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2015/06/09

技術の進化の早いいまだからこそ、辞典を出すことに意味がある


6月17日に、三省堂から発売される『ICTことば辞典』の著者として上梓することとなりました。

色んなテクノロジーが誕生し、ネットやメディア上ではさまざまな言葉を通じて概念を説明する時代のなか、実は多くの人はその言葉の意味を正確に理解しないまま使っている、ということもしばしばあります。

時代の流れも早いなか、専門用語や略語が流布するなか、きちんとそうした言葉を学ぶ機会もないまま、曖昧に言葉を使うことが、結果として違った意味に解釈したまま使ってしまう、ということによって、さまざまなディスコミュニケーションが起きていると思います。そうした齟齬をなくし、現時点においての言葉の意味をきちんと表現しよう、というこれまで多くの時点を出版してきた三省堂ならではの考えと、挑戦的な内容になっていると思います。

今回の辞典は、2015年5月現在辞典での言葉であると同時に、この時代における言葉の意味として説明がされています。今回の辞典はいわゆるな辞典にとどまらず、概念的な説明、その言葉が生まれた時代や技術的な背景、社会的な要因、その概念が登場してきたことによる文化的な変化、法律的な課題など、ただの説明にとどまらず社会的な課題なども浮き彫りにしよう、という内容にもなっています。

著者3人がそれぞれのパートをだいたい3分の1で割り振って担当執筆をしています。著者それぞれの得意分野などをもとに担当の割り振りがされているのですが、僕の担当の多くは、社会性が高いもの、法律的な分野、政治的分野などが多く、「あーこのワードは江口が書いたな」というのがけっこう分かりやすいかな、と思います。他の著者が書いたパートも、ゲラの時点で楽しく読ませていただきました。また、本書を読むことで、意味を知るだけでなく、各分野におけるテクノロジーへの興味関心をもっていただければ著者の1人としても嬉しく思います。

また、読み物としても楽しく読めるものになっており、10名のそれぞれの分野で活躍する方々にコラムを寄稿していただいており、ICTと社会の関係を見つめなおす論考も載せております。

対象読者としても、中高生や大学生を中心にしていながら、若手の社会人にとっても勉強になるものであると同時に、なかなか普段ネット用語に接しない年配の方々にも最近の時代の流れや言葉を理解できるようなものになっていると思います。

そうした辞典的な要素をきちんといれるのは、さすが三省堂だな、と実感しています。

各地の図書館や中学校、高校などに配布されるのでは、と思っており、そうした若い人たちに少しでも多く手にとってもらいたいな、と思います。もちろん、大人なみなさんにもぜひ手にとっていただきながら、自分が普段使っている言葉や、メディアを通じて使われているさまざまな言葉の意味を確認してみると良いかもしれません。

今回、編集を担当していただいた長谷川さんには、著者としてお声をかけていただき、原稿に関しても叱咤激励をいただきながら執筆させていただきました。原稿を執筆していくなかで、私自身も改めてそれぞれの言葉の意味を再確認することができました。大変感謝しております。

ぜひ、発売されましたらみなさん手にとっていただけれると嬉しいです。

三省堂のサイトには、『ICTことば辞典』のはじめに、や、目次などがPDFで先読みできるみたいです。





2013/10/28

メディアの多様化とジャーナリズムのこれから、そして地域に密着したハイパーローカルメディアの可能性

毎日新聞社で現在はエルサレム支局長を務めている、大治朋子氏が執筆された『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地 (講談社現代新書)』は、2009年から2011年まで、毎日新聞メディア面で始めた連載「ネット時代のメディア・ウォーズ 米国最前線からの報告」をもとに書き下ろされた一冊です。

オンライン・メディアがピューリッツァー賞に選ばれている現実や、新聞社の紙から電子という流れの中で、各社がどのような経営判断を行ない、紙と電子という媒体の中で再編を行っているかなど、現在のアメリカのジャーナリズム、メディアの動きが書かれた内容になっています。新しいところだと、Amazonの創始者のジェフ・ベゾス氏個人が買収したワシントン・ポスト紙についてもその動向についても触れています。

「共通するのは、従来通りの活字ジャーナリズムを維持しながら、プラスアルファの付加価値としてウェブ上の動画やグラフィックスなどマルチメディア技術を駆使し、複雑な問題を多角的な手法でわかりやすく説明して読者の理解を助けようとしている点だ」(P19)

というような、日本だとしばしば議論される「紙からオンラインへ」というものではなく、いかに紙とオンラインとを融合させ、互いの媒体のメリットデメリットを相補させるかについて書かれている内容は、日本でも今後くるであろう動きの中で抑えておきたい動きです。

オンラインでは無料で誰もが読め、しかもコピペが容易となるような現在において、記事の共有化や取材体制の再構築といったこともアメリカでは議論されており、新しい取り組みも行なわれているそうです。同時に、質の高い記事(コンテンツ)に対して、質の高い情報は無料じゃない、という情報の有用性と重要性をどのようにユーザーに考えさせるかも、日本でもまだまだ議論されるべきものなのかもしれません。

「未来の素晴らしいジャーナリズムとは、消費者が喜んで金を払うようなニュースや情報を提供し、そうやって消費者をひきつける能力を持つことで成り立つものになるだろう」(P59)

アメリカでも、ニュース閲覧有料化の重要性を訴える動きも多い。ウォールストリート・ジャーナルやフィナンシャルタイムスといった各種媒体の課金方法に至る過程などは、それぞれの経営方針やどのように読者をひきつけておく方法の違いとして、興味深く読むことができます。

紙や電子、有料化といった内容は、日本のこれからのメディアやジャーナリズムを考える上でとても参考なるようなものが多いが、個人的にも印象深かったのは、第3章の「ハイパー・ローカル戦略は生き残りのキーワードか」と第4章の「NPO化するメディア」でした。

3章は、徹底的に地元ニュースにこだわる「ハイパー・ローカル」路線を取っている新聞社の話です。国土が広いアメリカは、それぞれの地方ごとに小規模な新聞社があり、地元で起きている出来事をつぶさに報道していますが、そうしたローカル新聞も人手不足は否めず、なかなかすべてをカバーすることは難しい。そのため、大手通信社のAP通信から記事をもらい、全国の情報といった記事配信も行っています。

しかし、経営方針の展開により、AP通信が記事配信が減ってきている状況の中、地方紙が連合を組み、互いの記事の共有を図るシステム(記事内では、オハイオの事例として、「オハイオ・ニュース・オーガナイゼーション(OHNO)」について説明している)を構築し、AP通信に頼らない体制を取り始めています。シェアできる情報はシェアすることで、自分たちが専念すべき取材に精を出すことができる。また、OHNOのつながりを活用して、3ヶ月に一回の共同調査報道も行っているそうです。資金や人員もかかる大規模な調査報道を共同で行うことで、新しい形を模索しようとしているのだと感じます。

こうした、ローカルの情報をどのように発信していくのかは、これからとても重要な視点となってくると感じます。全国規模な情報は、大手のニュースサイトやSNSなどですぐに情報が広まります。事実だけであればウェブを通じたものである程度カバーできるかもしれません。しかし、内情や大規模ではないローカルなものや小さな出来事にこそ意味があることは多々あります。

グローバル化によって標準的な一般的な情報は自由になりつつある中、自分自身の足元や暮らしをどのように考えるかといった視点は、グローバルではなくローカルの情報にこそ意味が出てきます。広告的な視点で見ても、ハイパーローカルニュースはターゲットがより明確になりやすい。ウェブサイトが近年ニッチな情報にセグメントされていくように、新聞やジャーナリズムもそうしたローカルさ、もっと言えば身体性を持った情報にこそ価値がでてくるのではないでしょうか。

第4章の「NPO化するメディア」でも、まさにそのようなことが引き続き書かれています。NPOが運営するオンラインメディア「ボイス・オブ・サンディエゴ」は、「市民社会に必要な情報を届ける」といった考えのもとに「地元市民のQOL(生活の質)に関わる問題」をフォーカスした情報を発信しています。例えば、地元議会の動向や政治家の発言のファクトチェック、地元の学校の情報、自治会の動きや地元経済といった、いってみればハイパーローカルな情報が中心です。しかし、私たちの普段の生活を考えてみると分かるように、そうした地域の細かな情報にこそ意味があります。

日本では、最近だと小平市の道路建設問題などが話題となりましたが、そうした地元を二分する問題は、大手の新聞はなかなか注目しずらい。しかし、住んでいる人にとっては死活問題であり、何がどのように決定されているかをつぶさにチェックしたい思いは強い。そうしたローカルなものを追いかけるジャーナリズムが、今後より価値がでてくると、同書を読むと感じさせます。

オンラインメディアでもあるため、こうしたローカルな情報であってもグローバルに発信され、つぶさにソーシャルを通じて地域住民に協力したい人がでてきたり、Aという地域で問題になっているものは、Bという地域でも参考になったりすることも多々あるように、こうした問題を横展開させ、より大きな視点で社会問題を論じる動きも起きやすくなるかもしれません。日本において、行政同士や地域住民同士の連携がないからからこそ、こうした詳細な情報によって助けられる何かもでてきやすくなるかもしれません。

ローカルをローカルにフォーカスすることは、実はグローバルに繋がることでもあります。かつて、Think Global, Act Local.という言葉がありましたが、これからは「Think Local, Act Local, and connect Grobal」な時代と言えるのかもしれません。

民主主義においては、ジャーナリズムは切っても切れないものです。市民社会をよりよいものに機能させるためにも、新しい視点や情報をどのように受発信していくか考えなくてはいけません。同時に、そうした細やかな情報源や情報発信者に対して、ユーザーである私たち市民も、対価をどのように支払っていくかという「情報の価値」について、どう認識するかが問われてきます。

情報は無料だという発想は、いつか平凡で当たり障りのない情報しか世の中に流布しなくなります。しかし、平凡な情報が広がることによって、本来であれば知らなければいけない大事な情報が認知されないということも起こりえます。市民社会、情報社会をどのように作っていくかは、私たち一人一人が考え、行動していかなければいけないものなのです。

日本でも、こうしたジャーナリズムの再編や動きはこれからますます起きてくると考えられます。いつまでも「紙かウェブか」とか、「新聞やテレビはなくなる」といった議論ではなく、ユーザーである読者に対してどのように情報を届けるかというユーザーファーストな視点をもとに、新しい取り組みをもとに、多様でエコシステム化されたジャーナリズムを構築することが求められてくると考えます。同時に、良質なジャーナリズムをどのように作っていくか、ジャーナリズムを残していくための資金提供といったものを伝えていかなければいけないのかもしれません。

改めて、情報の価値をどのように考えていくかが問われています。その中で、ローカルを見つめることが最近多くなった気がします。



先日発売された、TOmagazine「TO」という雑誌を読みながら、自分が住む地域にちょうど考えていました。「TO」は、友人である編集者の川田洋平くんが手掛けている雑誌です。毎号東京23区の一つを特集し、独自の視点でその地域を深堀りしていくものです。

しかも、取材から編集、校了までをその区に住みながら取り組むという徹底ぶり。自身がその地に足を踏み、身体性をもって雑誌を一から作り上げているのです。ところどころに、その地域のコアが部分や匂いを感じるのも、川田くんがその地に根付きながら行動しているからだと思います。

2号である本誌は目黒区特集。私も長い間目黒区に住んでいますが、TOを読むと意外と知らないことや新しいことに気付かされることは多々ありました。そもそも、その地域に住んでいるものの、その地域のことを一体私たちはどれほど知っているのでしょうか。いわんや、日本という国自体も。

自分の足元にある地域の特色、名産、文化、歴史などなど、教科書やWikipediaでなんとなく調べることはできても、その情報を「自分ごと」にするには、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触るような、五感を通じた体験でしか、本質を感じることはできません。

付け焼き刃の情報ではなく、自分自身で感じた情報は、他でもないその人自身の情報であり、そこにしかない価値がでてきます。TOも、編集者川田洋平という人間の五感を通じて感じた東京であり、そしてその地に根付いた中で感じたそれぞれの区の情報とも言えます。東京という、知っているようで意外と知らない、世代や住んでいる地域や職業によって多様な顔を見せる地域を感じさせる、東京を再発見する一つの「ハイパーローカルメディア」とも言えるでしょう。

TOは、1号目の足立区、そして2号の目黒区、3号目は中野区の予定です。どのように残りの23区を表現するかがとても待ち遠しくなります。雑誌としてのプロダクトデザインのレベルが高いのも特徴です。ウェブではなく、あえて雑誌を作ることの意味も、ウェブというフローなものではなく、雑誌というストックされたもので地域の良さを凝縮して届けるといった、今の時代だからこそ価値のある作りだと思います。

デジタルが当たり前だと感じているような若い世代の人たちにこそ、紙という雑誌がもつ情報の凝縮性、そしてローカルという情報を掘り下げることの魅力を感じてもらいたいですね。


私自身も、いま地域のまちづくりやコミュニティデザインについて紹介する「マチノコト」というウェブメディアを仲間と運営しています。このメディアは、地方で取り組んでいるさまざまな動きというものは、おそらく他の地域でも参考になったり横展開できる動きが多々あるのに、行政単位や地域同士の情報が横につながっていないために、同じような動きしてる地域のノウハウや情報が共有されていないものをどうにかしたい、というのが目的の一つです。

まちづくりの手法として、コミュニティデザインがあります。そうしたコミュニティデザインの手法になりうるフレームワークや、地域のまちづくりのための武器を提供することで、よりスピーディに、より多様な地域づくりの取り組みが行えるはずだと思っています。

まちづくりには、民間や個人だけではどうしても限界があります。本来であれば、政治、行政、民間、個人といったさまざまなステークホルダーと協働していかなければいけないのです。しかし、行政が取り組んでいる動きを私たちは意外と知りません。そうした行政との協働を見出す一つの切り口として、できるだけマチノコトではそういった協働を生み出すヒントを提供できればと思っています。

地域をどう良くし、誰もが豊かな生活を送るためにも、行政ができること、民間企業ができること、そしてメディアやジャーナリズムができることといったそれぞれの役割があります。そんなことを、これから考えていきたいなと思っていた時に、ちょうどリンクするような内容の本を連続して読んでいたので、忘れないうちに書いておかないと、と思った次第です。

グローバルで情報が行き届く世界になるからこそ、自分の暮らし、自分がいる足元を見直すこと、身体性をもちいた生活に対する寄り戻しがきている時代において、ローカルをみんながそれぞれ考えていくかを、もっと話していけるといいなと思います。

131029修正
「TOmagazine」から「TO」に、本号から変更になっていたので、修正しました。初出のところだけ修正分入れて、あとのテキストは差し替えています。




2013/09/30

『社会をパブリックシフトするために 2013参院選 ネット選挙の課題と未来』を出版しました

9月30日に、『社会をパブリックシフトするために 2013参院選 ネット選挙の課題と未来』を出版しました。

これは、前著の『パブリックシフト』に続く形となっています。前著で、ネット選挙をきっかけに、社会の担い手は政治家だけではなく、私たち市民の手へと移行している時代にきている、と語りました。それを踏まえて、今回の7月に行なわれた参議院議員選挙で、実際に解禁されたネット選挙を通じ、そこで見えてきた問題点や、事前に想定されていた動きと事実を比較しつつ、今の日本に何が足りていないのか、参院選終了後、私たちは今後どのように取り組んでいくべきか、といったことを書いた内容になっています。


2013/06/28

『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』を上梓しました。

6月27日、カドカワのミニッツブックより、『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』を上梓させていただきました。

内容は、日本におけるネット選挙の解禁を1つの転換点と捉え、インターネットによる選挙運動という事象のみならず、ネット選挙が解禁されたことで政治とITとの距離が近くなった、そして、その先の未来として、私たちの社会に対する認識や日々のあり方がどう変わっていくのか、といった点を踏まえながら書かせていただきました。

タイトルにある「パブリックシフト」という単語は私の造語で、"パブリック”という、いわゆる「公(おおやけ)」の担い手が、これまでの政治家主体から市民である私たちへと、これから移行していこうとしている様子を描く単語として、作った言葉です。

欧米や中東などを見ても、一般市民の人たちが声を上げ、社会問題に対して取り組む動きが、ますます加速していっています。また、ライフスタイルの多様化や、価値観の多様化、グローバリゼーションなどの動きが起きている中、政治家個人がすべてを把握し、理解し、執行していくことに対する限界を迎えてもきています。こうした時代は、社会に対する主体性を、私たち個人がよりもたなければいけない時代になっているのだとも言えます。

そうした、これからの未来を見据える意識としても、マインドをチェンジしていく必要性があり、そして、社会の担い手が自分たちであることを認識し、政治家は私たちの活動をサポートする役割へと、変化していくことこそ、未来に対して意味のある社会システムになっていく可能性を秘めているのではないでしょうか。

そんなことを、これまであまり大きな変化のなかった日本において、2011年の東日本大震災などをきっかけに、ソーシャルメディアによる集合知やソーシャルの力によって作り上げるクリエイティブだったりマッシュアップというものが多く生まれてきており、パブリックシフトの素地ができているのでは、ということも踏まえて、このタイミングにこそ、いい言説になっているのではないだろうか、と考えました。

ネット選挙というものを選挙や政治という小さな事象に留まらせておくのではなく、ネットと政治との関係性が変わってくるという大きな視点で見た時に、日本でこれからくる様々な動きに対する1つのエポックメイキングな出来事であるのだと考えられます。そうした内容は、いまのところ、ネット選挙関連の書籍でもあまり見られていない言説かなと思うので、ぜひお手にとって読んでいただければと幸いです。

2012年5月に発足したOne Voice Campaignは、約一年でネット選挙の解禁を達成したという意味において、この1年での周囲の盛り上がりや、私たちが声をあげていくことで法律が変わったという1つの成功体験になったのではと考えます。

人を巻き込み、大きな盛り上がりを作るためには、熱量とポップさ、カジュアルさやビジュアルなどのクリエイティブなど、様々な要素が必要となってきます。そうした意味でも、One Voice Campaignは色々なみなさんからの協力のおかげで大きな盛り上がりを見せたという意味で、「みんな」で変えた法律、「みんな」で作ったムーブメントだと言えるものでした。まさに、ソーシャルムーブメントと呼ぶに相応しい21世紀型の社会運動の1つの形だったと感じています。

今回の書籍は、版元はカドカワの電子書籍レーベルのミニッツブックから上梓させていただきました。ミニッツブックは、数十分で読める電子書籍というフォーマットともとに、空き時間やちょっとした時に気軽に読んでもらえる内容を軸としています。そのため、『パブリックシフト』も一般の人にも分かりやすく書くことを基盤に置いていたため、深い考察などまでは、文字数の関係等もあり掲載できていませんが、伝えたいことのエッセンスは凝縮して書いています。この続きなどは、また次の書籍や別の機会で補完したり次の取材などをもとに書いていこうと考えています。

また、今回の書籍は、MON-DOUというディスカッションサービスの中の議論で生まれた論点などをベースに書き下ろしたものになっています。自分が考えていることを自分の中で消化するのではなく、他人からの違った視点などをもとに考えを整理するという意味においては、書くという行為自体も他人が必要な部分と、一人で集中して書き下ろす部分の両面があるのかなと思います。自分の中もまだもやっとした状態のアイデアを人に見せることで生まれるコラボレーションという意味においても、これからの何かの創作活動としての1つの新しい取り組みから生まれた書籍の形なのかなと思います。

今回の内容は、ぜひ多くの方々に読んでいただきたいですし、読んだ感想やご意見などをぜひ僕自身も聞きたいので、ぜひ感想などはTwitterなりメールなり、よければブログなどで書いていただけると嬉しいです。


『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』

はじめに ネット選挙解禁でインターネットの政治の関係が大きく変わる?
1. ネット選挙のこれまでとこれから
2. 政治家と有権者の関係がシフトしていく
3. オープンガバメントが築くこれからの社会のあり方
4. 自分ごと化する政治
おわりに パブリックシフトが起きている社会に向けて

参考資料 「公職選挙法の一部を改正する法律」について
注釈
あとがき



2013/05/04

いい作品が「売れる」には何が必要か。出版業界を描いた『重判出来!』から”仕事”について考える

      

「重判出来」、これなんて読むか分かりますか?正解は「ジュウハンシュッタイ」。売れ行きがよくて在庫が少なくなった本の重版(増刷)分が刷り上がって、店頭に並ぶことを意味します。作家や編集者など、出版関係者にとっては何よりうれしい単語の1つですね。

そもそも、重版されるということは、その本を多くの人が手にとって読んでくれて本が売れていくことであり、作家さんにとってみれば、自分の作品が世の中に認められた1つのフィードバックであり、作家と二人三脚で書籍を作った編集部からしたら自分が関わったものが売れて嬉しい。出版社としても、人気の作品を輩出させてことで会社全体が売れ行きがあがるということ。しかし、良い本、面白い本であれば必ず売れるというわけではありません。作家の作品性もそうだし、その作家の面白さを引き出し、どう作品を作っていくかを磨き上げる編集がいて、そしてその本をしっかりと書店に営業し、最終的に売ってくれる書店員さんがいます。

書籍を売る、書籍が売れるためには、そこには多くの人たちが作品に関わっているのです。

そんな、書籍販売の様子を描いたもののマンガが、冒頭にあげた嬉しい単語を漫画タイトルに冠した『重版出来!』なんです。

主人公は、女子柔道で五輪を目指す夢をけがで絶たれた黒沢心。世界共通語である「マンガ」に関わる仕事で「地球上のみんなをワクワクさせたい」と、青年マンガ誌の新米編集者として働く様子を描いた作品だ。

主人公は、新米編集者として、出版業界の様々な様子を見聞きしながら常に懸命な姿で奔走する様子を描いている。そこにあるのは「本が好き」といった一心な気持ちに他ならない。いい作品をもっと多くの人に読んでもらいたい。その純粋な気持ちは、次第にまわりを巻き込んでいく。ジャンプで連載されていた『バクマン』は、どちらかと言うとマンガを作る作家にフォーカスを当てていたが、『重版出来』は、作家や編集者だけでなく、「売る側」の存在である営業や書店さんにもフォーカスを当てています。

もちろんこれはフィクションだが、作品を作るにあたり多くの出版関係者にインタビューをして書かれており、かなりリアリティあるものになっている。そして、ここで描かれているものや、読者に伝えたいものは色々と読み取れものがあると思います。

「作る」だけではものは売れません。作ったものを「売る人」「広める人」がいてこそ、良い作品への次第になっていく。どんなベストセラーも、始めはただの一端の作家にすぎません。けれども、その荒削りな作家の良さを引き出し、その良さがいい形になるために一緒になって考えてくれる編集者がいる。編集者は、間近でいい作品だと分かっているからこそ、その自身の仕事に対する情熱を営業部と懸命になって交渉する。部数決定会議の様子が描かれる回もあるが、編集部と営業部との交渉というのも、企業の中でやり取りする中でおこる1つだろう。

その編集の思いを汲み取り、営業がいい作品であると自信を持って押していく。その営業の動きに呼応して、書店員も力を入れて作品をプッシュする。互いに互いの役割を信頼しているからこそできるチームプレイです。もちろん信頼しているからこそ、時に衝突したりもあるわけだが、それは互いを深く知るために必要なことであり、衝突もなく互いに理解しあえるということなんてない。互いに人間であり、人間同士であるからこそ、完全に互いのことが分かり合えなくても、その努力をし続けることが大事になってきます。

仕事に対してもそうで、仕事を懸命にやっているか、仕事然としてふるまうかで日頃見ている世界や見ている風景の解像度が変わってくる。どれだけその作品を考え、その作品が売れるかを試行錯誤する。そんな互いの地道な努力の積み重ねによって仕事は成り立つし、よい結果が生まれてくるのです。もちろん、時に結果が振るわないこともあるかもしれないが、その時に自身の実力や仕事のレベルの低さに涙し、次に活かそうとまた頑張る。そうした、「仕事」に対する考えを知れる一冊かもしれません。

また、こうした仕事の仕方は出版だけに留まりません。ウェブまわり、スタートアップまわりもそうだし、建築設計やNPO、社会起業やコミュニティデザインと呼ばれるような地域デザインやコミュニティづくりのような仕事にも通じるものが多くあります。

どれだけそのサービスのことを考えているか。どれだけ、そのサービスが良いものかを相手に伝えるために懸命になること。そして、いいと思ったものに対して、編集者やデザイナーはそれに心を打たれてサービスや商品、プロジェクトなどをもっと良いものにするためにブラッシュアップして、そこからデザインを考えたりPRを考えたり、コピーライティングを考えたり。それらを含めた全体として、届けたい相手に対してサービス全体の設計を考えるUXを踏まえるかなのです。

こうした思考は、どんな仕事に対しても言えるものではないでしょうか。

まずは、いいものをつくること。そして、そのいいものを人にしっかりと伝えること。そして、それを買ってもらえるための努力をすること。こうした一連の流れを踏まえながら、それぞれの役割に応じた仕事の人たちが、それぞれのプロフェッショナルな人たちが存在します。

『重版出来!』の中でも、いくつか、印象的なセリフがでてきます。

売れる漫画は愛されています。

どんな作品も、やはりそこに作った人の愛があり、その愛が編集者や営業に伝搬し、関係者が愛しているから良い作品になっていく。そしてその愛がきちんと読者に伝わるからこそ、愛される作品になる。漫画に限らず、ウェブサービスでもなんでもそうだが、様々な関わっている人の愛が行き届く様がユーザーに伝わるからこそであり、それこそ、UXとも呼べるものなのではないだろうか。

今回、始めて知りました。自分の手にする単行本は、たくさんの人たちの手を渡って届いているんだって。「作品」であり、「商品」であり、「想い」なんだって。

まさに、作品は一人では作ることはできず、そこに関わる様々な人の愛が手に手をとって伝わっていく。作品の単純な中身やクオリティもそうだが、その作品のクオリティを上げるためには編集者の愛が必要であり、その編集者の愛が営業を突き動かし、書店員を動かす。そうした想いの伝搬こそが、仕事の醍醐味ではないだろうか。

この第1巻の、3月末にでて早々に「重版出来」されたということで、作家のみならず編集者の想いが形になった結果ですね。Twitterなどでも、色々とコメントもされているようで、まとめもあったりします。作家の力、編集者の想い、そして営業や書店員の活躍。ものづくりの現場を見るたびに、こうした様々な人たちの仕事っぷりと、その情熱に自分も色々なところで感激するしまだまだ自分の未熟さを感じるばかりです。

僕自身も、作った人の想いや考え、哲学を知り、いいものだなと思えば思うほど、どうやったらそれがもっと良い物になるかを一緒になって考えていきたいと常に思っています。その愛があるからこそ、時に厳しいことも言うし、時に一緒になって悩んだりもします。仕事として、自分が関わったりするものであれば、絶対にいいものにするだけの努力や意識を常にもつことは考えています。それが「仕事」であり、それが「愛」だと思っているから。それは大変だけどいつも楽しく仕事をしています。

ぜひ、学生の人や、新入社員の人とかに呼んでほしいものですね。第2巻も9月に発売されるとか。2巻も期待です。ウェブサイトも、特設に作って盛り上がっていますね。

ビックコミックスピリッツ「重版出来!」特設サイト | 試し読み



2013/02/26

シベリア抑留体験記『凍りの掌』は、今の時代だからこそ読むべき本



TwitterやFacebookのTL上で色んな人たちがメディア芸術祭に行っているのを横目に、気づいたらメディア芸術祭の会期が終了してしまい、結局行けなかったのが少し残念だったので、6月までやっている「デザインあ展」は、忘れないうちに行こうと思ってる。

ところで、今年のメディア芸術祭マンガ部門の新人賞を獲得した『 凍りの掌』は、授賞した作品全部の中でも個人的に惹かれるものがあったので、買って読んでみた。

『凍りの掌』は、作者であるおざわゆきさんが実父が経験したシベリア抑留体験を聞き取り、それを元に2年半ほどかけて描かれた同人誌を一冊にまとめた作品。シベリア抑留は、第二次世界大戦でソ連軍が侵攻・占領した満州で、終戦後武装解除し投降した日本軍の捕虜やソ連軍が逮捕した日本人らを、シベリアに労働力として移送隔離して過酷な環境の中で労働を強いられてきた奴隷的な強制労働のこと。

氷点下な世界の中、まともな衣服や食料も与えられないまま過酷な労働によって多くの人たちが死んでいった過去の歴史を、可愛らしいタッチの中で淡々とマンガで描かれている様子は、そこに紛れも無い事実なんだということを改めて気づかされる戦争マンガの1つと言える。

祖国にも帰れず、凍った大地の下で多くの仲間達が倒れ、死んでいき、埋まっていった。始めたくて戦争を始めたわけでも、行きたくてソ連に行きたかったわけじゃない。
日本に早く帰りたくて頑張ったのに、日本に結局変えれないまま人生が終わっていった人たちがそこにはいる。

生き残るために共産党員としての教育を受けさせられ、無事に日本に帰ってきたら帰ってきたで「アカ」とみなされ日本国民から揶揄され避けられる。また、抑留者は捕虜とは違うため、補償金もでない状況。忘れてしまいたい過去を背負い、どんなことにも悲観的に考えずただ淡々と生きていくことにだけに専念し、長かった抑留機関を忘れ去ろうとする人たちも多いからこそ、きちんとした資料などが残っていないのもそのためだ。もちろん、このマンガもある程度は脚色されている感も否めないは、それでも、ある程度事実に沿くしているからこそ、真実味も高い内容になっている。

彼らが経験してきたこと、時代の中に翻弄されながらも生きてきた歴史がそこにある。そうした過去の歴史を踏まえず、今を語ってはいけない。自分たちの国の歴史、自分たちが今生きているに至った過程などを、過去の経緯や出来事があったにせよ、過去から学び取るものが大きく、知ることはとても大事なことだ。

戦争から60年以上たち、次第に戦争を経験した人も語れる人も少なくなってきたものだからこそ、こうした体験記や歴史を紐解く文献や資料を残しておくことの重要性は高まっている。戦争という行為が起こす様々な結果や、それによって生まれる出来事を、特に施政者は知っておかないといけない。

『凍りの掌』は、戦争を知らない人たち、特に若い人たちにぜひ読んでもらいたい一冊だとお薦めする。

関連リンク
第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞一覧

凍りの掌:シベリア抑留を漫画に 漫画家・おざわゆきさん、父の過酷な体験聞き取り- 毎日jp(毎日新聞)

2013/01/31

紙とKindleの読書体験の違い


Kindle Paperwhite(Wi-Fiモデル)を自分へのクリスマスプレゼントにしてから、毎日使っています。電車の中や寝る前などのちょっとした空き時間などに有効です。ポケットサイズなので、手ぶらで携帯と財布とKindleだけもって出かけることも多いです。

Kindleについて、色々と使用感などを書いている人も多いので、詳細は省きたいとおもいますが、Kindle FireよりもPaperwhiteが端末としての安さや手軽さ、「読書をする」という機能だけをメインとすることによる使用の制限によって、読むことだけに集中することができます。

ところで、Kindleを使っていてよく言われるのがページ遷移の遅さです。紙のようにパラパラとめくったり色んなページに移行することが難しかったり、Eインクでの表示なので、次のページに行く際のスピードがどうしてももたつく様子があります。途中のページを読むためには、「移動」から指定したページ数を入力するという作業は、あきらかにページを移行することの労力がかかってしまいます。そのため、Kindleはその多くが最初の1ページから読み始めることが多いかなと思います。紙の本の特性として、好きなページを好きなときに開けば見れる、ということ、そして、紙の厚さがもつ手触りや、手の感覚として「なんとなくこのへんにあのことが書いてあったなぁ」みたいなことができるのが特徴だと思います。それがたしかにKindleだといまはできずらいです。

けれども、この最初から読ませることとページ遷移が遅いことは、意外と僕はポジティブに捉えていたりします。

途中からではなく最初から読むことは、書籍の中身によっては最初から順番に読むことで理解ができるものがあると思います。例えば「小説」。一回読んだことがある小説ならまだしも、所見だったら最初からあらすじなりを読んでいかないと物語が理解できず、没入しずらいと思います。また、神だったら途中で内容をスキップして最後のほうにいきなり読むこともできますが、本来の作家の意図としては、その物語に張り巡らせている伏線や様々な心理描写を1から順番に読者に歩ませることで、そのストーリーへと惹きつけさせています。だからこそ、できれば最初から最後までを一気通貫して読むことが一番その作品を理解する方法だったりします。また、小説のほとんどは作画や絵がないため、テキストだらけのため意外とKindleで読んでいても飽きないし、疲れない。また、どこでも端末だけなのでいつでも気軽に読めるというのは、紙だと厚さやページをめくる動作が面倒だったりということを簡素化してくれるため、ただひたすら「次へ」を押していけばいいという意味では、「しっかりと読む」行為として満足できるものです。

また、Eインクの表示がすばらしいため、「読みやすさ」が格段に上がっています。また、ページをめくるたびに、ページ全体がしっかりと表示されるので、「じっくりしっかり読む」ことができます。

実はこの「じっくりしっかり読む」という行為なのですが、これまで紙で読んでいると、なんとなく読んだりしてさっさと次のページにいってしまいがちなものを防いでくれます。また、スマートフォンなどを含めて、多くの人がモバイルでなにかを読んだりする行為が増えてきたなかで、書かれている文章をしっかり読むという体験を疎かにしがちです。そんな中、書かれているものを読み込む行為をおこなうのは、実は文章を理解することにおいて重要なポイントです。


そこで一つ面白い動きとして、週刊ダイヤモンドが、過去に雑誌で特集した記事を再編集し、Kindleで読みやすくすると同時に特集単位で安価で売り出すことを先日から始めました。実は、この動きはとても注目するべきものです。

雑誌には、これまで膨大な量の特集記事が存在します。その内容は、編集部を含めた編集者がコンセプトをたて、ライターがしっかりと関係者に取材をしてできたものです。企画をたて、取材をし、できるだけ読者にわかりやすく記事や文章に落としこむ作業というのは、日々大変な思いで作られていると、僕自身も文章を書く身として、感心してしまいます。そうした文章に対する努力が、いまの情報が溢れておりじっくりと読まれない時代において文章が軽視されがちです。

しかし、Kindleなどの電子書籍では、こうした特集記事に再度フォーカスをあて、綿密な取材を通じて調査した内容が多く存在しています。そして、それらを一つずつしっかりと読みこめば、その業界や対象の研究がスムーズにできるようになれるのです。これまで「流し読み」をしていた記事なども、改めて読んでみることで、新しい発見や気付きをえることができます。また、雑誌も小説と同様に最初から最後まで編集者によって読む手のことを考えてストーリーが作られています。小説と同様に、書かれてることを理解し、没入体験をもつことによって、よい読書体験を得ることができるのです。

1から読むことでの物語の没入、しっかり読み込むことで理解をより深めることができるのは、いまのKindleの仕様だからこそできるものです。もちろん、そうはいってもやはり次のページにうつるページ遷移のスピードはもう少しあってもいいのかなと思いますが、紙とKindleのような電子書籍は、互いに相補関係などもつことができるものであり、「紙か電子か」という論争をしていても仕方のないものです。今回のダイヤモンドの特集記事単位でのKindleでの販売というのは、紙から電子へ、その紙で培ったものを電子書籍でも体験させるということの形の一つでもあります。また、Kindle出版によって、個人で新書ほどいかない程度の短い論文なり出版物をだすことで、これまでの出版という行為のハードルもぐっと下がってきます。

これらを含めて、紙、ウェブ、電子書籍などといったそれぞれのメディアに対応したコンテンツづくりが大切になってきます。まず先に考えるべきは、その作られる中身である「コンテンツ」がもっとも大切であり、そのコンテンツをいかに読者に「伝わる」ためのメディアを選択するか、その選択されたメディアの一つのチャネルとして、紙や電子書籍があるという意識をもつことが大切です。

紙でできる読書体験、電子書籍でできる読書体験はまったく違います。紙は紙のよさ、電子書籍は電子書籍のよさがあります。それぞれの特性を理解し、よいコンテンツを読者に一つでも多く提供できることを、僕たち作り手も考えないといけません。そうした意味で、Kindleは紙の読書体験とは違うんだ、ということが、今回実際にKindleを使ってみて感じたものことです。


2013/01/21

普段目にすることがないであろう日本語の奥深い表現が味わえる『官能小説用語表現辞典』


「聖マリア像」「安達ヶ原の黒塚」「禽獣の嘴(きんじゅうのくちばし)」。
これらすべてが同じものを表現している、ということを聞いて驚く人もいるかもしれない。この3つはすべて、女性器を表した用語として実際に過去に使われた表現なのだ。しまいには、「小宇宙」という表現が使われるくらい、日本語として、かなり奥深いというか、表現豊かなものだと歓心します。これらの単語が収録されている『官能小説用語表現辞典』を買って読んで、言葉の面白さなど、なかなか興味をそそる辞書でした。

先日、セクハラインターフェイスを開発しパフォーマンスをおこなった友人の市原えつこ氏が主催した「これからの性とアートの話をしよう」のイベントに参加してきました。色々なライトニングトークがあったのですが、その中で官能小説の奥深さについて語るライトニングトークもあり、その官能小説の表現の奥深さを痛感した際に、話の中で盛り上がったなかにこの辞書がでてきてたのです。そこで、さっそく買って読んでみたところ、その表現のレトリックや日本語の豊かな言葉遣いの面白さを感じました。

ちなみに、男性器の表現としては「大業物」「イギリス製の鉄兜」「黒曜石」、ときには「荒れ狂うもの」などということで、容姿の表現や好戦的な表現が多くみられます。しかし、その表現の多くは単調であり、女性器と比較すると、「官能小説用語表現辞典」では女性器の総ページを含めると220ページ(女性器以外にも、女性の身体に関する表現全般)に対し、男性器を含めた男性の身体全般は60ページしかなく、ページ数でいうと約3倍強以上もの差がつくくらい、表現されている言葉が違うと言えます。

もちろん、官能小説の読者の主なターゲットが男性である、ということも考慮すべきかもしれませんが。しかしそれを踏まえても、様々な表現や比喩を駆使して表わそうとする意識、そして、その比喩から導かれる言葉の豊かさは、普段のビジネス文章や新書や単行本と言ったもの、ときに小説などの表現とはまた違ったもので、単純に読み物としても読んでて飽きないものだと思います。

ところで、女性がメインの官能小説というものを、あまり見たことはない(おそらく、あるのだとは思うが)し、そしてかたやBLなどおもに女性が読むものに対して、男性が読むレズ同士のやりとりというものも少ない。読者ターゲットと作られる書籍によって色々と表現も変わってくるのかなと思うのと同時に、実際の書籍としての需要と供給がどうなっているのか、考えてみるのも面白いかも。

ちなみにこの『官能小説用語表現辞典』は、もともと大きな辞書だったんだけど、文庫版になって安くて軽くなってるので、ライターとか編集者の人も、騙されたと思って買って読んでみるといいかもと思います。色んな文章を読むところから表現の練習はできると思っているので。誰かに見られても「仕事の一環で」と言えば言い訳もできる、そういう予防線をはれるのではないだろうか。

2013/01/15

「文章を書く」ということを改めて考えさせられる一冊−『20歳の自分に受けさせたい文章講義』


僕たちは日本という国で生まれ、日本語という言葉を小さいことから覚えしゃべったり文章を書いている。それが当たり前であり、特別な訓練をうけなくても問題なく文章を話したり書けると思っている。

話すということは、話されている言葉よりも表情や雰囲気などの非言語(ノンバーバル)なコミュニケーションによって、その伝えたいことの意図が伝わっていると言われている。現に僕も人と対面するときには身振り手振りなどを使って一生懸命相手に伝えようとしている。だからこそ、話し方の訓練やプレゼンテーションスキルのような解説をする書籍や訓練をすることも多いしそうした場も多い。

しかし、「書く」という行為は改めて考えてみるとかしこまって訓練や勉強をしたことはほとんどない。小学校の国語の時間でも、作文の授業は好きなことを書きなさいとか、思ったことを書けばいい、ということしかしていない。
自分の意図を文章というただ一つのメディアを使い相手に届けようとするためには、読んでもらうことを意識したいわゆる「書き言葉」に変換しなければいけない。そして、書き言葉にするためにはそれに必要な技術や構文や文体がある。そうでなければ、読んでもらっても自分が伝えたいと思っている意図が伝わらないからだ。

「伝える」ではなく「伝わる」文章を書く。あらゆる文章はその文章の読者がいる。それは未来の自分やメールの相手、知らない他人やブログの読者など様々かもしれない。どんな文章にも「読み手」が存在する限り、「伝わる」文章を書くことはとても大事だ。
そのために必要な要素とはなにか。それは、感情や感覚と言った曖昧なものではなく、きちんとした論理がそこには存在する。自分が主張したいこと、自分が伝えたいこと、そしてその理由や根拠を踏まえ、それらがしっかりと文章として滞りなくつながっていることが大切だ。

SNSやメールが一般的となり、そして、誰もが情報発信者になれる時代だからこそ、情報を発信するということ、文章を書くということ、そして自分の意見を伝えるということを考えなければいけない。だからこそ、「書く」という行為を改めて考えるきっかけとして、古賀史健氏の著書である『20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)』は読んで様々な気づきを得ることができる書籍だと思う。

僕はいくつかのメディアなどで文章などを書かせてもらっているが、しっかりした文章の書き方を習ったことはない。人の文章の書き方やマインドセットなどを話を伺ったり書籍から読み取り学んできた。正直言えば文章を書いたり編集の世界にいる人たちから見たらまだまだ僕の文章は大したことないだろう。それでも、少しでも相手も読んでもらいたい、相手に伝えられるようになりたい、という思いで日々を過ごしている。だからこそ、なにかしらの文章を書くことに興味のある人にとって、この著書はおそらく僕が感じた気づきと同じようなことが得られるに違いない。

そして、この著書に書かれていることはなにも文章やテキストに限ったことではないと僕は考える。相手に自分の意図や考えを伝えること。それはウェブなどにとっても同様のことが言える。必要性のない華美なデザインやフラッシュ動画、ユーザにとって不親切なナビなどがまさにそうだ。見た目ではなく、ユーザーや利用者が本当のそのサービスにやってほしいことや満足をしてほしいことを叶えることを考えてデザインしていかないといけないというUX(ユーザーエクスペリエンス)の考えを著書からも学ぶことはできる。

著者曰く「読者の椅子に座る」ということ、どんな相手であっても伝えたいことを伝えるための努力をすることは、あらゆる分野の人にとって必要な意識だ。「美文ではなく、正文であるべき」という著者のメッセージは、あらゆる分野の人によっても考えなければいけない考えだ。
当たり前にウェブで情報発信したりウェブメディアを作ることは簡単だからこそ、きちんと自分が伝えたいことを伝えるためにどうすればいいか。改めて考えるきっかけとその技術やスキルを学べる著書の一冊だと感じた。ぜひ手にとって読んでほしい。

2013/01/09

繊細なタッチで描く綺麗な鳥のポストカードと、手紙を書くことの良さを改めて考える


2013年もあけて7日ほどたち、色々と今年をどう動いていくかをしっかりと考えなきゃと思っています。同時に、年始にいただいた年賀はがきを先日すべて返信し終わったところでした。昔は携帯もまだあまりなかったため、中学や高校時代には友人宛に凝った年賀はがきを書いたものでした。時代が移り変わり、TwitterやLINEなんかでさくっと「あけおめ!」とコメントしあったりするのが次第に当たり前になってきたりしているが、そうしたインスタントなやり取りに対して、ときおり虚しさを感じるときもある。SNSでつながりができていることで、いつ、どこで、誰が、なにをしているかがわかったり、昔の友人とFacebook上でつながることで、日常のことが垣間見えすぎることに対して、つながりすぎている感覚をときおりもったりする。そのため、最近はSNSよりも本を呼んだりシェアハウスで友人を読んで鍋をしたりといった、じっくりと考えを巡らせたりまわりの友達とのなにげないやりとりの大切さを大事にしている。

年賀はがきに関しては、絵柄のあるはがきに手書きで書いて返信をしたが、手書きでなにかを書く、ということで最近手紙を書いてみようかなと考えてます。あまり字が綺麗なほうではないけれども、最近はPCやスマートフォンでテキストを書くのではなく、できるだけメモでアイディアを書きなぐったりして五感を使ってメッセージを書き綴っています。

手紙は、送る際に相手に対してテキスト以外に例えばどういった紙を使うか、どういう便箋を使うか、文章になにを書くか、どんな字で書くか、分量はどれくらいか、などを考えることで、相手と自分とをじっくり向き合う時間だと感じます。だからこそ、しっかりと考えを伝えたいと思う人や手紙というアナログなもので文章をしたためていきたい。そうした思いをもって書いていきたい。

そんなことをふと思ったときに、ちょうど去年くらいに面白いポストカードを見つけたので、ふいに買っていたカードを持っていたを思い出した。綺麗な日本の鳥の絵柄が描かれているポストカードで、しかもカードを開けたらモチーフになっている鳥が飛び出る立体カードの仕様になっている。どこで見たかもう忘れてしまったんだけど、たまたま見つけた瞬間に、「お!」と思っていくつか買ったのを覚えている。買ったはいいけどそのままにしていたんだけど、手紙を書くことをやっていこうかなと考えたりしていたので、昔の友人に手紙をこれで送ろうかなと思って棚からひっぱりだしていたところでした。




ユカワアツコさん公式サイト

このポストカード、色々と調べてみるとこのポストカードを作ったのはユカワアツコさんという宮城県出身の方が作られたもので、元々雑誌の編集をやってから、イラストに入った人のよう。鳥好きなユカワさんの鳥たちに対する愛情とその観察眼のすばらしさが、この絵のタッチからものすごく感じられて、いまいち鳥の種類とかを知らない自分でさえも、綺麗だなと感じるポストカード。

トビダストリーと呼ばれるこのポストカードは全部で8種類あり、スズメやツバメ、ユリカモメ(上にある写真は僕が持っていたカード)、シジュウカラ、ヨタカ、カワウ、ハクセキレイ、アケガラとあり、ポストカードにはすべての鳥の鳴き声や季節と鳥の様子を綴った説明がしてあり、日本古来からある鳥を愛でたり昔から鳥に対して日本人が抱いていた考えなどを読むことができます。



(上記3点画像、倉敷意匠より)
また、2010年にはユカワアツコ個展「Tobidustry」という個展も開催しており、鳥をモチーフに描いた作品を展示していたりしていたみたいです。見たかったなと思うので、今後開催されるときには足を運んでみたいなと感じました。

さらに、ポストカードだけでなく「小鳥ならば」冊子も作成されており、季節や鳥の説明を合わせた綺麗な冊子だなと思っています。

こうした、日本にある繊細な様子をしっかりと描き出している作家さんってすごいなと思うと同時に、こうした温もりとちょっとした遊び心がある手紙をしたためるのもありだなと思います。日本は四季があり、その四季おりおりにはそれぞれの顔があり、その様子を感じることで、季節の楽しみを味わうことができます。春には春の楽しみ方、夏には夏の楽しみ方があるように、春には春の鳥や花があり、それらを愛でることを昔の日本の人や季節が過ぎ去っていくのを味わっていたのだと思います。こうしたカードでちょっとした挨拶や手紙を送るのも、昔の人が季節にあわせて歌を歌ったり詩を綴っていたものに近いのかな。

このポストカード、倉敷意匠というこちらのサイトで買うことができ、ここに一覧が載っています。倉敷意匠のサイト自体も、温もりを感じる作品が多く並んでおり、手作りでつくった文芸品や工芸品のよさを感じさせます。興味のある人はぜひ、こうしたカードで誰かに手紙を送ってはどうでしょうか。

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