2014/01/27

28日にせんきょCAMPでトーク、31日にスクーで授業やります−−都知事選をきっかけに、東京の未来について考えよう



1月28日に、せんきょCAMPで都知事選を踏まえながら東京の未来について考えよう、といった話をさせていただきます。

■YouthCreate: 【1月28日緊急開催】世界の中の東京・日本~せんきょCAMP【東京】FESTIVAL×YouthCreate ~ http://youthcreate.blogspot.jp/2014/01/128campfestivalyouthcreate.html

また、31日にはオンラインの授業サービス「schoo(スクー)」で建築家の藤村龍至さんと一緒に授業をします。

■2014年東京都知事選から、東京と日本の目指すべき姿を考える http://schoo.jp/class/402

藤村龍至さんとは、元日に放送されたNHK Eテレ「ニッポンのジレンマ」でもご一緒したのですが、そこで話があまりできなかった都市の課題や未来についてどこかで話ができたらいいなと思っていたら、ふとしたことからスクーで話をさせてもらうことになったので、色々と楽しみです。授業では、参加者のみなさんとのディスカッションも多くとって、参加者と一緒に東京について考えるきっかけとできればと思っています。

どちらも、都知事選そのものよりも、都知事選をきっかけに東京の未来や目指すべき姿について考えよう、という趣旨のイベントです。選挙前のブログ(eguchishintaro.blogspot.jp/2014/01/tokyo-tochiji.html)でも書いたのですが、東京という都市がどうあるべきか、そのための議論が足りないと最近感じるところです。

家入さんの立候補者で一部では盛り上がりを見せていますが、たしかに政策をボトムアップで吸い上げていくこと、選挙期間中でのネットを通じた盛り上がりはものすごく良いことです。しかし、同時に選挙の時にだけ盛り上がっても意味がありません。選挙期間以外でも、どれだけ議論ができるかが大事です。

もちろん、僕らが声をあげ意見を出していくという意味では、ネット選挙において今回の形は面白い取り組みだと言えますし、その点はものすごく評価できると同時に、今後のやりとりにも注目していければと思っています。注意すべきは、ボランティアで活動されている人たちが公職選挙法に引っかからないように、注意して活動してもらえたらと思います。

政策について市民が意見を言えるようになってきた社会という意味では、大きな意味を持ってきています。その次のフェーズとしては、ただ意見を発信して終わりではなく、それらをきちんとまとめ、実際の政策として反映させ社会の仕組みを最適化させていくことが必要です。そのための手法としてのオープンガバメントであり、目的としてはその政策が実現されて、始めて意味がでてくるものです。最終的に誰が知事になっても、みなさんが出した意見というのをきちんと政策やその後の都政に反映させることが重要なのです。

そのためには、実現可能性を高めるための根拠をもとにした政策提言もしていかなければいけません。そのための議論を、広く多くの人たちとともに行なって形作っていき、意見を届けるだけでなく実現へと推し進めるための地道な活動が必要なのです。私も関わっている、オープンデータを推進するOpen Konwledge Foundation Japanも、内閣府や各種官公庁の方々とやりとりをしながら、全国各地の自治体らと連携しながらオープンデータ化を進めています。

もちろん、地道な活動だけでは普段はなかなかフォーカスされにくいため、こうした選挙時や著名な人たちによる協力や発信に意味がでてきます。海外では、セレブリティこそ政治的な発言をする人も多く、自分の主義主張をきちんと発信している姿を見ることができます。

原発などのエネルギー問題も、高齢者問題、医療や介護といった福祉、教育やインフラ整備など、さまざまな政策論点が選挙では言われていますが、都市計画においてはそれらは個々の問題でしかなく、それらを包括した大きなビジョンとしての都市のあり方そのものを議論することが、圧倒的に足りていないのは確かです。

2016年に開催されるブラジルのリオデジャネイロでは、オリンピックをきっかけに都市計画を大きくたて、スマートフォンやインターネットなどのテクノロジーを活用し、政策決定に対して市民を積極的に巻き込むオープンガバメント施策を行ったりしています。(このあたりは、最新号のWIREDvol10 に詳細が載っています)

都市がどうありたいか、その中で自分たちの生活や暮らしがどうあるべきか。そして、そのために必要なテクノロジー開発も推し進めていかなければいけません。市民の意識を創発させ、新しいアイディアを生み出すための場作りも必要です。フューチャーセンターコミュニティオーガナイジングのような動きも近年日本でも注目されるようになってきました。そうした場を通じて、広く多くの人たちと対話をする場がこれからもっと重要になってきます。こうした都市の未来を考える「Urban Future」という取り組みが世界でも起きているように、東京の未来を考える「Tokyo Urban Future」といった取り組みを起こそうと、いま実は構想しています。もし、興味がある人はご連絡ください。

今回の都知事選をきっかけに、都市の未来を考える意識を多くの人がもってもらえることが、未来を作る一歩かもしれません。




2014/01/22

日本、世界から見た東京としてのあるべき姿、未来のあり方について議論する場としての都知事選であるべき




都知事選が面白くなった、などと言われているが、面白いと感じた後になにが待っているのかをみんなは理解しているのだろうか。

わたしたち都民の意見はさまざまだ。少子化、高齢化問題、医療や福祉、教育、介護、労働環境や環境問題、インフラ整備などさまざまなものがあり、その中の争点の一つとしてエネルギー問題がある、という位置づけである。

だからこそ、現在言われているような「脱原発」というワン・イシューだけが争点であることはあってはならない。もちろん、政策の訴えるポイントとして、一番有権者に対してリーチできる課題としてのエネルギー問題であることはあってよいが、それ以外の争点がおざなりでは元も子もない。

インターネットを活用した選挙や、メディアの接触時間の増加における選挙情報に対する入手の容易さやその情報の多さの中で、一つの政策だけで訴えていくことはそもそも難しい。ネット選挙の時代においては、多様化したイシューに対してどのように対処し、そうした上で、都知事という行政のトップとして、東京の未来をどうしていくか、という考えを示さなければいけない。


日本、そして世界からみたときの都知事という存在
参議院や衆議院の一議員を選ぶのとは違い、いわば大統領選挙の仕組みに近い都知事選挙は、東京という都市の方向性を定めそれを実行する人を選ぶための選挙であり、そこで選ばれる人は大きな影響力を持つ。

これまで、地方選挙は国政に比べてないがしろにされつつある傾向にあった。しかし、自分たちの日々の暮らしや生活に最も影響するのは、地方選挙であり、知事や地方議会の議員を選ぶことで、地域の生活に影響を及ぼすということを、きちんと認識すべきだ。

国政とはいわば予算配分を考えることであり、全国各地の地方の代表者としての国会議員であり、それを調整していくのが本来の仕事である。だからこそ、もともと大選挙区や中選挙区をもとに多様な意見を取り入れようとしたものが、一人しか当選できない小選挙区制度では、得票が見込みやすい世襲議員やタレントに偏りがちであり、また議員そのものがその地場とのつながりがあまりにも強くなりすぎて、大局的な国政の運営ができる存在から離れていく、という問題もあった。

そうしたものを補填として、全国各地の都道府県知事の存在は大きいと考える。地域全体の意見の集約の形として知事や各議会の存在があり、法令などに対して議会と知事がやりとりをしながら利害調整を行い、地域の総意としての意見をその地域の代表として、国会に対しても影響力を及ぼすことができるのが知事なのではないか。

ましては、東京都知事は日本の現在の首都の地域としてのトップであり、そして世界のTOKYOのトップでもあるのだ。現代のように、世界各地がグローバルにつながっている時代の中においては、日本国内だけでなく、世界から見た時の都市のあり方についても考えないといけない。

東京オリンピック、そしてその後を考えた都市計画
今回の都知事選は、たしかに原発などのエネルギー問題が争点としてあることは私は問題ないが、脱原発というただそれだけを政策イシューとすることはおかしいと感じる。電力消費の多い地域である東京から脱原発を争点に争い、日本の中でも先駆けて脱原発に対して声をあげることは間違ってはいない。だが、同時に代替案として、オルタナティブなエネルギー問題解決のための取り組みも示さないといけない。

多くの人たちも言うように、2020年の東京オリンピックに向けた施策を考えること、同時に、オリンピックとは言っても数週間のお祭りであり、2020年を踏まえたあとの2030年や2050年の東京、といったことまで考える一つの礎としての方向性やビジョンを示すことが求められるのが、都知事という存在だと考えている。6年後のみならず、それ以降を踏まえた都市計画において、以前ブログにも書いた(http://eguchishintaro.blogspot.jp/2013/09/NYC-CDO-digital-Tokyo.html)が世界におけるデジタル都市としての東京という存在に、私は未来があるのではと思う。

日本が誇るクリエイティビティやデザイン、カルチャーといったものは、いまや世界に発信できる一つのコンテンツとして昇華されている。コンテンツを支える一つのインフラとしてのインターネット、そしてものづくりも含めたデジタル技術による新しい価値創造やコンテンツづくりは、日本は世界に誇れるものだ。

ますます重要になるインターネット、デジタル技術だからこそ、そうした技術を活用してより効率的な行政運営や公共サービスの展開を行うためにも、NYのデジタル都市計画のロードマップのような中長期計画を作ることは、東京にとっても大きな意味がある。

デジタル都市としての東京の可能性
2013年にG8首脳会談で批准したオープンデータ憲章の動きは、2014年以降ますます世界的にも活発化していくトピックの一つとしてオープンデータが位置づけることができる。しかし、東京は、日本のなかでもオープンデータに関する取り組みがあまり行われていない自治体の一つだ。世界に誇る都市であるにもかかわらず、なにもしなくても人やモノ、お金が集まることに対する怠慢と、あまりに保守的な自治体運営では、日本をリードする自治体としての存在価値を見出しきれていない。

現時点において、インターネット人口やデジタル技術に携わる人口がもっとも多い東京においてこそ、デジタルを活用した環境構築は、東京こそが最も効果的に取り組める施策だ。オリンピックをきっかけに、外国から多くの人たちが押し寄せる。その時に、かつての東京オリンピックとは違うのは、デジタル技術の発達は大きい。

コミュニケーションのあり方や通信環境もそうだ。オリンピックの情報をどのように仕入れ、そして参加している人たちそれぞれが思い思いにオリンピックの様子や東京の町並みについて発信するか、という一つの大きな東京を世界にアピールするチャンスの中、Wi-Fiなどの設備面といった小さいものだけでなく、東京という都市全体のリブランディングをする絶好の機会なのだ。なにも、スポーツをやるお祭りだけが勝負じゃない。お祭りを盛り上げ、そしてお祭りをきちんと記録し、オリンピック前の期待感の醸成からオリンピック後のアフターケアまでをしっかりやることは、マーケティング視点で考えても必要な要素なはず。

ITを活用した起業促進といった側面からも、経済効果に大きな期待を寄せることができる。行政が起業支援のためのコミュニティ支援や場作りをし、世界との橋渡しをする存在として行政ができることはまだまだあるはずだ。

デジタルは海を超える。つまり、オリンピックをきっかけとした外国人観光客や外資系企業などのインバウンド施策にも通じる。デジタルを基板としたさまざまな取り組みに対して、行政自体が民間をバックアップするだけでなく、次世代の教育や日本全体のITリテラシーの向上のための取り組みを行うことで、東京での成果をもとに全国各地に展開することができる。東京起点とした日本全国への波及効果は大きい。

全国各地の自治体と連携した取り組みを行うべき
あわせて、デジタルと同時に交通網や生活基盤のインフラの整備も必要だ。人口3000万人を超える人口密集地域である東京は、それまでのコミュニケーションインフラの問題から、一極集中にならざるをえないものだった。しかし、いまや新幹線などの交通網、豊富なインター環境、IP電話、メール、SNSなどのコミュニケーション手段によって、必ずしも東京の、しかもオフィスビルで作業することだけが働く環境でないことは、誰もが実感していることだ。働き方の変容の中で、個人のモビリティを促進することは、きたる関東大震災における被害を最小限にするという意味でも、東京に一極集中している都市機能の分散というリスクヘッジにも効果がある。

日本全国に対して機能分散を行うために、東京が持っている機能の一部を地方へ移したりすることは、長期的には日本にとって大きな意味があある。福岡がシリコンバレー的な存在を目指そうとするのではれば、福岡は起業しやすい場所としての存在、京都や岐阜、金沢や福井などの地方は、近年は技術開発やアートなどでも盛んだ。大阪も、ものづくりの街として力を入れている。東京は、経済やメディアの中心としての機能を持つような場所へと特化し、機能分散を通じて全国各地の地域が活性化するための支援をしてはどうだろうか。

そのためにも、東京のみならず、全国各地の都道府県知事と連携し、各自治体との提携を行うことも視野にいれなければならない。一つあげるとすると、東京から、地方都市への移住や行き来を推進することだ。いきなり東京にオフィスを構えている企業が地方へ移転することはなかなか難しい。そこで、ある一定期間を地方都市にオフィスを構え、機能の一部を分散するための共同事業を、横断した行政同士が支援することも良いだろう。

中小企業レベルの企業であれば、3ヶ月や半年の間、東京以外の地方への会社ごとのショートステイや半移住をおこないながら、地方で働くことに慣れていってもらう。地方にショートステイしている企業は、行政などは補助金などの負担を行うことで、移動コストや移住にともなうリスクも補填できる。かわりに、その企業がもっているスキルを一定程度の時間、現地のNPOや社団法人、現地の大学などに対して還元するなどし、ネットやテキストの情報だけでは得られない最新の技術やスキルを提供することで、その地域の自治を促したり、次世代への育成や、場合によって企業のリクルーティングにも効果が得られる。同時にこれは、日本でいまだ不足しているIT技術者を増やす施策にもなり、日本の起業促進や、IT技術、ITリテラシー促進を支援する形にもなっている。

そうした活動を踏まえた上で、企業がどんな地域で居を構えても大丈夫なような心理的ハードルや文化的なハードルを下げた上で、企業活動がもっとも最適化される地域へと移りすむことが、結果として日本経済への活性化にも結びつく。それらの活動を通じて、全国各地へのネットワークが強化され、同時に地方における起業家の育成といった起業支援としてのスキームも構築しやすい。

東京という都市のリザイン、リブランディングを図る
こうした施策を通じて、東京という場所にいることが一つのブランド構築として居続ける企業や個人など、東京にいることの意味を見出すことができる。同時に、東京の法人税や住民税などを割高にすることで、そうした企業や個人は、東京というブランドを高める活動に対して積極的に寄与しやすくなり、東京というブランド価値をさらに高めることもできる。

いることのコストが上がっても、デジタルを取り入れてオープンデータを推進した公共サービスは、費用対効果の高いサービスも次第にでてくる。東京に滞在する人口が最適化されると、教育や子育てのサービスの質もあがる。場合によっては、住むことのコストが上がる、と先ほど書いたが、やりようによっては同じくらいのコストで完結できるかもしれない。

データを活用した公共サービスを通じて、医療マッチングや子育てや介護情報などの円滑になり、医療費問題の削減やゴミ処理問題の対策ができる。このあたりの事例は、すでに横浜や千葉や鯖江などでも取り組まれているものもあり、まだ一部でしか利用されていないサービスを、東京がしっかりと採用し、日本で進んだ公共サービスを提供出来るようになることは、住む人にとっても価値があり、東京に住みたいと考える人に対する吸引力も生まれる。

1960年代に建てられてたインフラの再整備や、人口減少などによるダウンサイジング化する社会において、より効果的効率的な仕組みの再構築をおこなうと同時に、全国各地の自治体と連携し、日本全体のグランドデザインを考えていく、いわば「日本列島再改造」くらいの気概をもっていくことが必要だ。もちろん、当たり前だが都知事にそこまでの権限はないため、すべてが都知事でできるわけではないが、国政が最終的には判断し、どう日本を再構築していくかを議論しなければいけない。東京都知事という存在は、国政選挙の前哨戦でもなんでもなく、日本が世界に誇る東京という自治体の未来をどう考えていくか、それらを踏まえて日本全体の再構築を考える一つの場といったものへとつながっていくものだと感がている。

都知事選というものの重要さを認識すべき
都知事がそうした存在であって欲しいという個人の考えとは逆に、すでに引退したような人たちがここぞとばかりにでてきたり、どこまでビジョンを持っているか分からないくらい勢いで出馬しようとする人たちの多くは、僕個人は賛同できない。東京という地域をどうしていくかといったビジョンが見えない立候補たち、そしてそれを見ている多くの人たちが一種のエンターテインメントかのごとく盛り上がりをみせようとする動きに対して、本当にみんなが社会という現実に対して目を逸そうとしているようにしか思えない。

世代交代という事実から目をそむけ、それでいて有権者の声を聞こうとしない旧来型の選挙や政治活動では、誰に託していいかまったくわからない。まったくもって政治が開かれていない状況では、ネット選挙以前の問題だ。

ネット選挙の根底にあるのは、有権者の声を聞き、その声を政治に反映するというオープンガバメントな要素があるからこそ意味があるものだ。同時に、未来を見据えた議論、未来に向けたアクションを行政だけでなく民間と協働して行うためのプラットフォームとしての政治であるべきなのに、その多くが有権者の意見や行動を受け止めようともしない。

東京のトップを決める選挙がこれでいいのか、と落胆してしまう。と、どんなに声をあげても、都知事選の投票権は持っていても、被選挙権が30歳であるという法律で立候補する要件を満たしていないため、自分の意見を主張する場がまだ持てずにいる。

批判は誰でもできる。しかし、代案をだす人は少ない。若い人たちが、これまでの国政や今回の都知事選で何も意見を言わない、と思っている人がいるかもしれないが、それは違う。みんなそれぞれに憤りや意見を持っている。しかし、その発信の仕方は人それぞれなのだ。もちろん、意見を言わないようにしようとか、言ってもどうせ意味ないね、と思う人もいるだろう。しかし、しっかりと現実を見ながら、着実に道を作ろうと試みている人もいるということは知ってほしい。

僕のような人間以外にも、それぞれのフィールドで声をあげたり、行動したりしている人はたくさんいるし、僕もよく知っている。そうした人達の存在を認識するためにも、若い人たちの意見にじっくりと耳を向けてみることから始めてみてはどうでしょうか。多くの人が思っている以上に、若い人たちは未来に対して考えを持っている人も多いはずだ。

先の参議院を踏まえて、今回がネット選挙としても大きな位置づけとなる都知事選に対する現在の状況の中、東京都知事も含めた、日本の政治に対する期待感がこれだけ低いという現状をどうにか変えないといけない。まだまだ何ができるかは議論する必要があるが、若い人も含めた多くの人たちが社会に対して声をあげ、行動し、自分事として世の中を感じてもらえる社会となれるよう、少しでも良いから行動していけたらと考えている。

photo by yuukin on Flickr

2014/01/13

思い出深い六本木ヒルズにあるBAR HERATLANDが閉店したことは、六本木の一つの歴史の節目だと個人的に感じる



2014年1月6日、六本木ヒルズの1階にあるBAR HEARTLAND (ハートランド)が閉店しました。

BAR HEARTLANDは、2003年4月25日に六本木ヒルズが開業すると同時に「Neighborhood Bar」というコンセプトでオープンしました。ニューヨークなどの店舗を参考に、気軽に立ち寄れるスタンディングバーで、毎日DJやVJが音楽や映像を流すバーでした。支払いもキャッシュオンデリバリーを採用し、特徴的な扇型のカウンターのどこでも注文できるスタイルは、独特のコンセプトと場の雰囲気を持った場所として、多くの人たちが毎日来るお店でした。また、店内には大画面のスクリーンを3面があり、スポーツ観戦やVJによるプロジェクションの場所としても、大掛かりな表現ができる場所として人気の場所でもありました。テレビ朝日が近いせいか、よく有名人が貸し切りで打ち上げやパーティーなどを開催したり、週末にはDJが音楽を流しながらクラブさながらな様子で賑わうなど、六本木らしさを最も感じる場所の一つでもありました。



このBAR HEARTLANDに、ちょうど東京に出てきてすぐの2007年5月から2008年の12月まで、当時まだ23歳で大学生だった私は、アルバイトとして働いていました。

東京に上京して、とりあえず面白そうなところでバイトをしてみたい、と思った時に、始めて六本木に行った時に入ったお店がこのお店でした。スタンディングスタイルでエントランスもとらず、誰もが自由に出入りしてコミュニケーションを取る海外スタイルの場所にものすごく惹かれ、同時にお客の6割近くが外国人という場所といった面白さから、すぐにバイトをしてみようと飛び込んだのが最初でした。東京に来てすぐに飛び込んだこの御店は、東京の色んな顔を知るとても良い機会だったと同時に、東京に来てすぐに色々なことを学ばせていただいた、自分にとっても思い出深い場所の一つでした。ホールにカウンターの中のバーテンダーの仕事を通じて、飲食店におけるホスピタリティを知れる良い場所でもありました。バイトを辞めてからも、定期的に足を運んでビールをちょっと飲んで帰ったり、映画を見る前に軽く一杯飲んだりする場所として通っていました。時には、お店を貸しきってイベントをやるなど、思い出深い場所でもありました。




店名でもあるハートランドビールは、キリンビールが提供していたテレビ朝日の番組がきっかけで醸造が始まり、当初はテレビ朝日直営のレストランでしか飲めないビールとして、開発されたものだったそうです。その後、1986年に六本木6丁目(今の六本木ヒルズができる前)にビアホール「ハートランド・穴ぐら」がオープンし、そこでしか飲めないビールで提供していたとのこと。



大樹をイメージした透明でエメラルドグリーンの瓶に、ラベルをなくし、瓶そのものに意匠をするといった独特のデザインでもありました。国産のキリンビールであるにも関わらず、海外のビールの雰囲気をまとったデザインで、外国人の人からも好評のようでした。いまや、全国のさまざまなバーやカフェでも飲めるくらいにポピュラーなビールとして多くの人たちに飲まれていているビールの一つだと思います。

「ハートランド・穴ぐら」の後には「つた館」といった大正時代の洋館でまさに蔦が絡まっているつた館ができました。1952年から存在するニッカウヰスキーの工場とその跡地に作られたウィスキー原酒貯蔵庫跡の「穴ぐら」と「つた館」の様子は、今や写真やブログにしかその軌跡は残っていませんが、まだヒルズができる前の六本木の文化を作った場所として、六本木の文化を担っていたのではと感じます。

ハートランド 穴ぐら + つた館の様子 http://workshop-www.com/?p=6

そこから、港区六本木6丁目の再開発を通じて完成した六本木ヒルズ開業と同時にできたBAR HEARTLANDは、まさにその前身の穴ぐらやつた館といった文化を継承しながら、2000年代の六本木の10年を担ってきた存在だったと感じます。一バイトではあったものの、六本木の文化を知るいい機会であったと同時に、ちょうどリーマン・ショックの前後の時に働いていたことを通じて、飲食店という社会情勢との関係性を一番痛感する場所で経験しました。




併せて、六本木ヒルズができてからのこの10年の軌跡を見守ってきた場所であるハートランドは、森ビルやキリンといった企業の影響を受けながら、紆余曲折がありながらも六本木の片隅に佇んていた場所でもありました。約11年という歴史の幕を閉じるということが、六本木のこれまでの10年、そして六本木そのものの文化を担った場所の終わりを迎えることに対して、一つの節目を感じずにはいられません。



86年からの穴ぐらやつた館、そして17年という歳月を通じて完成した港区六本木6丁目の再開発と六本木ヒルズの歴史を含む六本木の約30年間の歴史から見る、社会と文化の歴史を紐解くという意味でも、ハートランドという場所が持っていた磁場とその魅力は、調べてみるといろいろと歴史的にも文化的にも面白い場所なのかもしれません。そして、私自身も東京に来てから色々と学ばせてもらったという意味でも、まさに私自身の今を作る一部にもなっている場所でもあります。

今回の閉店は確かに寂しい思いですが、ハートランドビールはいまやどこでも飲めるビールとして親しまれていますし、六本木には今でも仕事上よく通う場所の一つです。かつて、こんなバーがあった、ということを忘れずに、また新しい場所ができることを期待しています。







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