先日、ホンシェルジュさんに取材された記事がでました。記事は前編後編とわかれているみたいです。
「コーヒーと本」ってことで、コーヒーを飲みながら色んなことを夢想しソウゾウ(創造・想像)するような選書をしました。
社会の常識や当たり前をあえて疑うためにも、歴史や過去を振り返ることの意味はとても大きいと思ってて、そこからあったかもしれない未来やありえないことを考えてみることから、イノベーションだったり新しい価値を生み出す源泉になると思っています。
実はひっそりと活動している「未来編集委員会」で考えてることもちょっと触れています。(こちら、そろそろ本格的に稼働予定でいます)
http://honcierge.jp/articles/interview/63
(前編)
http://honcierge.jp/articles/interview/64
(後編)
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2015/11/02
2015/04/17
藤田一照さんのメールマガジン『仏道探究ラボ』のコラム「仏教とわたし」に寄稿しました
葉山で座禅の研究を行っている藤田一照さん。藤田さんは、著書『アップデートする仏教』などを書かれており、仏教のあり方を現代にあったあり方として見つめなおそうとしている方です。藤田さんが発行しているメールマガジン『仏道探究ラボ』があります。毎月二回発行されているメルマガでは、藤田さんが日々感じていることや発見などを書いたり、読者の質問に優しく答えたりしています。
メールマガジンのなかに、「仏教とわたし」という、さまざまな分野で活動している人たちが寄稿するコーナーがあります。そのコーナーに先日寄稿させていただきました。といっても、なにか大層なことを言っているわけではなく、自分が普段感じていることなどを、仏教の考えなどとも照らしあわせたエッセイのようなものかな、とおもいます。
他にも、藤田さんのメルマガは日々の気づきや仏教の考えを知る機会になるとおもいますので、興味が有る方は覗いてみてください。ゆっくり、深呼吸でもしながら読むのにぴったりなものではないでしょうか。
===========
■ 5.仏教とわたし
「仏教とわたし」と題して、様々な分野で活動中のゲストをお迎えし仏教との
関係性や、仏教に対する考え、思い等をお伺いしたいと思います。
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ゲスト:江口晋太朗さん
編集者/ジャーナリスト
NPO法人スタンバイ理事
仏教やお経の思い出といえば、お葬式のときにお坊さんが話すよく分からない
言葉、くらいだった。はじまりは母方の祖父が亡くなったときで、自分は2歳
かそこらくらいだったので祖父との思い出なんてものはなく、物心ついたとき
から仏壇に手をあわせて飾ってある遺影の顔を見るくらいだった。
祖父との思い出はなかったが、写真やらなんやらで祖父という人がいたという
痕跡だけはそこにあって、幼少期の自分にしてみればなにか不思議な気持ちに
なっていた。年が経ち、自分が中学生を卒業するくらいまで、父方の祖父や祖
母は元気に過ごしていて、自分自身も次第に身体も大きくなり、物事もわかっ
てきて、なんでも世の中が新しいものに見えてきたし、知識や経験も増えてき
た感覚を覚えてきて、世の中がずっとそういった状態が続くのかな、と思って
いた。なのだが、その頃から父方の祖父の体調が悪くなり、入退院を繰り返し
、じょじょに弱っていく様子を見ていくと、人はいつか「死」を迎えるもので
あるということの実感をすごく抱くようになってきた。その祖父も、僕が高2
のときに亡くなり、そこではじめて親しい人との別離を経験した。
人は必ず死を迎えるという免れることのできない事実を現実として体感してく
なかで、はじめて、自分がここに「居る」ということへの問いを立てはじめた。
事実、数年前までそこに「居た」人が、いまではそこに「居ない」。その現実
を受けとけ、しかもそれがさも当たり前のものだと思う自分がいる。それはつ
まり、自分自身がいまここに居ることすら、自分が死を迎えたときにどうなる
のか、自分が生きているとはなんなのか、自分の存在意義や存在証明がどこに
あるのか、といったある種の禅問答のような考えに陥ってしまった時期もあっ
た。
そんなことを救ったのは、ちょっとした他者から自分への感謝の言葉がきっか
けだった。自分が居たことによって誰かの何かの役に立ってもらったと思って
もらったり、誰かが少しでも幸せになれること、多く人が笑顔でいれる世の中
にするために自分ができることを行うことが自分の居場所なんだ、ということ
を気付かせてくれた。そんな思いを胸に、これまでさまざまな仕事をしてきた。
いまは、最先端の技術の研究や、技術と社会のあり方についての調査などを行
いながら、私たちの身近な生活をどのように豊かにできるものなのか、そのた
めの環境を作り上げ、社会の仕組みを次の時代に合ったものにするためのプロ
ジェクトを立ち上げたりしながら、日々を過ごしている。
技術の進化は日進月歩だ。しかし、ややもすると何か新しい技術やアイデアが
生まれると「◯◯が次の時代を作る!」や、「◯◯で、社会が変わる!」みた
いな言説が流布し、多くの人たちがそれに右往左往することがある。実はそれ
は、社会について考えているようでいて、実はそこにいる人間を考えることな
く、技術が社会を変えるものだと勘違いしがちになる。しかし、技術で社会が
良くなるわけではないはずだ。ときに技術は人に万能感を与えがちで、気がつ
いたら人が技術に振り回される、ということになりがちだ。
けれども、機械や技術は自分からは何も変わらないし、ただ機能としてそこに
あり続け、変化せずにいるだけだ。そこに意思を吹き込むのは、人間しかでき
ないものだ。だからこそ、人がどうあるか、人がどう振る舞うか、人がどのよ
うに考え、行動するのかを知ることこそが、社会を知る上で重要なものだと気
がついた。
現代は、さまざまな変化が激しい時代のなかにおいて、人は世の中に対して不
安になる。不安になると、何か確固としたものや絶対的な解を求めがちだが、
そんなものは世の中にはない。自分がいかにして世の中を生きようとするかが
大切になってくる。だからこそ、技術やテクノロジーを知ろうとすると同時に
、人のあり方を知ろうとすることへとつながってくるのかもしれない。
そうした思いで日々を過ごしているなかで、最近になって、仏教に関連した本
を自然と読むようになった。きっかけは正直言えばあまり覚えていないが、親
鸞について書かれたものや、かつての人たちがどのように仏教に接し、どう日
々の生活のなかで大切にしていたか、仏教をもとにどのように日々を過ごして
いたのか、ということに自然と興味がでてくるようになった。
自分が社会においてどうありたいのか。人を信じ、他者との中で生きている気
持ちと、それでも結局人は孤独であるという考え。人と人とが分かり合えない
部分と、分かり合うことができるのでは、という矛盾を抱えながら生きている
。そんな、人生や生き方について悩むたびに、仏教で描かれているさまざまな
ことがらを読みながら、もちろんそこに答えがあるわけでもないが、自分の考
えに納得したり、違った考えをそこから導き出したりさせてもらっている。
正直言えば、浄土なんてものは僕にはわからないし確証もない。けれども、昔
の人たちは自分の行為やその後について、考え、悩み、苦しんでいたなかで仏
教と出会い、そこなかで自分の居場所や自己について見つめなおそうとしてい
た。その姿や弱さを内包していることこそが、人間の姿であり、人はそこまで
強いものでもないし、合理的に動くものでもない。自身も同じような存在なん
だ、ということを気づかせてくれる。
やはりどこかで死の先のことがどうなっているのか考えることがあるが、考え
ることと同時に、死にたくない気持ちと、死ぬことをいつでも待っている自分
がいる。その根底には、人は年を重ね、死があるという事実を知った幼少期の
経験から、どこか死ぬことへの覚悟があるのかもしれない。
毎日、南無阿弥陀仏を唱えているわけではないが、ときおり座禅を組んだり、
写経に参加してみたりしている。その理由は、自己と向き合う時間を作ると同
時に、ときに、社会のなかで自分の居場所や自己の存在を見失っているような
気持ちを、抑え、今一度、自己の存在を客観視するような場として考えている
からだ。日々のさまざまな周囲の情報に振り回されればされるほど自分の足元
が不安定になり、自分がどこにいるのかが見えなくなってくる。だからこそ、
自分がここに「居る」ことを実感するためにも、書籍を通じて仏教の考えを読
み解き、自分自身のあり方を見直そうとするきっかけにしている自分がいる。
仏教は堅苦しいものでもなく、もっと自然にそこにあるもので、かつ、自分と
の対話を行うものなのかもしれない、と最近思っている。それは、公園をゆっ
くり散歩しながら、季節の変わる様子を感じ取りながら周囲にある自然を観察
し、小さな変化に気づいたりすることでもある。ついつい、人のつながりやネ
ット上の振る舞いなんかを気にしがちだけど、そういったものから解き放ち、
自分と向き合うことの大切さ、自分の感覚や感情に正直になり、ちょっとした
行為の変化を読み取れるようになることで、色々なしがらみや複雑な思考をリ
セットして自分の姿がより鮮明に見えるようになってくる。世の中のことを知
ること以上に、自分のことを知ること、自身に向けた解像度の高い視点をもつ
ことが、これからの時代を生きる何かヒントになるのかもしれない。
いまを生きるために、過去を振り返り、過去から学びながら未来を生きようと
する。その未来は、「いま」の積み重ねであり、「いま」をどう生きていくか
を懸命に考えること。そのためにも、自分がいまここに「居る」ことを感じさ
せることによって、前へと向くことができる。そのためのヒントを、仏教は教
えたり感じさせたりするものではないだろうか。
江口晋太朗
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メールマガジンのなかに、「仏教とわたし」という、さまざまな分野で活動している人たちが寄稿するコーナーがあります。そのコーナーに先日寄稿させていただきました。といっても、なにか大層なことを言っているわけではなく、自分が普段感じていることなどを、仏教の考えなどとも照らしあわせたエッセイのようなものかな、とおもいます。
他にも、藤田さんのメルマガは日々の気づきや仏教の考えを知る機会になるとおもいますので、興味が有る方は覗いてみてください。ゆっくり、深呼吸でもしながら読むのにぴったりなものではないでしょうか。
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■ 5.仏教とわたし
「仏教とわたし」と題して、様々な分野で活動中のゲストをお迎えし仏教との
関係性や、仏教に対する考え、思い等をお伺いしたいと思います。
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ゲスト:江口晋太朗さん
編集者/ジャーナリスト
NPO法人スタンバイ理事
仏教やお経の思い出といえば、お葬式のときにお坊さんが話すよく分からない
言葉、くらいだった。はじまりは母方の祖父が亡くなったときで、自分は2歳
かそこらくらいだったので祖父との思い出なんてものはなく、物心ついたとき
から仏壇に手をあわせて飾ってある遺影の顔を見るくらいだった。
祖父との思い出はなかったが、写真やらなんやらで祖父という人がいたという
痕跡だけはそこにあって、幼少期の自分にしてみればなにか不思議な気持ちに
なっていた。年が経ち、自分が中学生を卒業するくらいまで、父方の祖父や祖
母は元気に過ごしていて、自分自身も次第に身体も大きくなり、物事もわかっ
てきて、なんでも世の中が新しいものに見えてきたし、知識や経験も増えてき
た感覚を覚えてきて、世の中がずっとそういった状態が続くのかな、と思って
いた。なのだが、その頃から父方の祖父の体調が悪くなり、入退院を繰り返し
、じょじょに弱っていく様子を見ていくと、人はいつか「死」を迎えるもので
あるということの実感をすごく抱くようになってきた。その祖父も、僕が高2
のときに亡くなり、そこではじめて親しい人との別離を経験した。
人は必ず死を迎えるという免れることのできない事実を現実として体感してく
なかで、はじめて、自分がここに「居る」ということへの問いを立てはじめた。
事実、数年前までそこに「居た」人が、いまではそこに「居ない」。その現実
を受けとけ、しかもそれがさも当たり前のものだと思う自分がいる。それはつ
まり、自分自身がいまここに居ることすら、自分が死を迎えたときにどうなる
のか、自分が生きているとはなんなのか、自分の存在意義や存在証明がどこに
あるのか、といったある種の禅問答のような考えに陥ってしまった時期もあっ
た。
そんなことを救ったのは、ちょっとした他者から自分への感謝の言葉がきっか
けだった。自分が居たことによって誰かの何かの役に立ってもらったと思って
もらったり、誰かが少しでも幸せになれること、多く人が笑顔でいれる世の中
にするために自分ができることを行うことが自分の居場所なんだ、ということ
を気付かせてくれた。そんな思いを胸に、これまでさまざまな仕事をしてきた。
いまは、最先端の技術の研究や、技術と社会のあり方についての調査などを行
いながら、私たちの身近な生活をどのように豊かにできるものなのか、そのた
めの環境を作り上げ、社会の仕組みを次の時代に合ったものにするためのプロ
ジェクトを立ち上げたりしながら、日々を過ごしている。
技術の進化は日進月歩だ。しかし、ややもすると何か新しい技術やアイデアが
生まれると「◯◯が次の時代を作る!」や、「◯◯で、社会が変わる!」みた
いな言説が流布し、多くの人たちがそれに右往左往することがある。実はそれ
は、社会について考えているようでいて、実はそこにいる人間を考えることな
く、技術が社会を変えるものだと勘違いしがちになる。しかし、技術で社会が
良くなるわけではないはずだ。ときに技術は人に万能感を与えがちで、気がつ
いたら人が技術に振り回される、ということになりがちだ。
けれども、機械や技術は自分からは何も変わらないし、ただ機能としてそこに
あり続け、変化せずにいるだけだ。そこに意思を吹き込むのは、人間しかでき
ないものだ。だからこそ、人がどうあるか、人がどう振る舞うか、人がどのよ
うに考え、行動するのかを知ることこそが、社会を知る上で重要なものだと気
がついた。
現代は、さまざまな変化が激しい時代のなかにおいて、人は世の中に対して不
安になる。不安になると、何か確固としたものや絶対的な解を求めがちだが、
そんなものは世の中にはない。自分がいかにして世の中を生きようとするかが
大切になってくる。だからこそ、技術やテクノロジーを知ろうとすると同時に
、人のあり方を知ろうとすることへとつながってくるのかもしれない。
そうした思いで日々を過ごしているなかで、最近になって、仏教に関連した本
を自然と読むようになった。きっかけは正直言えばあまり覚えていないが、親
鸞について書かれたものや、かつての人たちがどのように仏教に接し、どう日
々の生活のなかで大切にしていたか、仏教をもとにどのように日々を過ごして
いたのか、ということに自然と興味がでてくるようになった。
自分が社会においてどうありたいのか。人を信じ、他者との中で生きている気
持ちと、それでも結局人は孤独であるという考え。人と人とが分かり合えない
部分と、分かり合うことができるのでは、という矛盾を抱えながら生きている
。そんな、人生や生き方について悩むたびに、仏教で描かれているさまざまな
ことがらを読みながら、もちろんそこに答えがあるわけでもないが、自分の考
えに納得したり、違った考えをそこから導き出したりさせてもらっている。
正直言えば、浄土なんてものは僕にはわからないし確証もない。けれども、昔
の人たちは自分の行為やその後について、考え、悩み、苦しんでいたなかで仏
教と出会い、そこなかで自分の居場所や自己について見つめなおそうとしてい
た。その姿や弱さを内包していることこそが、人間の姿であり、人はそこまで
強いものでもないし、合理的に動くものでもない。自身も同じような存在なん
だ、ということを気づかせてくれる。
やはりどこかで死の先のことがどうなっているのか考えることがあるが、考え
ることと同時に、死にたくない気持ちと、死ぬことをいつでも待っている自分
がいる。その根底には、人は年を重ね、死があるという事実を知った幼少期の
経験から、どこか死ぬことへの覚悟があるのかもしれない。
毎日、南無阿弥陀仏を唱えているわけではないが、ときおり座禅を組んだり、
写経に参加してみたりしている。その理由は、自己と向き合う時間を作ると同
時に、ときに、社会のなかで自分の居場所や自己の存在を見失っているような
気持ちを、抑え、今一度、自己の存在を客観視するような場として考えている
からだ。日々のさまざまな周囲の情報に振り回されればされるほど自分の足元
が不安定になり、自分がどこにいるのかが見えなくなってくる。だからこそ、
自分がここに「居る」ことを実感するためにも、書籍を通じて仏教の考えを読
み解き、自分自身のあり方を見直そうとするきっかけにしている自分がいる。
仏教は堅苦しいものでもなく、もっと自然にそこにあるもので、かつ、自分と
の対話を行うものなのかもしれない、と最近思っている。それは、公園をゆっ
くり散歩しながら、季節の変わる様子を感じ取りながら周囲にある自然を観察
し、小さな変化に気づいたりすることでもある。ついつい、人のつながりやネ
ット上の振る舞いなんかを気にしがちだけど、そういったものから解き放ち、
自分と向き合うことの大切さ、自分の感覚や感情に正直になり、ちょっとした
行為の変化を読み取れるようになることで、色々なしがらみや複雑な思考をリ
セットして自分の姿がより鮮明に見えるようになってくる。世の中のことを知
ること以上に、自分のことを知ること、自身に向けた解像度の高い視点をもつ
ことが、これからの時代を生きる何かヒントになるのかもしれない。
いまを生きるために、過去を振り返り、過去から学びながら未来を生きようと
する。その未来は、「いま」の積み重ねであり、「いま」をどう生きていくか
を懸命に考えること。そのためにも、自分がいまここに「居る」ことを感じさ
せることによって、前へと向くことができる。そのためのヒントを、仏教は教
えたり感じさせたりするものではないだろうか。
江口晋太朗
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2013/12/04
「僕らが描くこの国のカタチ2014」というテーマで、元日スペシャル「ニッポンのジレンマ」に出演します
(写真は、2013年元日スペシャルのもの)
元日放送予定の、NHKEテレの討論番組「ニッポンのジレンマ」(http://www.nhk.or.jp/jirenma/)に登壇することとなりました。
テーマは「僕らが描くこの国のカタチ2014」
ネット選挙解禁の動きやオープンガバメントといった動きに携わってきている中、国や社会のあり方をどう考えていくか、そして、前回のテーマで「新TOKYO論」ということが話され、これからの東京も含めた都市のあり方や未来、暮らし方や生き方について議論するような場ともつながっていくのかなと思います。
自分自身のテーマとしても、どのように社会の仕組みをアップデートしていくか、という大きなテーマの中で、テクノロジーもデザインも、メディアもスタートアップも、さまざまものを融合させ、新しい価値やこれからの社会にとって必要なものをこれからも作っていきたいと思っています。
そんなことが、話せたらなと思っています。収録はこれからですが、なにかこんなこと話してほしい、という人とかいれば、ぜひ、コメントください。
また、登壇者も豪華で、ビジネス、テクノロジー視点では、Wantedlyの仲さんやChange.orgの絵美、はあちゅうさんに家入さんというメンツ。そんでもって学者、研究者側では、『中国化する日本』の與那覇先生や『永続敗戦論』の白井先生、先崎先生に施先生、そして建築家の藤村さんと、お会いしてみたかった方々との一緒のテーブルということで、どんな話ができるか楽しみです。
お時間ある人は、ぜひ視聴してもらえると嬉しいです。
NHK 新世代が解く!ニッポンのジレンマ http://www.nhk.or.jp/jirenma/form_ga.html
概要
恒例の元日SP!
「僕らが描く この国のカタチ2014」
恒例となった元日の大討論。今回は2時間半にわたり、
70年代以降生まれのジレンマ世代の論客が「この国のかたち」を考える。
「内向き」「保守化」など、大人たちが貼ったレッテルなんて、大きな勘違い!
ジレンマ世代は、この国が抱えた様々な問題を、これまでにない発想で書き換えようとしている。
僕たちの前に広がる、新たな未来地図。 徹底討論で、その姿が浮かび上がってくる。
ゲストパネラー
◇家入一真(起業家・投資家・クリエイター /1978年生まれ)
◇伊藤春香(会社員・週末作家 /1986年生まれ)
◇江口晋太朗(編集者・ジャーナリスト /1984年生まれ)
◇白井聡(文化学園大学助教 /1977年生まれ)
◇施 光恒(九州大学大学院比較社会文化研究院准教授 /1971年生まれ)
◇先崎彰容(東日本国際大学准教授 /1975年生まれ)
◇仲 暁子(ウォンテッドリー株式会社代表取締役CEO /1984年生まれ)
◇ハリス鈴木絵美(Change.org 日本代表 /1983年生まれ)
◇藤村 龍至(建築家・ソーシャルアーキテクト /1976年生まれ)
◇與那覇 潤(日本史研究者・愛知県立大学准教授 /1979年生まれ)
M C
◆古市 憲寿(社会学者 1985年生まれ)
◆青井 実 (NHKアナウンサー 1981年生まれ)
◆橋本奈穂子(NHKアナウンサー 1980年生まれ)
2013/11/18
ウェブマガジン「マチノコト」を立ち上げて2ヶ月が経ったことやイベント登壇、最近考えていることなど
以前、社会を私たちごと化するために。まちづくり・コミュニティデザインをテーマにしたウェブマガジン「マチノコト」をリリースしました という記事の通り、マチノコトというメディアで日々、全国各地の地域づくりの取り組みなどを紹介しています。毎日、全国のローカルのメディアを調査したり、実際に地域で活動しているNPOや個人の方々からの情報をもとに編集し、コミュニティデザインの事例や活動の詳細、行政などと活動している最新の動きについての記事を書いています。
そんな中、ソトコトの2013年12月号が「コミュニティデザイン術」という特集で、studio-Lの山崎亮さんやリトルトーキョーの中村健太さんなど、コミュニティデザインやまちのプロデュースを行っている人たちについての話が紹介されていました。そのソトコトで毎号掲載されているコーナーのひとつ、「まちのプロデューサー論」で、「マチノコト」が紹介されており、マチノコトの編集を担当している僕とモリくんとが、マチノコトを作った経緯やまちづくりに対して二人が考えていること、そしてマチノコトの編集で大事にしていることについて話をさせていただきました。
ソトコトのテーマもコミュニティデザインですし、マチノコトとすごくリンクしていると思うので、近くの書店で見かけたら読んでみてください。

また、発行人である横尾さんと僕とのインタビューが、greenz.jpにて掲載されました。
行政が横展開できる情報発信を!横尾俊成さん&江口晋太朗さんに聞くウェブマガジン「マチノコト」が目指すこと [政治のつかいかた] | greenz.jp グリーンズ
こちらは、当初立ち上げたスタンバイからマチノコトへとシフトした理由や、マチノコトに対する二人の思いについて書かれています。僕自身の話としても、ネット選挙解禁の活動のOne Voice Campaignからのマチノコト、そして、Code for Japanの立ち上げといった活動など、「地域と主体性をもった自治意識、そして市民と行政との協働の可能性とこれから」という今の僕のテーマについても話をさせていただきました。
地域づくりには、個人や民間だけでなく政治や行政も大きく関わってきます。そうした上で、マチノコトでできること、Code for Japanでできること、そして、僕個人としてできることなどを、これから模索していければと思っています。
「テクノロジー」は一つのツールであり、それをどのように使うかを考えることが大切となってきます。そして、情報もただ情報としてあるだけでなく、情報が情報としてきちんと伝わるための場作りや情報のインターフェイス、そしてそれらをトータルで考えるUXといった「デザイン」の側面からも、社会全体を考えなければいけません。政治や行政の問題だけでなく、広い意味でのソーシャルデザインを考える意味でも、今後ますますテクノロジーとの関わりも必要となってきます。
こうした、テクノロジーとデザイン、ソーシャルといったそれぞれの面を、メディアや編集といういったコンテキストを作りコンテンツの場を提供する動きが、これから自分としても本格的になっていくのではないかと考えています。また、都心や地方といったくくりではなく、「地域」というそれぞれが持つ文脈をいかし、これからの時代に再構築する、という意味で、地域や社会全体をアップデートすることが求められてきています。こうした、「アップデート」という意識を持ちながら、さまざまな企画や提案などをしていきたいと考えています。

そして、先のグリーンズの取材の流れの中で、先日行なわれたgreen drinks Tokyoにて、横尾さんと「政治のつかいかた」というテーマでお話させていただきました。横尾さんの著書『「社会を変える」のはじめかた
』、そして拙著『社会をパブリックシフトするために
』などの話を踏まえつつ、マチノコトについてや、これからどう私たちが政治について関わりを持っていくか、といったことについてお話させていただきました。
マチノコト » green drinks Tokyo「政治のつかいかた」にマチノコトの2人がゲストで登壇しました
政治と考えると、とかく選挙とか政局みたいなものだと考えがちですが、しかし実は政治というのは私たちの日常にあるものだと私は考えています。政治家は、私たちの社会の仕組みを作る代理人です。つまり、政治家を選ぶという主権をもち、社会をどのようにしていくかを左右しているのは私たちなのです。だからこそ、自分たちが居心地の良い地域を作るかどうかは、私たちが日頃から地域をどうしていきたいかを考えることなのです。そのために、社会をどう「私たちごと」していくか。そのためのマインドシフトを起こすことが大切なのだと考えています。
他人任せではなく、自分たちで作るという意識、そのために社会をDIYしていく精神、その先にあるDIWOという協働の精神を持つことが、これから求められていると考えています。
Post by Shintaro Eguchi.
そんな中、ソトコトの2013年12月号が「コミュニティデザイン術」という特集で、studio-Lの山崎亮さんやリトルトーキョーの中村健太さんなど、コミュニティデザインやまちのプロデュースを行っている人たちについての話が紹介されていました。そのソトコトで毎号掲載されているコーナーのひとつ、「まちのプロデューサー論」で、「マチノコト」が紹介されており、マチノコトの編集を担当している僕とモリくんとが、マチノコトを作った経緯やまちづくりに対して二人が考えていること、そしてマチノコトの編集で大事にしていることについて話をさせていただきました。
ソトコトのテーマもコミュニティデザインですし、マチノコトとすごくリンクしていると思うので、近くの書店で見かけたら読んでみてください。
また、発行人である横尾さんと僕とのインタビューが、greenz.jpにて掲載されました。
行政が横展開できる情報発信を!横尾俊成さん&江口晋太朗さんに聞くウェブマガジン「マチノコト」が目指すこと [政治のつかいかた] | greenz.jp グリーンズ
こちらは、当初立ち上げたスタンバイからマチノコトへとシフトした理由や、マチノコトに対する二人の思いについて書かれています。僕自身の話としても、ネット選挙解禁の活動のOne Voice Campaignからのマチノコト、そして、Code for Japanの立ち上げといった活動など、「地域と主体性をもった自治意識、そして市民と行政との協働の可能性とこれから」という今の僕のテーマについても話をさせていただきました。
江口 「政治をもっと身近に」というときに、国や世界といった大きなものごとを考えてしまいがちですが、それだと概念的ではなかなかイメージが沸きません。そこで大事になるのが、目の前のことに目を向けることだと思うんです。
道端にゴミが落ちていたり、標識が壊れていたり地元の子育て問題を考えたりといったところから、社会や政治との関わり方が見えてきます。また、そうした課題があることを認識するだけではなく、課題を課題だと広く共有することも一つの政治参加です。例えば、ひとつのツイートで、オピニオンが広がっていくこともありえます。
小さくてもいいから、具体的なアクションを積み重ねていくことでしか、社会は良くならない。そのためには、自身の住んでいる地域や暮らしを見つめなおすことが大切です。(グリーンズインタビューより抜粋)
地域づくりには、個人や民間だけでなく政治や行政も大きく関わってきます。そうした上で、マチノコトでできること、Code for Japanでできること、そして、僕個人としてできることなどを、これから模索していければと思っています。
「テクノロジー」は一つのツールであり、それをどのように使うかを考えることが大切となってきます。そして、情報もただ情報としてあるだけでなく、情報が情報としてきちんと伝わるための場作りや情報のインターフェイス、そしてそれらをトータルで考えるUXといった「デザイン」の側面からも、社会全体を考えなければいけません。政治や行政の問題だけでなく、広い意味でのソーシャルデザインを考える意味でも、今後ますますテクノロジーとの関わりも必要となってきます。
こうした、テクノロジーとデザイン、ソーシャルといったそれぞれの面を、メディアや編集といういったコンテキストを作りコンテンツの場を提供する動きが、これから自分としても本格的になっていくのではないかと考えています。また、都心や地方といったくくりではなく、「地域」というそれぞれが持つ文脈をいかし、これからの時代に再構築する、という意味で、地域や社会全体をアップデートすることが求められてきています。こうした、「アップデート」という意識を持ちながら、さまざまな企画や提案などをしていきたいと考えています。
そして、先のグリーンズの取材の流れの中で、先日行なわれたgreen drinks Tokyoにて、横尾さんと「政治のつかいかた」というテーマでお話させていただきました。横尾さんの著書『「社会を変える」のはじめかた
マチノコト » green drinks Tokyo「政治のつかいかた」にマチノコトの2人がゲストで登壇しました
政治と考えると、とかく選挙とか政局みたいなものだと考えがちですが、しかし実は政治というのは私たちの日常にあるものだと私は考えています。政治家は、私たちの社会の仕組みを作る代理人です。つまり、政治家を選ぶという主権をもち、社会をどのようにしていくかを左右しているのは私たちなのです。だからこそ、自分たちが居心地の良い地域を作るかどうかは、私たちが日頃から地域をどうしていきたいかを考えることなのです。そのために、社会をどう「私たちごと」していくか。そのためのマインドシフトを起こすことが大切なのだと考えています。
他人任せではなく、自分たちで作るという意識、そのために社会をDIYしていく精神、その先にあるDIWOという協働の精神を持つことが、これから求められていると考えています。
2013/09/14
社会を私たちごと化するために。まちづくり・コミュニティデザインをテーマにしたウェブマガジン「マチノコト」をリリースしました
9月1日の日に、コミュニティデザインマガジン「マチノコト」をリリースしました。
このサイトは、もともと防災情報マガジン「Standby」という名前でした。NPO法人スタンバイを運営する港区議会議員の横尾俊成さんが発起人となり、greenz.jp編集長のYOSHさんや友人で編集者・コンテンツディレクターのJunyaMoriくんらがアドバイザーとなって運営していました。
2011年3月におきた東日本大震災を経験した私たちは、いざというときのために備えをしておかなければいけないことを痛感しました。しかし、防災に関する情報が集まっているメディアがあまりありませんでした。そこで、防災に関する様々な情報やイベントを企画し、地震に対する備え、防災というものをより身近な問題として認識してもらうために、2012年9月1日に「Standby」はリリースされました。9月1日は防災の日であり、9月の上旬は防災週間として様々な企画やワークショップなどを行っていました。
1年近く運営してきたStandbyのメンバーは、防災に特化した情報を発信していく中で、「防災」という問題にフォーカスすることで、元々防災に興味を持った人にしか届いていないのでは、という考えになりました。もともと「防災」と強く意識して活動するものではありません。防災といった問題解決のためには、自分が住んでいる地域や、近隣に住んでいる人たちとの地域コミュニティなど、身近な問題を通じて街のことについて考え、そこから地域のことだけでなく、社会について考えるきっかけとなってきます。防災というシングルイシューではなく、政治や行政、街のことについて考えるきっかけを作ることで、そこから防災も含めた、教育や医療など様々な社会問題に目を向けやすくし、日々の暮らしに新たな気づきがでてくるのでは、といった考えに至りました。
そうした、防災だけに特化しない形にするべきではないか、といった相談を横尾さんから受け、上記にあるように地域コミュニティやまちづくり・コミュニティデザインにフォーカスしたものにしたらどうかと、Junyaくんと一緒に提案し、現在の「マチノコト」へとリニューアルすることとなりました。ありがとうございました。
リニューアルの詳しい経緯などは、発行人の横尾さんへインタビューした記事を「マチノコト」に掲載しています。そちらをご覧ください。
マチノコト » Standby、そして「マチノコト」へ。発行人・横尾俊成が語る防災とまちづくりの未来
サイトリニューアルに際しては、友人でウェブデザイナーの那須カズノリさん(MINIMAL DESIGN)にデザインしていただきました。サイトのコンセプトをきれいにデザインしてくださり、また、迅速な対応で素晴らしいサイトにリニューアルができました。
地域のコミュニティを作り、身近な問題に目を向け、そして自分たちの力で市民社会を築くための情報を発信していくこと。これは、6月に出版した『パブリックシフト
だからこそ、社会をパブリックシフトしていく一つのメディアとして、「マチノコト」が考えるコンセプトや動きは、リンクしているのです。10月に発売する、横尾さんの書籍『社会を変えるのはじめかた〜僕らがほしい未来を手にする6つの方法〜』も、まさに今私たちが生きている社会を私たち自身の手でどう作っていくか、といった内容になっています。この本は、まさに『パブリックシフト』とはからずも物語がつながっているのです。そうした横尾さんと僕の考え、そして友人のJunyaくんの編集やコンテンツ作りといった動きにより、これからの社会にとって必要なアイデアや取り組みを「マチノコト」なりに編集し、届けていけるのではと思っています。
参議院選挙も終わった中で、参議院選挙での内容やそれらを踏まえた今後をどう考えていくかといった内容を書いた私の2冊目の書籍も、9月末か10月上旬に出版を予定しています。その本の中で、「これからの社会を考える5つのポイント」といった項目があるのですが、その中に、まさに「マチノコト」とリンクしたこととして「シビックプライド」を挙げています。シビックプライドとは、自身の街に愛着や誇りを持ち、日々のコミュニケーションなどを通じて街を良くしていこうとする意識を持つことです。まさに、「マチノコト」で表現したいことの一つが「シビックプライド」であり、地域のあり方を考えるコミュニティデザインをもとに、新しいまちづくりを私たちで実践していくことが求められているのです。
まだまだ始まったばかりの「マチノコト」ですが、一緒に「マチノコト」を作っていきたい編集やライターを募集してます。今後は、NPO法人スタンバイの事業の中で行政と連携した取り組みや、引き続き防災関連の取り組みなども実施していきながら事業としての法人運営も行っていきます。また、全国各地のまちづくりなどの事例もぜひ教えてください。できるだけ、「マチノコト」の中で紹介したり、一緒に企画などを作っていければと思っています。
2013/06/25
Tokyo graffitiの「シェアハウス世代!」特集に掲載いただきました
Tokyo graffitiの7月号に、掲載いただきました。「ルームシェア世代!」特集、ということです。
シェアハウスとして、2012年10月から友人と4人で住んでいますが、僕個人としてはシェアハウスをする、ということに対しては、あまり抵抗がないというか、そこまで特別感を持っているわけではありません。
自衛隊時代は、先輩と一緒に4人部屋だったり、同期と一緒に10人部屋だったりと生活をしていました。また、仕事をしている関係上、家のでの仕事も多く、プライベートと仕事の仕切りが曖昧な感覚でずっと過ごして来ました。そうした意味でも、ウチとソトという関係もそこまできっちりしておらず、生きるように働いているのかな、という意識でいます。
特集で他のシェアハウスを読んでみると、気の合う仲間とのシェアや、カップルと友人というシェア、同じく家で仕事をしている人たち同士のシェアなど、ここ数年でシェアハウスが盛り上がっていると思われている中、ある程度の落ち着きを見せ始め、シェアハウスをすることが特別なものではなく、「何をするか」「誰と住むか」ということに対して意識が向いているような気がします。
自分自身で、どう生きたいか、どう暮らしていきたいかを、今の時代に改めて考えることが必要なのではないでしょうか。シェアかどうかが問題ではなく、「どう生きたいか」。その中で、シェアをするという選択肢が、ひとり暮らしの選択肢と同列に当たり前に並ぶようになってくるのではないだろうか。
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