2013年7月21日に行なわれた参議院議員通常選挙。結果としては、前回の衆議院選で与党となった自民党が65議席を獲得した結果となった。
今回の選挙の結果は、どんな結果であってもそれが民主主義の世界で決まったことに対しては一定の正当性があるため、受け入れなければいけない。それぞれ候補者として立候補した方々には賛辞の言葉を述べたい。当選した議員は、これからの6年間を、しっかりと有権者のための政策を立案し、しっかりと形にしていく政治活動を行なって欲しい。
こうした現実を受け入れつつも、これからも数年、これからの未来を私たちはどう考えていかなければいけないのかを思案していく必要がある。
かつて、民主党が政権と取った09年の政権交代から数年での自民党への政権交代。東日本大震災もあり、民主党への政権運営能力に対してはたしかに多くの反省すべき点が多かったことは否めない。それは、民主党自体がいくつもの党が寄せ集まってできた党であり一枚岩でなかったこと、今の民主党になってからの若手議員が多くはなかったこと、そしてしっかりと党内のコミュニケーションが統制されてなかったことなどあるだろう。しっかりとしたチームビルディングができてなかったことは、企業において考えても経営状況として良くない対応が見受けられたからだ。
09年の政権交代以前の自民党における長期政権は、それまでの高度経済成長期においては、ある程度の経済成長の見通しがあった上での長期戦略に意味があったかもしれないが、
これからは10年後に何が起きるかも分からない。だからこそ、10年20年計画を立てつつも、それらを完遂するために躍起になるのではなく、随時修正をかけていきながら開発していく発想も求められるのかもしれない。そのためには、それまで官や公のみが担ってきたものを、民や私と協働する共創的社会を作りだしていかなければいけない。
その中で、多様なライフスタイル多様な生き方をしている人たちを認識し、しっかりと受け止め、彼らの立場を尊重するための多様な社会のあり方を模索しながら、市民からの意見を集約して判断し、実行していく政治家や政党を作っていかなければいけない。
今回の結果を受けて、民主党自体の抜本的な改革が必要だ。いわゆるな旧来的な左翼などではなく、新しいリベラルな存在の人たちによって民主党を構成させる必要があるのかもしれない。民主党が終わったという意見が一部あるかもしれない。しかし、ここから新しい政党を作っていこうと思うほうがハードゲームだ。新しいリベラルを作っていくためには、既存の民主党を中から壊していく存在が必要かもしれない。かつての自民党において小泉純一郎氏が掲げたように、「民主党をぶっこわして、新しい民主党を作っていく」若い存在により、革新と民主主義を掲げる政党の存在がなければ、現状の与党自由民主党の勢力がひたすら続いていくものとなる。それでいいと思う人が多いのならばそれが民意かもしれないが、やはりアンチテーゼとなる存在がしっかりと機能し、バランスの取れた環境を作ることは、政策をブラッシュアップしていくという意味において有権者にとっては自民党側にとって意味があることだ。
時代を生きていくためには、強いものでも賢いものでもなく、変化に対応していく人たちというダーウィンの言葉にもあるように、未来が誰にも予想されない時代だからこそ、変化に柔軟に対応しながら、長期的グランド・デザインを作り上げ、そのためにどういった施策が必要なのかを継続的に思考していくことだ。
今回の選挙では、シングルイシューを強く掲げた候補が当選したかもしれない。しかし、政治家として当選することと実際に国会の中においての政策立案能力はまた違う。しっかりと国会で役割を果しているか、有権者自身が政治家を日々ウォッチし続けなければいけない。議員の評価は、マニフェストという公約ではなく、その中での実績をしっかりと評価していかなけばいけない。そのためにも、国会にて真面目に活動している政治家に対して、私たち自身もきちんと評価をする仕組みを作っていかなければいけない。そうでなければ、政治家自身も日々のモチベーションを保つことはとても難しい。改めて、政治は政治家のものではなく、私たち有権者が作っていくという意識を持たなければいけない。
国会議員は、国のあり方や社会のあり方を調整し、形にしていく存在だ。私たち有権者が、政治のあり方がどうあるべきかを考える必要がある。今までが、政治の話などを家庭や学校で話すことがタブーとされた時代だったかもしれないが、政治はもっと身近な、地域の問題からでも政治に触れることはできる。自分がどうしたいか、どういった社会でありたいかを考える。その中で、結果として政策や法律に対して意識を持てるようになる。そのための、政治に対する情報環境を再設計するための仕組みや教育改革を行なわなければいけない。
今回から始まったネットを活用した選挙運動では、結局はポピュリズムの増幅装置でしかないと決めつけるのは時期尚早だ。政治や選挙の世界にインターネットがしっかりと根付くのはまだまだ時間がかかるかもしれない。これからに向けて、今回のネット選挙によって生まれた良い効果をきちんと分析することが大事だ。実際に、投票先をネット上で公開する人も一部にいた。政治に中立中庸であるべきというものではなく、しっかりと応援する政治家を個人として応援する姿勢を取ることは、政治家本人にとっても大きな力だし、有権者側にとっても1つの指標になる。もちろん、誰々が入れたから自分もというものではなく、そうした情報はすべて判断材料の1つという認識の中で、自分が誰に入れるのかとしっかりと考えなければいけない。選挙や政治や、政治家のものでははなく、有権者である私たちのものだ。選挙運動も、私たち自身がどんなことでもいいので自分の意見を発信していくことだ。有権者ができることは今回の改正で大幅にできた。その中で、私たちがどんな行動をするのか。一緒に考えていかなければいけない。同時に、改めて公職選挙法自体の抜本的な見直しが必要だ。今回の選挙をうけてそれぞれが色んな思いや矛盾を考えたかもしれない。その中で、どういった公職選挙法がいいのか。有権者にとって真の意味にふさわしい選挙のルールを作っていかなければいけない。
そして、結果もそうだが選挙期間中の様々なポジティブ、ネガティブな動きが見受けられたが、こうした現状を作っているのは有権者である私たちだ。あらゆる形で私たち有権者の意識が反映されるのが選挙だ。ネット選挙が解禁したからダメになったという言説はロジックとして少しおかしいものがある。ネット選挙は1つのハードとしての存在だが、そのハードをしっかりと使いこなすためにはソフトの部分が重要だ。結果として、選挙はソフトの部分が反映される世界。ルールが変わったならばそのルールの中で戦うことに対してルールを責めてはいけない。
もちろん、結果に対して思うところはあるかもしれない。しかし、過去は変えられないかもしれないが、未来は変えることはできる。未来を変えていくという希望を持って行動する以外に選択肢はない。どんなに絶望的だと思っていても、社会で生きていく限り目を逸らすわけにはいかない。
当たり前だが、今回の選挙で何かが大きく変わったわけじゃない。今回の選挙運動や選挙のことだけでネットの可能性を閉ざすのではなく、日頃の政治活動にもネットをしっかりと活用してもらいたい。日々の活動の1つ1つが未来につながり、しっかりと議員としての成果を可視化し、未来の候補者は、候補者としての信頼性を持ちうるだけの成果のストックができるのだから。
引き続き、国政以外にも地方選なども選挙が控えている。選挙のたびに、自分がなぜその人に入れたか、どうして入れたかということを、それぞれの個人の判断意識でいいから考え、入れたことに対して納得を持って投票出来るようにして欲しい。そのための情報を、常日頃から少しづつとっていくための情報環境が必要だ。
投票は、政治家を決める1つの結節行為だ。しかし、政治に参加できるのは投票だけではない。身近な行政問題に対して声をあげたり街づくり会議などに参加し意見を発することからでも政治は始まる。そうした行為の1つ1つが社会を変える動きになりうるのだ。
今回のネット選挙も踏まえて、改めて政治の世界全般のコミュニケーションデザインを見直さなければいけない。瞬間的な盛り上がりではなく、継続的なコミュニケーションのあり方を見直すことだ。日々の政治活動の1つ1つ、リアルとネットを踏めえた有権者とのコミュニケーション含めたやりとりを作り、政策に対する意見をともに考え、対話をしていくためのコミュニティを作っていくこと。それでしか、政治は変えられないし、まだまだ変えることができる可能性は残っている。そのためには、若い人たちからの議員をだす必要性がある。未来に対して希望と思いを持ち、それでいて新しいテクノロジーや技術に明るく、積極的に取り入れようとする前のめりな姿勢を持つこと。先生と呼ばれているのではなく、地道に様々な可能性を吟味し、泥臭く様々な分野の人たちとコミュニケーションを取っていく存在にならなければいけない。そこから、未来に希望を持っていきたい。その中で、入れたいと思う人を見出し、若い世代も含めた、本当に未来を考えて行動する人をしっかりと応援していかなければいけない。
今後、ITの分野がまだまだ成長を図れる可能性を持っている中、今回の結果でIT業界へ精通する人が減り、またNPOや教育の分野に対しての人材が減ったことに対しては打開策を見出さなければいけない。日本のデジタル化を推進する上で、ITの力や多様性をもった人たちに対する認知やアプローチは必要だ。オープンデータやオープンガバメントのような、政治行政からの一方的なものではなく、市民からの積極的な参加を促す仕掛けを作るためにも、コミュニケーションの分野やデジタルの分野において精通している人材が政治の世界に入らなければ、今後の未来の可能性の1つを無くしてしまう。
今回与党になった自民党に対しても、賛成するところと反対するところもある。野党である民主党でも、賛成と反対がある、個々の政策に関しては、各党それぞれの意見もあるだろうし、各論毎に是々非々で考える必要がある。私個人としては中国や韓国などとのアジア圏における経済圏を作り出し、その中でアメリカとも協働できるものを見出す。原発も最終的に撤廃していくべきだが、そのための段階的なステップを踏み、確実なKPIをもとに段階的な撤廃を目指すことが現実的だ。TPPに関しては、まだまだ議論の余地があるが現状として議論がされつくされていない中での採択では、あまり良い結果を生まないのではないだろうか。
ネット選挙の価値は、地方にこそチャンスはあると考えている。政治家や候補者と有権者との距離が近く、リアルとしての接点をネットが補てんする、現実の拡張されたリアルの延長線としてのフィールドとして機能し、継続したコミュニケーションを行なっていくことだ。地方では千葉や横浜、福井の鯖江などでオープンデータに関してなど、様々なケーススタディが起こっている様子をしっかりと成功事例とし、全国に広めていく可能性は大いに秘めている。地方から変えていくことで、日本は良くなっていくだろう。
東京も、オリンピック誘致もそうだが、様々な分野において世界におけるプレゼンス不足は否めない。そのために必要なコミュニケーションデザインのための役職を作るのもありだ。例えばCCO(Chief Communication Officer)の設置。これは従来の広報やPRというような狭義ではなく、組織内のコミュニケーション体制や情報管理、市民から意見を集約し、そして市民参加を促すためのコミュニティ作りを行えるという広い意味でのコミュニケーションを担うCCOという存在だ。若しくは、NY同様にデジタルへの強化を強め、デジタルの分野におけるイノベーションを創発するCDO(Chif Digital Officer)の設置も大いに可能性を秘めている。事実、NYのCDOは私と同世代のレイチェル女史が担っており、NYのデジタル化の推進によって、様々なベンチャー企業もNYに集約し日々新たな動きを起こしている。こうした分野には、やはり私たちくらいの年代の若手を抜擢し、多様な世代にアプローチして、市民からの意見やを集め、市民の活動を支援しいてく立場として東京自体の活性化や全国それぞれの自治体の次のフェーズにいくために必要な存在かもしれない。
様々な局面において、日本の政治行政はアップデートを図っていかなければいけない。次の時代、これからの時代に対応するためには、未来を見据え、その中でこれからすべきことを導き出し、アクションプランを考え、少しづつ実行していくことが必要だ。旧来の思考のフレームを一度外し、新たな視点を持って政治行政を作っていかなければいけない。
これまで、昨年の衆議院選や今回の参議院選挙などで、10代の若い人たち、20代の同世代の人たちの政治に対する意識を持とうとアプローチするムーブメントが起きてきた。やっと、若い人たちから政治への活動が盛り上がってきた昨今において、こうした動きを止めてはいけない。これまでの動きを一時のブームにしてはいけない。未来を担うこれからの世代や、政治や社会に対して希望を持てるようにすること。未来に対して積極的に声をあげ、意見を持てる社会にしていかなければいけないのだ。
そのためには、ネットの世界だけではなく、リアルの世界における対話を充実させ、多様な人たちと意見を交わし、自身の考えをブラッシュアップしていく必要がある。そこには、意識の高い人たちだけが集まっても意味はない。あらゆる人たちが同じラウンドテーブルに座り、相手の意見をまずは聞き、そこから自身の意見と相手の意見とを交わしていく。それは、ディベートで相手の意見を負かすことでも、自身の意見を相手に押し付けるようなものではない。互いの意見の違いを認識し、認め、そこから妥協点を見出すために何ができるか、互いの意見とは違った考えや発想はないか、そこから新しいソリューションやイノベーションが起きるものないかを模索することが大事だ。
次は、2015年の統一地方選挙や、次の衆議院選、参議院選挙が1つのマイルストーンかもしれない。それまでに、今回の反省点や改善ポイントを洗い出し、そこから次への新たなステップを、私は踏んでいきたい。
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