2015/12/31

2015年の振り返りともろもろ報告など

今年一年は、個人的に山あり谷ありな一年だったかもしれません。2014年の年末にそれまで長く住んでいた目黒から東京は東にある清澄白河に引っ越し、生活スタイルも仕事のスタイルも少しづつ変化した一年でした。個人としては6月に『ICTことば辞典』を出版したり、色んな媒体での仕事や企画をご一緒する機会も多い中、それまでとは違ったフィールドに足を踏み入れながら、色々ともがいていた時期でもありました。日々刻々と変わる状況や周囲の環境に日々戸惑いながら、それまでとは違ったあり方を模索していくなかで失敗や経験をしたなかで、色んな気づきや自分のできていることとできていないことも理解することができました。

今年一年は周囲にきちんと報告できていないこともあったので、改めて以下にまとめてみました。

自分の会社をつくりました
2015年の5月1日に株式会社を設立しました。社名は株式会社トーキョーベータ(英:TOKYObeta Ltd.)。不動前で友人らとシェアハウスをしてたときにつけた名前で、「編集」という手法をもとに、都市や社会を"TOKYO”という一つのメタファーとしながら、都市や社会にあるさまざま空間や地域、コミュニティ、メディアを未来に向けてアップデートしていく(永遠のβ版)ための企画・編集・デザインをしていくクリエイティブ集団という意味で名づけました。これまでの歴史や文化、価値観や常識を受け入れつつ、次へとつながるための環境を構築するために柔軟な発想と想像力を働かせ、行動していくことが大切です。もちろん、コミュニティのあるべき姿は一つではありませんし、ゴールがあるものではありません。だからこそ、永遠のプロトタイプであることを意識し、成熟した環境構築を実践していければと考えています。

当たり前かもしれませんが、社会はさまざま要因が複雑に絡み合いながら動いています。そこには、テクノロジーもデザインも、アートも、建築も、まちづくりも、政治もすべてが関わっています。そうしたさまざま領域を横断しながら、次世代に向けた新たなプロトタイプづくりをしていくためのプロジェクトをつくっていければと思います。今年は個人事業と会社の両方をやりくりしながら次第に法人での活動にシフトしていく移行期でもありました。会社のサイトとかもきちんと作っていなくて、あまり表立っての活動はしてこなかったのですが、すでに広告代理店や自治体の方々と法人名義でお仕事をさせていただいています。また、法人としても新しい挑戦をしようと今年の春から冬まで色々と仕込んでいた時期でもありました。体制づくりや環境づくりのためにじっくりと時間をかけて形にしていく大きな過程とさまざま経験をさせてもらった一年だったと思います。

これまでさまざまな形でご一緒してきた方々と2016年からはもっとオモシロイことを仕掛けていけるような場をつくれるよう準備をしていますので、2016年も引き続きよろしくお願いいたします。また、ぜひなにかオモシロイ企画やプロジェクトがあればぜひお声がけください。これまで以上にいろんなことができるような状況をつくっていければと思います。

NPO法人インビジブルを設立し、理事として活動しています
2015年7月に、林曉甫と菊池宏子と一緒に、NPO法人インビジブルを設立しました。アートを軸とした企画運営やアートプロジェクトの支援や研究、プロトタイプづくりを行う団体です。もともと別府のアートプロジェクトを推進してきた林とは、彼の弟の林賢司と昔一緒にプロジェクトをしたことがきっかけで、同世代でアートを通じた地域の活動をしている人がいる、と紹介されたことから、一緒に遊んだり仕事をしたりする中でした。その林からNPOを作ろうとしてるから一緒にやらないか、と今年のはじめに相談され、その際に菊池を紹介されました。菊池はもともとボストンで20年以上アートを軸にコミュニティづくりなどに取り組んでいた人物で、僕との色んな共通点や社会を見る視点などで話が弾んだのが最初の出会いでした。そこから、いまの社会に必要な思想や価値観をどのように実践していくか、プロトタイプづくりをしていくかなどを話すなかで、三者それぞれの微妙に違う経験や考えをもとに、よいプロジェクトがつくれるのではと考えています。

すでに、NPOとしては鳥取藝住祭や関西広域連合でのAIRシンポジウムの企画、アーツカウンシル東京からサポートをしてもらいながら行っている、文化創造拠点の形成としての活動として、六本木のけやき坂にある宮島達男さんのパブリックアート「Counter Void」の再点灯を行うためのアートプロジェクト「リライトプロジェクト」を運営しています。今年の4月に行われた六本木アートナイトでも出店者として参加し、ワークショップを行ったり、再点灯に向けたプロジェクトを推進するための「リライト コミッティ」を運営し、集まったさまざまバックボーンや価値観をもっている人たちとともに、作品の再点灯だけでなく、作品自体が持っている「生と死」というテーマや東日本大震災をきっかけに消灯させた作品をどう扱っていくかなどを議論しながらアクションを進めています。

アートを軸としながら、僕自身が考える市民参加型社会のあり方や、人の意識のアップデートと社会構造の変革に向けた一つの大きなプロジェクトとして日々NPOでの活動を通じて刺激や発見をもらっています。これも、今年一年での一つの取り組みであると同時に、いままでとは違った立場や考えの人たちと出会う場として、自分としても一歩違うステージで活動するための挑戦だと考えています。

NPO法人日本独立作家同盟の理事として活動しています
もう一つ、今年の3月に設立したNPO法人日本独立作家同盟の理事としても活動しています。日本独立作家同盟は、インディーズの作家たちを支援する団体です。私自身のメディア業界で活動する一人として、メディア業界全体の変化を大きく感じる日々を過ごしています。出版業界のあり方や作家自身の作品の作り方や発表の仕方、作品というあり方そのものやそれを届けるデリバリーの仕方、紙の書籍や雑誌だけでなく電子書籍などパッケージのあり方、ライターや作家、メディアそのもののビジネスモデルの転換など、考えることは山積みです。そのなかで、実験や実践を自分たちで行っていくなかで、インディーズ作家を支援していく団体とつくろうと、代表の鷹野さんが活動されている取り組みを応援する形を通じて、自分自身としてもなんか実践していければと思い、団体の理事として活動をしています。

今年設立したばかりですが、いまの出版やメディア業界、もっといえば書店など本を扱うあらゆる人たちにとって新しい実践ができる場になればと個人的には考えています。やはり、作品やコンテンツを創造する人がいなければ僕たちは文化を楽しむことができないわけで。小説やマンガなどのありとあらゆる種類、そしてウェブや雑誌や書籍のあり方そのものに真剣に目を向けながら、新たな文化を作り出すために何ができるかを模索していく一つの方法として活動していければと思います。

Open Knowledge Foundation JapanやCode for Japanといったオープンデータやシビックテックに関するの活動も引き続きやっています関われているもの関われていないものなどありましたが2016年にはこれまでにお世話になった方々とも仕事やプロジェクトができる種が生まれた一年でもありましたマチノコトもおかげさまで色んな自治体や企業からの問いかけも多く今年は夏にゴミ拾いのキャンペーンも行いました2016年にはいままで以上にNPOとしてやメディアとしての新しい挑戦もしていく予定です

2016年は、まずはじめは、いままさに執筆のラストスパートをしている書籍が2月か3月あたりに出る予定です。昨今の地域づくりのなかでうまくビジネスとして成り立たせるための仕組みなどを事例としてまとめた本です。これまでに私自身も各地の地域をみてきたなかで感じたものや、これからまさに必要となる考え方が少しは整理されたものになっていると思います。「マチノコト」をこれまでやってきたなかで思うのは、いま言われている「地方創生」という言葉だけで終わるのではなく、きちんとその地域に住む人たち自身が自分たちでどう地域を捉え、考え、そして実践していくかを真剣に向きあわなければいけない時代といます。それは、ただ箱物を作っておわりでもなく、これまでの過去のレガシーを踏襲するのではなく、レガシーを現代に再構築したり、いままでにない新しい挑戦をしたりすることが求められている時代でもあります。そのためには、これまでの常識やしがらみから少し客観的な視点をもち、必要なリソースや人材を引っ張ってくるための情熱と仕組みをつくる冷静な目が必要です。そのために、これまでではつながらなかった他分野の人たちと出会い、交流するなかからヒントが生まれてくるかもしれません。もちろん、そこには痛みもあるかもしれません。領域が違えば価値観も、ときには思考回路や言語も違ったりします。それは、円滑にコトが運ぶことは少なくて、衝突や摩擦が起きることは必然です。しかし、その手間をかけることによって、いままでとは違った何かが生まれてきます。その手間を惜しむこと無く、新たな摩擦を生み出すための場をどうつくっていくか。それが、未来への新たな一歩だと考えています。そんなことを思いながら、2016年以降はこれまで以上に色んな企画やプロジェクトを全国各地でつくっていきたいなと考えています。

あと、2013年の年末に書いた「始める一歩と終わるデザイン」で言及した「終わりのデザイン」のことが自分的には個人的にも追い駆けたいテーマになっています。個人的な「死」や「老い」だけでなく、社会における「死」や「老い」を受け入れる価値観や思想、そして個人や法人含めたありとあらゆるものに対しての引き際を見極めながら、本質的な意味でモノゴトを継承させていくための価値体系をどうつくるか、といったことです。人も会社もNPOもプロジェクトも、すべては始まりがあれば終わりがあります。その終わりのタイミングを見極め、うまく次へとバトンを渡すためにできることはなにか。あらゆるものが老いることがインストールされているからこそ、新陳代謝やイノベーションも起きるはず。利己で考えるのではなく、社会全体における問題として捉えたときのあり方を見つめなおすためのきっかけとして新たな価値観としての「死」や「老い」、「終わりのデザイン」を問題提起や問いかけていければ。

また、会社を設立したこともあまり周囲にきちんと報告できていなかったのですが、2016年には法人として本格的な事業や実践をしていく予定です。そのための準備を今年1年間で色々とやってきました。どういうことをしようとするのかも、これから色々と話をしていければ。もちろん、バイトやインターンなども常に募集しています。すでに12月の中旬から海外の大学でジャーナリズムを勉強していた子をインターンとして受け入れいて、リサーチやらをお手伝いしてもらっています。日本にまだあまりない概念や取り組みを研究していますので、色々と形が見えてきたらみなさんにもなにかしらの形で発表したいと思います。

今後は、編集を軸にさまざまなクリエイティブをみなさんに一緒につくっていく楽しみをもっています。色んな方々と仕事を通じてお世話になるかと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。














2015/12/25

スクーで「ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養」と題した5回連続講義を行います

2015年6月に共著で執筆した『ICTことば辞典』。テクノロジーの進化によって私たちのIT環境が大きく変化してきているなか、その言葉の意味やそれがもたらす社会的な変化などをまとめた内容になってて、辞典といいつつも読み物としても活用できる内容になっています。色んな方々に好評で、会社の新人研修とかIT業界ではない人たちにとっての入門的な内容になっています。

そんな『ICTことば辞典』に掲載しているキーワードをベースに、ビジネスパーソン向けに「仕事に活きる教養や知識をアップデートする」ことをテーマにオンラインウェブCampus「スクー」で5回連続で講義をすることとなりました。

これまでにもスクーではネット選挙について藤村龍至さんと一緒に東京都のまちづくりについて、同世代の編集者たちと一緒に「編集」についてのトークセッション地域活性をテーマにした講義などを行ってきましたが、今回はビジネスパーソン向けにテック系をテーマにお話させていただきます。『ICTことば辞典』を参考書に、お手元においてぜひご覧くださいませ。


第一回:12月19日
ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養 -わたしたちのくらしとIoT
https://schoo.jp/class/3016

第二回:12月26日
ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養 -ビッグデータで変わるマーケティングの未来-
https://schoo.jp/class/3017

第三回:2016年1月14日
ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養 -オープン化で変わる政治・社会の未来-
https://schoo.jp/class/3029

第四回:2016年1月21日
ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養 -ICTが変える教育の未来-
https://schoo.jp/class/3030

第五回:2016年1月28日
ネット時代のニュースを読み解くビジネス教養 -体験から考えるデザインの未来-
https://schoo.jp/class/3031





2015/12/06

そこには人がいたということを僕たちは知っている:『ブルーシート』を観てきました




詩のように紡ぎだされる台詞。舞台で広がる芝居は、現実の世界のような、フィクションの世界のような。そんな感覚を抱きながら、生きること、死ぬこと、個という存在、社会という見えないものを説いた作品だった。

12月5日午前11時、フェスティバル/トーキョー15で鑑賞した飴屋法水さんの『ブルーシート』。仮設校舎のグランドを舞台にいわき総合高校の生徒10人で2013年に上演した作品の再演。

初演を演じた生徒たちも高校を卒業したり、新たな出演者を通じて「生きること」と向き合いながら、もがきながら、そこには当たり前の日常のようなやりとりが舞台で行われる。演技とも、即興とも、素の様子、それらが交じり合った、ありのままの美しい人の姿がそこにはあった。

ときに社会や大きな出来事があったとき、そこにいる一人の「個」への視線が抜け出ていくことがある。10人いれば10人それぞれの人生があり、10人それぞれに出来事をきっかけに影響しあっている。そうしたことを僕たちはつい忘れがちである。

「人は、見たものを、覚えていることができると思う。人は、見たものを、忘れることができると思う。」覚えておくことも忘れることもできるからこそ、人は成長し、前へと進むことができる。けれども、どんなに忘れようとしても、そこであったことは消すことはできない。

僕たちで人であるかぎり、僕たちが人であることをやめないかぎり、人と向き合い、人とともに生きる。時間も、場所も、考えも違う人であっても、そこには必ず人がいるということを僕たちは忘れてはいけない。

晴れ渡る冬の空の下で行われた『ブルーシート』。次見たときには、また違った光景と思考が巡りあうのだろう。それまで『ブルーシート』の戯曲を手元に置いて時折読みなおしてみよう。




2015/12/03

立教大学でゲスト講師をしてきました


先日11月17日に、いま一緒にNPO法人インビジブルを運営している菊池宏子さんにお呼ばれして、立教大学のコミュニティ福祉学部の「キャリア形成論」という授業にゲスト講師で学生さんたちにお話させていただいた。

授業の枠自体は3限と5限の二回でしたが、3限のほうは100人以上の大講義室での授業、5限の授業では20人くらいのゼミ形式と、同じ「キャリア形成論」の名前がついた授業でしたが、学生さんたちの様子も違って面白かったです。

キャリア形成論って授業ですが、内容としては、ゲストで30分ほどキャリアやらいまの仕事に至るまでも紆余曲折な道を共有して、学生さんたちに多様な生き方を通じて社会と向き合うことの面白さや楽しさを知ってもらうこと。その後、ゲストが取り組んでいるテーマや業界について考えて、発表させたりグループワークをしてもらう二部構成な内容で僕のときには展開されました。(ゲストによっても内容を変えているとか)

キャリアの話でいえば、たしかに公務員から退職して大学生になり、大学在学中にフリーで活動し、いまや会社やらNPOやらの活動もしたりと、一般的に会社に勤めてとは違った生き方をしているかもしれない。やっている仕事自体の幅はたしかにあるけど、その根底にあるのは自分自身と世の中との向き合い方で、それに必要なスキルや能力を自分から能動的に学んだり習得しようと努力し続けることが重要だと僕は思う。色々とやってきた内容はそこそこに、僕自身が普段考えていることや、仕事を通じて目指したい世界観などについて学生さんたちに話をさせてもらった。もちろん、全部をそんな短時間で理解するのは難しいと思うけど、なにか気づきや生き方の参考になれば。

で、キャリアの話はそこそこに、授業の後半では講師の菊池さんと話した結果、ちょうど大学生たちにも関わりがある「18歳選挙権」について、学生さんたちに率直な意見をもらう場に。3現の授業では学生さんたちにまずは4,5人くらいのグループワークをしてもらい、賛成と反対の意見を言うワークをし、いくつかのグループは代表者がグループで議論されたことを発表してもらいました。次に、数人の学生さんを壇上にあげ、僕がモデレーターをしながら、登壇したゲスト学生たちに質問や意見を振って、話してもらうトークセッションスタイルに。

議論して、「地元といま住んでいるところでの住民票による投票権の話」や、「いつからが大人になるのか」という大人の議論など、色んな話題になり、学生さんたちも普段なかなか考えないような話をしたかもしれません。

同時に、自分たち自身の身の回りのことだけでなく、社会全体に対する想像力をいかに養うか、自分だけでなく公益性やら社会性を考えるために必要なものごとのロジックや道理を理解するためにもっと日々色んなことを経験したり考えたりしてもらいたいな、と思いながら授業をさせてもらいました。

3限のときの様子

5限では、人数はゼミ形式な感じだったので、3限と同じくキャリアの話を前半にしつつ、後半では18歳選挙権に関して、肯定派と反対派に即席で分かれてもらい、ディベートをやってもらうことに。これも一つの想像力を養ういい訓練になったと思う。もちろん、普段なかなか考えないテーマなので、論点の稚拙さとか議題の形成はやや弱い部分はあるけど、それよりもまずは「考える」ことが大事。考えて、行動し、そしてフィールドバックをもとにまた考える。つねに思考し続け、自分が直接は体験していないことも想像しようとする努力をすること。そこから将来の仕事とか生き方とかにつながるはず。

5現のときの様子
これまでにも、東海大学とか早稲田の大学院ジャーナリズムコースとか、色んなところで授業やらゲスト講師をさせてもらったけど、やはり、一回の授業で教えられることなんてたかがしれてるし、多くがスキルやらキャリアやらの話で終わってしまう。そうではなく、学生とともに時間を過ごし、一緒に考え、学びながらなにかをつくりあげるような、そんな経験をしていきたい。

それなりに自分自身も色んな経験をしてきて、自分の成長や学びもさることながら、同時に次の世代に向けても同時並行で教え学び合う関係を作っていきたいと思う。大学でゲスト講師として登壇するたびに、非常勤でもいいので大学で授業とかゼミを持ってみたいと思う。

これからも、大学の講師やゲストは、できるだけ積極的に受けていきたい。当たり前かもしれないけど、僕達の世代は今以上に色んなものを学び、考え、想像し、そして他者とともに仕事をしていきながら、世の中を面白くしていかないといけない。大学という色んなものを経験したり見聞したりできる時代に、大人がどんな学びや刺激の環境が提供できるか。自分の成長と他者の成長を喜びながら、ともに考えともにつくる学びの場をこれからも提供していきたい。




オリジンとコピーはどっちがおいしいか

先日、とある料理発祥のお店に食べに行った。値段もそこそこするしお店もそれなりに混んでて繁盛している様子だった。

注文して料理を待つこと数分。料理が到着し食べてみると。うん。たしかに、悪くない。けれども、味は普通、というと申し訳ないが、とりわけて美味しいかというとそうでもない。別に自分の舌が肥えていないとかそういったものでもなく、まぁ、たしかに味は悪く無い、と思うレベル。

よく、色んな地域に行く度に「◯◯発祥」とかを売りにしているところも多いし、東京でも色んな料理の発祥のお店があったりする。えてしてそうしたお店は非常に混んでいるけど、味の美味いかどうかはまた判断が別れるところ。けれども、観光ガイド本などを見るとだいたいがそうした発祥のお店がまとめられてるし、美味しい場所、一度食べるべき、などと味や料理への評価や期待値が高いことも多い。

ここで、「発祥=オリジン」というものを考えてみる。発祥とは、あるモノやコトが生まれたことを指し、「発祥の地」とか、「◯◯発祥のお店」と言われることが多い。ルーツとか原点、元祖、由来とか色んな表現をされることがある。

発祥とはいわばゼロイチ、無から有を産んだ場所であり、かつ、それまで世の中に無かったものをうみだしている。それは、言い換えればそのモノの時間軸がそこから生まれたとも言える。カレーライスはカレーライスとして世に生まれてからの歴史しかないし、インターネットはインターネットとして世に誕生するまではインターネットの歴史はないわけで。

そうしたときに、発祥というのはその新しい時間軸を生み出したことにこそ価値があるとともに、それが現在まで続いていることにおいて、世界で最も長い時間軸を抱えているものだといえる。で、その発祥をもとに例えば修行をしたり見よう見まねでコピーをしたもの、分家、分社したものによっていまの豊かな食文化や製品が生み出された。

発祥のものからヒントを得てその後に続く人たちは、どうにか自分らしいものや顧客を満足しようと独自の進化や改良を加える。それによってさまざま派生が生まれ、ベースや料理名は同じでも、ちょっとした手間や隠し味、調理方法の工夫などが行われる。

さて、発祥のところは自分たちによって創造したものを軸にさまざま改良や工夫を行うだろう。ただ、新しいものを生み出したことによる体外的な評価は、特にそれ自体を維持するための保守的な力が働き、時代のニーズとは違った愛でるものとして存在することもしばしおこる。保守的な力はときにそれ自体を維持するためのコストはブランディングによって、料理であれば味というそのものとは違った評価係数が働きだす。伝統とか歴史というにもそこにはいってくる。もちろん、その発祥のモノを生み出したという功績は大きい。実際に、どのように考案し、どのように生み出し、そして現在まで続いているか、という重層化された時間の重みがある。

なので、発祥のお店に行ったからといって、そのお店のそれが最も美味しいモノとは違う。もっと言えば、ある意味で発祥のときのままの味を軸に維持した正統派なものであれば、美味しさの評価も現代人のそれとはまた違ったものと言えるかもしれない。そこで支払っているものは、料理も含めたそこで生まれたという事実やそれを現代まで引き継いだという手間も含めたものに払っているといえる。よく、発祥のお店が一番美味しい、という言説があるが、それもまた違ってて、人の味覚や趣向は多種多様だからこそ、一元的な、絶対的な評価ではなく、最終的にはその人にとって最も良いと思えるものを選択すればそれで良いのではないか。

もちろん、現代に合わせて味を変化させるお店も多くある。それはそれでお店なりの工夫や手間をしているものだ。よく言われるが、伝統とはただそこにあるものを引き継ぐだけでなく、現代にあわせて変化や革新性を持たせたものだ。つまり、伝統とはある意味で時代における革新性を帯びたものでもある。つまり、伝統と表現するときには、常に時代に呼応したイノベーションが合わさっているわけで、そのための手間を長い時間軸をもった人たちも考えていきながら、多様なモノが生み出されてほしいと思う。

発祥のお店は発祥なりの意味や意義がある。だからこそ、評価すべきポイントや見るべきポイントを変えてみると、世界は変わってみるかもしれない。













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