがメディアという業界におけるトップランナーとして、まさに最先端を走っているものだ、という認識だというように聞こえるが、果たして「最先端」と言い切れるほどメディアは単一的なものなのだろうか。メディアやジャーナリズムという形は、もっと多様なものであるという可能性を自分たちで狭めたり、自分たちは遅れている、という意識がどこかにあるのだろうか。

それこそ、新しい単語、特に海外から考えられたであろう概念や取り組みをさも新しいものとして飛びつき、すべての関係者はその新しいものを覚えなければいけない、とった盲目的な意識としての発言にすら聞こえる。もちろん、手段の1つとして、そしてそれがその国々おいてどれだけの効果やそれまでにない意味を持っているのかを知るかは大事だし、学ぶことは必要だ。しかし、それを「最先端」だと断言する論理はないはずだが、朝日新聞はどのように考えているのだろうか。

データ、ビジュアライズ、プログラミングを活用することは1つのツールであり、木村氏がメディアがどうあるべきか、ということで、データジャーナリズムをやっています、というような目的が手段化するようなことではなく、もっと本質的なことを考えてもらいたいものだ。

なんのために情報発信するのか、昨日今日のことを追いかけるようなものではなく、なぜ、いまこのような現象になっているのかを、過去からひも解きながら国民にどのような情報を伝え、どのような判断を行うべきかという知識を伝え、どのような未来を迎えようとするのかを議論するようにしないといけない。

民主主義を活かす呼び水として、伝え、考えを促すこと。そのために、多様性を享受する意識をもたないと、批評も生み出しにくいのではないだろうか。

メディアの人材流動化を促進させるために
質疑応答の時の、特に最後の質問で「朝日新聞社の社員が振興メディアに移る可能性があるかもしれない」という質問があったが、これまでがあまりに人材の流動性はほとんどなく、マスメディアの業界全体に見受けられるものだ。

外部の人たちともっと連携したり関わりを増やしたりしながら一緒にやっていきたいと木村氏が言及していたが、アマンダ女史などのように、インターンから統計学などを専攻してる学生を引き込んだり、外部のネットメディアで活躍した人を積極的に取り込んだり、逆に社員を積極的に外のメディア、場合によってはメディア以外の業界などへ積極的に人を促したりするような、というものを考えたりするほうがより意味のある戦略ではないだろうか。ある程度外の経験をしてきたプレイヤーを、出戻りで朝日新聞社内の主要ポストに就かせることで、新しい外の知見を組織に活かすことができる可能性もあるはずだ。

多くの企業も、そうした外部交流や人材流動を図りながら、組織のイノベーションを推進しようとしているだから、それらをもっと参考にしてもいい気がする。まだどこかメディアは自前主義な考えがあるのかもしれないが、自前主義からの脱却をしない限り、新聞社やメディアの限界の中でイノベーションは生み出されないのではないかと考える。

質疑応答を担当した津田大介氏が「この質問はクリティカルだ」といって上記の質問を紹介していたが、こうした質問がでてくること自体、この質問がクリティカルな質問だ、と言われるくらい閉塞感がまだまだ存在する現状のマスメディアの状態こそが、「クリティカルな状態だ」ということに気づかなければならない。


朝日新聞が目指す未来のメディアのあり方は何か
朝日新聞社主催のイベントであるにも関わらず、結果として朝日新聞社としてのあり方や意見があまりつかめないものだった。もしも、朝日新聞としての意見を十分にだしていた、と考えていたのであれば、その考えは改めたほうがよいのではないだろうか。もっと、朝日新聞社全社としての組織内の意識を変えていくことに注力していくことが必要かもしれない。

今回のシンポジウムは、言うなれば「外タレで最先端をいっているイケてる人たちを呼び、彼らがやっていることを参考にしながら、自分たちもそれになりたい、それに近づきたいということで追いかけ、自分たちのメディアとして、一ジャーナリズムを持った組織としてのプリンシプルもなしに行動している」という印象を受けてしまうのは僕だけだろうか。

どんなに外部の素晴らしい人たちと提携したり一緒にやったりしても、結果として組織の中に何も還元できないのでは意味がない。普段から、朝日新聞社の方々とはやりとりをさせてもらい、エース級な記者さんや行動力のある方々を知っているだけに、現場で活躍している記者の人たちが、もっと活躍できる場を組織として作ってもらいたい。もっと、朝日新聞社がどのようなものを目指し、どのようなことにこれからもっとチャレンジしていきたいのかを知りたいし、新しいことを取り組む姿勢の中で、一緒に何かやれないかと思っている者の一人として、切に願うところだ。







2014/05/13

データが都市をアップデートするときに、未来都市を生きる僕らは、改めて「民主主義」について考えていかないといけない

データの議論は、ビジネスやマーケティングだけではなく、僕達の都市生活のあり方を考える1つの視点でもある。行政の情報を公開するオープンデータという議論も、透明性だけだけではなく、僕達の生活を豊かにする、という視点の中でもっと議論がされてほしい。

テクノロジーの進化の先には、僕達がどのように暮らすか、どのような都市にしていくか、という都市づくりへの関与の余地が広がっていく。直接民主主義的な動きが広がっていく中、日本において改めて民主主義とはなにか、という議論もしていかないといけないのではと思う。

WIREDで今回書いた内容(データが都市をアップデートする:2020年の「未来都市」に必要なイノヴェイション « WIRED.jp http://wired.jp/2014/05/13/citynext2014/)は、プロモーション企画ではあるものの、MSが取り組もうとしているのは、都市のあり方と僕達に普段の生活を見つめなおすための1つの試みでもあると思う。

事例の中にでてくるバルセロナの「The City Protocol Society」や、先日FabLab を取材した http://engineer.typemag.jp/article/civicdesign-fablab にも書いた Smart Citizen もそうだけど、市民自らがシビックプライドを持って都市に関わろうとすることがこれからますます起きてくる。

こういう時代の中で、僕達はテクノロジーの話だけではなく、戦後からずっと続いている民主主義について、やはりみんながしっかりと向き合っていかなければいけないのだと実感する。

データが都市をアップデートする:2020年の「未来都市」に必要なイノヴェイション « WIRED.jp http://wired.jp/2014/05/13/citynext2014/


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