2011/12/29

非日常から日常へ。多様性を受け入れる空間をもっと大切にしていくこと−− コワーキングを見て回って感じたこと。

Coworking
photo by Morinoko on flickr

2011年は、コワーキングという単語をよく目にするようになりました。
日本各地で多くのスペースが生まれ、様々な人たちが関わり、注目もしてきたような一年だった気がします。

そもそも、なぜコワーキングがいま盛り上がっているのか。
色んな人などに取材をしている傍らで、そう思うときがよくあります。

もちろん、「アイディアや知識の共有〜、」「フリーランスやスタートアップの人たちが〜、」「コミュニケーションが〜、」などなど、字面上は色々な言葉がでてきます。

しかし、そのどの言葉をもってしても、すべてを形にしているものはないのではと思います。

コワーキングという単語が持つ意味は、人それによって違います。100人いれば100人それぞれの言葉やイメージをもっています。
それでも、それぞれの形、見ているもの、根底にあるものは共通していたりするものかもしれません。言い方が違えど、相手が言ってることと自分の表現しようとしているものは、言い方は違うけど、「分かる分かる」と思えるものこそ、まさにそれです。

もとをたどれば、コワーキングという言葉を聞く前から、僕などは”コワーキング”と現在呼ばれるような原体験があるのかもしれない。

例えば、Twitterなどで「渋谷のスタバにいる」とツイートしたときに、それをたまたま見た友人などが、「近くにいるからちょっと顔だしていい?」「いいよー」
という流れから、偶然的に友人とスタバでお茶をする。
僕は本を読んでて、相手はパソコンでなにか作業などをしている。
もちろん、なにか共通のネタで話すことがあれば話が盛り上がるし、話が終わったりすれば、互いにそれぞれ別のことをやったりして時間を過ごす。
たまに、何か思いつけば「そういえばこれ、どう思う?」
などのように話しだして、そこから面白いアイディアが生まれたりする。
そして、互いに別の予定があれば別々に分かれる。

これは1つの例かもしれないが、こういった一連の流れに対しても、理解をしてくれる人はいると思う。これも、ある意味で”コワーキング”的なものの源泉なのかもしれない。

上の例にあげたような行為は、別にコワーキングという言葉を知らなくても起こりえる現象だとも思う。
そして、そうした、ふらっと足を運んだり、相手と気軽にコミュニケーションしたりすること、自分の考えてることをオープンにしたり、考えを相手とシェアするということは、彼らはとくに「オープンにしなきゃ、シェアしなきゃ」という発想を念頭に置いてやっているわけではない。自然発生的に、そうしているのだ。
もっと言うと、自分が好きだからそうするのかもしれない。それはまさに、彼にとっての精神や文化と呼べるものなのかもしれない。


18世紀当時のロンドンのカフェで行われたコーヒーハウスでのおしゃべりでも、まさにそうだったのかもしれない。それは、いまでは公共圏という呼び名で呼ばれていたりするが、別に彼らは自身で公共圏をつくろうと思っていたわけではない。ただ、他者とコミュニケーションをしていくことが楽しく、それによって相手と作り上げていくものが、新しいモノや価値、ときには時代を作り上げていくものだったりする。
そうして、いまの僕らのように、未来から見たときにそうしたエポックメイキングなものだったと気付かされる。

そしてそれは、とくに自分たちでそうした「何か」を作り上げていこうと掲げてやっていったものでもなく、気づいたら自然発生的にでき、何か新しいものを作る喜びを持っている人たちや、ときに落ち込んだり、何をしていいのかわからないけど、何かしたい、という人たちを受け入れる場所だったのかもしれない。
それは、その”場”が何かを要求しているものではなく、そこにいる”人”がそうした文化を作り上げていったものなんだ。
場所は、そうした”人”を受け入れる器であり、プラットフォームであるのだ。

ときには、そのスペースにいても、特になにもしない人がでてくるのかもしれない。そして、「何もしない」という人も受け入れる、そうした多様性を受け入れる寛容さと、心地よさがあったからこそ、多くの人がそこに集い、時を過ごし、様々なものが創発されていったのだろう。

「コミュニティ」と呼ばれるものを考えたときに、「何かをする」ことだけがコミュニティにいる理由ではない。「何もしない」ことも受け入れる、ある種のセーフティーネットのような形があるからこそ、そこから、「何かをする」機会が生まれたりすることもあったりする。そうした多様性を享受し、経験していくことが重要だったりする。

いまの日本のコワーキングを色々と見てきて思うのは、コワーキングスペースはコミュニケーションをする場、オープンな場、というイメージが多く、ある意味でアクティブな人たちが集うような場所の印象が強いところもなくはない。
また、他のスペースと競合〜という話をするような、ある意味で不動産業的発想をもってやっている人たちも少なくない。
(もちろん、そうでない人も多いので、別にすべてのコワーキングをそう思っているわけではない)

またスペースをオープンにしていれば誰が勝手にやってくる、と考えている人も少なくない。しかし現実はそうではない。
水と同じで、常に動かしつづけて流動されないと、滞留して、ときに水が腐ってしまうことが起きる。
人はナマモノであり、つねに変化し続けるものだ。
だからこそ、スペースをやっている人も”人”であり、来る人も”人”。それは、「人対人」との関係の中で築きあげていくものである。
それはいわばソフトの面の大切さでもあり、ハードの面、例えば設備や金額などのプライスなどの機能面など、合理主義的な発想で図ることはできない。

そして、コワーキングスペースというものに対して、あまりに大上段的な意識をもっている人も少なくない。

「何かしなきゃ!」「コミュニケーションしなきゃ!」「オープンにしなきゃ!」「シェアしなきゃ!」というような、”コワーキングスペース”という大上段のお題があり、オープンにすること、コミュニケーションすること、というところをあまりにフォーカスし、それを強要する流れもなくはない。
もちろん、それも合っていいと思し、そういうものを完全に否定しているわけではない。

だが、コミュニケーションすることが目的ではないと思う。
一緒にスペースで作業することが目的ではないと思う。

オープンマインドであること、ペイ・フォワードな精神をつくり、そこから何か新しいものが生まれるのではないか、というワクワク感や楽しさがそこにあることが大事で、もっと日常的にそうした文化を醸成していくことがこれからは大事になってくるのだろう。
まだまだ、コワーキングというものがある種の「非日常」的空間として捉えられがちなものがあるが、これが「日常」になったときに、そこに携わっている人たちがどういう行動を取っていくのか。
そこを、もっと大事にしていく必要があるのではないだろうか。

IMG_6639


まだまだ、シェアしていくこと、コミュニケーションしていくこと、同じ空間で作業したりしていくことが目的にしている人も少なくない。
なにも、仕事を必ずしもする空間でなくてもいいと思う。
必ずしもコミュニケーションしなければいけない、場でもないと思う。
目線はそこではなく、もっと自然体で在り続けていくことこそ、大切にしていくポイントなのだと思う。

そうした中で、オープンでいること、何かをシェアしていくこと、他者とコミュニケーションしていき、自分と相手との価値観の違いに気づき、相手の話を傾聴していき、相手の話を受け入れるようなマインドを、もっと大切にしていく、そんな空間で在り続けてほしいと考える。

何かをアクティブにするだけが行為ではない。
何かを受け取ること、他者が発するモノを受け入れること、そこから自己も形成されていく。誰しもが一人で生きているわけではない。誰かに何かを教えてもらったり聞いたり話をされて自己ができていく。そして、それをまた別の誰かに自分が渡していく。
そうして人は成長し、まわりも変化していき、それが大きくなって世の中や社会も変わっていく。

何も、自分一人で何かを変えることも、新しいチャレンジをおこなうことなんてできない。だからこそ、まわりにいる人を大切にしたり、相手にとって居心地のいい空間や距離感を保つことが、自分に返ってくるのだ。
コワーキングスペースに限らず、そういった考えや価値観、文化がもっとできてくれるような空間が増えていくことが大切だと感じます。

コワーキングカレンダー(https://atnd.org/events/22266)に参加しており、それに合わせてエントリーを書きました。
「コワーキングについて」というよりも、コワーキングを含めた空間やコミュニティについて、書いてみました。

2011/12/08

さよならだけが人生だ

先日、知人の突然の訃報を聞き、通夜へと参列した。

これまでに、親戚や家族をのぞいて自分と近しい人がなくなったのは、これで三回目であった。

自分と年齢などが近い人が亡くなるたびに、いたたまれなくなってしまう。

人の人生は短く儚く、そしてそれは突然やってくるものだ。

しかし、自分がなくなっても、まわりの世界はかわらず動いている。かならず進んでいる。
自分がいったい何を残せるのか。
自分がいた証はあるのだろうか。
まわりの人はどういう思いでいるだろうか。

自分が日々何気なく過ごしている毎日は、誰かが生きたかった毎日なのかもしれない。

井伏鱒二はこんな詩を残している。

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
(『厄除け詩集』より)

これは、もともとは詩人の于武陵が書いた「勧酒」という漢詩をもとにしている。

勧酒     (酒を勧む)
于武陵
勧君金屈巵 (君に勧む金屈巵(きんくつし))
満酌不須辞 (満酌辞するを須(もち)いず)
花發多風雨 (花發(ひら)けば風雨多し)
人生足別離 (人生別離足る)

君に勧める黄金の盃。
なみなみと注ぐが、遠慮はしなさんな。
花が咲けば、とかく風雨が多い。
人生には別離がつきものだ。(訳語)

さよならだけが、人生だ。
人は生まれた瞬間から、死を約束され、どんなにあがいても死という最後からは逃れられない。
長く生きることが目的ではないかもしれない。
ただやみくもに生きるのでは意味がない。
しかし、人の死は花のように短く嵐がふけば一瞬で散ってしまう。
だからこそ、いまこの目の前にあるお酒を楽しもう。すぐに別れはきてしまうけど、いまはここでつきあわせて楽しんでいるんだから、楽しもうじゃないか。
いま、この瞬間を生きることに無駄なんてない。つねに楽しまなきゃ意味がない。

人生の別れはときとして突然訪れます。
そのときに、悔いのないように生きていたい。
そして、周りの人にも、自分がいてよかったと思われる生き方をしないといけない。

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

この言葉を改めて思い出したと同時に、まわりから受けた思いをきちんとカタチにしていかなくてはいけないと強く思った。


2011/11/03

動画から伝わるその街に対する愛情

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街の風景や様子を表現するものとして静止画や動画があると思います。
そうした中その街の魅力を表現するためにどうすればいいのか、とよく考えます。
外から来た人だからこそ街の魅力を発見することもあるでしょう。
また、実際にその土地に住んでいる人が、その土地を愛し、そしてその自分の素直な気持ちを表現することもあるでしょう。

そうした中、最近見た映像の中で、なんども見ては感動してしまう動画があります。

A Year in New York from Andy Clancy on Vimeo.


この動画は、NYに住んでいる Andrew Clancy さんという方が、実際に自分の足で見て回った街の様子を、一眼カメラのCanon 7Dなどで撮影したものを編集した動画です。
自分が先日までNYにいたということもあるでしょうが、この動画からは撮影者の愛情がひしひしと感じると同時に、誇張することなく、自分が見たありのままの街の様子を、一年の中で経た季節の様子を映像におさめています。
この動画を見るたびに、なんてこんなに街を愛してる人なんだろう、と感じさせてます。
彼は、この動画についてこんなことを語っています。

It seemed like a never ending project and you could stay filming life in New York for a long time. But eventually I put my camera down and started to edit. Here’s the end result, it’s a bit rough and ready but that’s life in the Big Apple I guess.

「この撮影は、終わりのないプロジェクトだと思った。しかし私はカメラを置いて映像を編集した。拙いものかもしれないが、これが私が思うビックアップルの生活です」

これほどの気持ちをもって、街のありのままの美しさを感じさせる動画を見たことがなく、この動画を見た瞬間あまりに感動してしまいました。

同じく、NYの街の様子を、今度は軽やかに映しつつ、その美しさに見入ってします動画です。



この動画は、「Life+times」(http://lifeandtimes.com/empire-state-of-mind)というWebに載せられている動画でした。
多種多様なモデルがNYのあちらこちらを軽快な踊りと一緒に街の様子の様々な様子が映しだされています。
起用されているモデルは、白人や黒人、アジア人など、NYの異国の人たちをきれいに表現しており、街やモデルの美しさと、JAY-Zの「empire state of mind」の曲がうまくマッチし、NY全体の楽しさや様子が伝わってきます。

JAY-Zの「empire state of mind」自体が、2009年に誕生した曲ながら、NYを賛美する歌詞からも、NYを表現する曲と言ってもいいものだと感じると同時に、それをうまく街の様子とマッチングしたこの動画も、よく見て曲自体を口ずさんでしまいます。
また、歌詞をじっくり読むと、NYに対する愛情やNYで育ててもらったマインドに感謝する曲がわかります。
NYという街自体が、そこにいるニューヨーカーたちに対する愛情と自信を与え、そしてそこにいる人達がNYという街自体を構成し、NYという街に誇りと尊厳をもって暮らしているのも、漠然とながら感じます。そして、アメリカという街自体の活性の街、世界の街という意識をもっているところなのだと思います。
ちなみに、原曲はこちらです。本家の動画は、まさにその歌詞が示す様子を謳っているまさにそのとおりな内容が素晴らしく、まさにNYの曲というものだと思います。



今度は違った角度から、街を表現している動画を。




ミシガン州の都市グランドラピッズ。ミシガン州の中でも、比較的都市部な街でありながら、ニューズウィーク誌の「アメリカの死にゆく都市ベスト10」に載ったという記事をうけ、それをうけた地元の人たちが立ち上がり、自分たちの街を表現する方法を模索しました。
その中で、街の様子を音楽にあわて、「リップビデオ(音楽に合わせて口パクをする)で街のMVをつくる」というプロジェクトが立ち上がり、街全体が1つになってこの大きなプロジェクトを完成しました。
曲のもとになっているのはドン・マクリーンの名曲「American Pie」(https://www.youtube.com/watch?v=uAsV5-Hv-7U)。グランドラピッズのダウンタウンを中心に、8分以上もあるこの動画なのですが、実はノーカットで撮影されているのです。
動画の制作には、地元ローカルテレビ局や同街を拠点とする映像プロダクションが制作に全面協力。制作費も、地元企業などから寄せられ、40000米ドル以上もの予算が集まったという。

およそ制作やリハーサルのためになんども練習をしたことでしょう。
そして、このMVを作る、というそのために、街全体が一丸とあり、目標に向けるだけのモチベーションは、やはりこの街を愛してるというそれぞれの思いがあったからからこそでしょう。
曲ももちろんだが、このMVを見ながら、映っている人たちの熱い思いや愛情がこれもひしひしとつながり、初めてこの動画を見終わった最後には思わず涙を流し拍手をしてしまうくらい、本当に素晴らしいものでした。

メイキング映像、撮影テスト、リハーサルのそれぞれの動画を見ると、その参加している人たちの熱い思いがさらに伝わると思います。

Behind the Scenes - Grand Rapids Lip Dub - Rehearsal Footage from Skyward Visual on Vimeo.

(メイキング映像)


(撮影テスト)


(リハーサル)


こうしたそれぞれの動画に共通するもの。
それは”その街への愛情”だと思います。
どんなに動画的なスキルやテクニックなどをもっていても、その街や風景の良さを引き出したり映像を撮るためには、ありあまるくらいの思いや愛情がないとここまでのことはできません。
それはつまり、人に対して感動や思いを届けるということは、それだけ、その製作者や撮影者の思いが反映しているということです。
そして、それは動画や作品に限らず、あらゆる行為にも同じことが言えると思います。
どれだけその対象に対して思いを抱けるか、そしてどれだけ情熱や愛情をもって接し、考え、行動できるかだと思います。
それはつまり、ITの技術云々などではなく、どれだけ思いを抱くことができるだけの経験や体験をし、そして感情の起伏をもち、そしてそれを表現したかで決まることだと思います。
ときに嬉しく、ときに悲しく、そしてときに喜ぶ。そんな様々な思いを経験をすればするほど、その対象に対して愛情や思いが比例してくるものだと思います。

自分の仕事に愛情をもって接することができるか、自分の住む街、自分の住む国、自分とつねに接する相手。

どれだけその対象に対して考え思いを抱けているか。今一度考えていきたいと思います。
こうした思いをもつことで、東京や自分の地元だと福岡、そして日本という国を愛することができるか。
そういうことを、もっと考えていけたらと思います。

2011/09/19

これまでとこれからのことについて考えてみた

2011年9月11日。
アメリカで起こった同時多発テロが起こって10年目の今年、10周年の追悼式のこの日をニューヨークで迎えるということを、自分自身で少し特別な思いで迎えていた。
この911がある意味で自分と世の中を考えるきっかけの一つだった。
10年が立ち、自分自身で自分のこれまでや世の中についてどう考えてきたのだろうか。
そしてこれからをどう考えていくか。
そのための自分自身としてもけじめや確認のために、どうしてもこの日はニューヨークにいたかったのだ。

本題前にこの10年の間のことも含めたすこしばかり自分自身の話を。
色々なところで話してはいるがきちんと文章にしたことがなかったので、きちんと書いてみる。

2001年9月11日。
ちょうどその日は家でテレビを見ていて報道番組で報道していたのを覚えている。
その時期、自分は高校二年生だったのが、その時期がほとんど自分は学校に行っていなかった。
ずっと喧嘩やら夜中を友人たちと徘徊していたりとか、まああまりいい学生ではなかった。
当たり前だが、勉強もほとんどせず、学校も出席ぎりぎり、遅刻は余裕の3ケタだった気がする。
テストもほとんどが赤点ばっかで、留年しそうになったがなんとか留年せずにすんだ程度だった。
生きる意味もとくにわからず、勉強する意味もわからず遊んでばっかだったが、それにも次第に楽しみも見いだせていなかった。
こんな自分でもなにか世の中の役にたてるんだろうか、何か誰かに必要とされることがあるのだろうか。
そう思い、当時その考えから警察官や消防官になりたいなと、そんな考えももっていたのがちょうど2001年の9月くらいだった。
それでテレビでの報道があり、世の中がどうなるかわからない方向に進む、そんな気がしていた。
そういった状況の中、自衛隊という職に自分は結局就いた。
それまであまり自衛隊のことについて深く考えたことはなかった。とくに国防を志していたとかそういう気持ちもとくになかった。
ただ警察や消防と並び、同じようなものなのかな、とそのころはそれくらいの考えしかもってなかったし、どういう仕組かも知らないけど、行けば何かわかるんじゃないか、行けば何か役にたつんじゃないかと考えてた。
その当時、自分の高校は一応の進学校らしく、同級生の99%が国公立や私立の大学に進学するようなところで、同級生でそれこそ東大やら早稲田慶應なんかも行った人たちもいるとか。
そんな中で公務員を目指すということ自体が高校としても珍しく、もともと高校の中でも手に余ってた問題児だったこともあり、先生たちも半ばサポートはしてくれるものの、あとは自分たちでやってほしいという感じだった。

で、2003年に陸上自衛隊の曹候補士という制度で入隊した。
簡単に言うと、現場で働く自衛官への入隊で、教育期間が終了すると、部隊配属され、毎日訓練を行い、有事の際には出動する現場な仕事だった。
入隊した同期にはみんなそれぞれ様々な動機で入隊した人たちがいた。
家族や親族の多くが軍人や自衛隊関係者でその流れで入隊を当たり前にしていた人。
家族を養うために安定した職に就きたいと入隊した人。
他にいくところがなくなんとなくはいった人。
もちろん、PKOや国際協力などの活動に参加したいという人など様々だった。
また、2003年当時、小泉政権自体の真っ只中で、アメリカがイラク戦争に突入していたこともあり、イラクへの何がしかの支援があるのではないか、というのは入隊した同期の中でもやはり話題になっていて、それにぜひ行きたいという同期ももちろんいた。
自分ももし行けるなら国際協力とかPKOなどに行きたいと思っていたが、そこまでまだ自分のなかでしっくりくるものがなく、特に自衛隊にずっといたいという気持ちもその当時はまだついていなかった。
しかし入隊したら自衛官として働かなくてはいけない。
中途半端にやっても意味ないわけだから、だからまずは今眼の前のことを集中してみよう。しっかりやってみて何か見いだせるものがあるのではないか。そう考えていた。

もともと剣道や水泳、柔道をやっていたし、スポーツ全般に対してはそこそこやれる自信はあった。もちろん、それらを活かせる場ということでこういう仕事を選んだようなものだったわけで、体力にはそこそこ自信はあった。
だけど、いざ入隊してみれば自分よりもものすごく体力は知識や経験などが優っている人がわんさかいて、ちょっとまわりを見ればバレーで全国大会にいったものや野球で甲子園にあと一歩だった人など様々だった。
そんな人達と肩を並べ、毎日朝から晩まで、それこそ寝るのも仕事という環境のなか、24時間毎日訓練に励んでいた。
もちろんそのときは目の前の訓練に必死だったし、まわりについていき、もちろん負けたくないという気持ちで人よりもちょっとでも動作を早くしたり、みんなよりもちょっとでも体力をつけようと休みの日でもひたすら自分で訓練したりなどのことをしていた。

そして教育期間が終了し配属先の決定が下ったとき、僕は九州にある西部方面普通科連隊という離島防衛対処部隊というその当時は日本で一つしかない特殊部隊のようなところに配属された。
アジアの隣国が九州のまわりの離島を不法に占拠した際に対処撃破するためのレンジャーズ部隊であり、上官から教育部隊の中でもある程度上位の評価をいただいた結果だったのだろう。それらに対して、自分を評価してもらったことはすごく嬉しかったし、その評価に対して報いなきゃ、という気持ちでいぱいだった。教官から直々にそこで活躍してほしいと配属決定のための面談があったときに即答した記憶がある。

部隊に配属され、部隊での教育期間が完了し、正式に部隊に配属されたとき、世の中はイラク特措法が決定し、自衛隊の派遣がじょじょに現実のものとなってきた。
配属された当時は、東ティモールへの国際協力部隊が自分のところの部隊から派遣もされており、東ティモールにいった先輩隊員の姿がとてもかっこいい印象だった。
世の中で必要とされていることの当事者になっていること、そしてその仕事に従事していることに対して、みんな誇らしげにしていたし、まわりもそれに対して賛辞を送っていた。

一般的に自衛隊というもの自体が、有事を想定はしているもののやはりそういった機会が訪れることは皆無であると言えるかもしれない。
でも部隊では毎日いかなる状況が起きても対処できるようあらゆる状況を仮定し、それらに対して瞬時に体が動けるよう毎日訓練を行っている。
そのために、上官からの指示に対して瞬時にその意図や意味を汲み取り、自分が課された役割やポジションに対して適切な行動を取る必要がある。そして命令に対して80%でも120%でもだめで、要求された命令に対して100%行動することが求める役割なのだ。
そして、その仕事がいつかどこがで役にたつ時がくるときがあるかもしれない。

別に戦争とかでなくても、こういった国際協力や災害派遣など、人の命を救う仕事というものは、こういった世の中であるから存在することは仕方のないことなのかもしれない。
そういった重要な仕事に自分の行動によって少しでも人の命が救える時がでてくるのではないか。
そんなきもちが、自衛隊で働いて一年以上たち、そう思えるようになってきたし、そう思うことが仕事のモチベーションになっていた。
世の中が911から続くイラク戦争など各地の紛争が勃発してくる中で、そういった悲しみの連鎖の中において復興や復旧ということに意味があるのだとすると、そうしたことに従事できればと考えていた。

そして、自分たちの部隊にもイラクの派遣の命令が下達された。
もちろんそんな機会なんて滅多にこないし、日頃からやってる訓練の成果や自分が活動できる機会がやってきたのだから、ということでもちろん自分は志願した。

だが、まだ二年目ということもあり、結局派遣への選抜からは漏れることになった。
部隊としても活動に対する貢献を重視するということなのか、自分の部隊からはそれこそ部隊の中でも特に優秀な先輩たちがやはり選抜されたいったような気がする。
もちろん、その選抜に対しては文句はないし、自分よりも優秀な人達が活躍することに対して自分ごとのように喜んだ。
そして自分はそのかわりということではないかもしれないが、新しく入る新隊員の教官のチームの部隊に配属された。
3年目で新人の班をもち、しかも一番下っ端ながら教科の担当もさせてもらうことができた。
派遣には行くことは敵わなかったが、後輩を育成するということには多くの期待と意義があると実感し、教官チームの中でもかなり色々と仕事をやらせてもらった。
新人への訓練内容も、それまでの従来を踏襲することなく、配属される部隊と同等の訓練をさせ、部隊に配属されてもすぐに実践力がある新人を育成しようと訓練内容を変更する具申を教官の上司にしたり、おなじ班をもっている同期や先輩がたと色々と議論や教育について話し合ったりした。
自分に対して必要としている人たちがいるのだから、それらに報いるのは当然だと思うし、また自分がかつて数年前まで経験していたことに対して、後輩が自分を越えれるよう自分たちからしても辛い訓練を彼らに課したし、そしてそれらの訓練に対して彼らも精一杯努力して向かってくる姿勢は、跳ね返って自分自身への写し鏡のように彼らにとって重要な先輩であることを自らに課すことで、自分自身を高めたり意識を向上させるような思いだったと思う。

ちょうど教育指導期間が始まるころにはイラクへの派遣が決まっている人たちの訓練も佳境にはいり、また、ニュースでも連日連夜イラクの情勢や自衛隊のことについてのニュース、先遣部隊の人たちの帰還の様子などが新聞やニュースで報道されているころだった。
ちょうどそのころには、自分たちがいる部隊への派遣も正式に発表され、駐屯地への連日の報道陣やニュース関係の方たちの取材も多くきた。
それと合わせて、自分たちの特殊部隊の密着取材も同軸で行われ、世の中的にもアジア圏への緊張や自衛隊についての関心ごとなど、世の中の中軸に自分自身が置かれている立場の現実味がわき、自分の世の中との関連性などを実感するようになった。
そして、実際に隊員への指導教官中には、自分たちの部隊の最初に部隊がイラクへ実際に派遣のために出動してきた。
実際に自分の知ってる身内が出動し、向こうに行ってからは、数少ない通信手段を使って部隊にメールを送り、そして無事に帰ってきてからはイラクでの実際の現場の土産話などで盛り上がると同時に、無事に帰ってきたことに対する安堵な気持ちでいっぱいだった。

だが、そんなときを経たときくらいに、同時に一つの疑問も浮かび上がった。
「なぜ自分たちはイラクへ派遣されるのか」
自分たちは命令が下達され,行けと言われたことに対しては拒否はできない。その行為が社会的に意味のあることはどうかを現場の人間は考える必要性はないからである。
入隊当時や部隊に配属された頃は、国際協力や派遣に行くことが世の中にとって意味のあるもの、役にたつものだと信じていたし、それしか考えることができなかった。なぜなら、それらを否定すれば自分たちの存在意義が揺らいでしまうから。
だが、毎日の報道や、ときに自衛隊の派遣の是非などについての議論、自衛隊の派遣先が非武装地帯かどうか、日本の「ショーザフラッグを示す」ということに対する意味や意義が当時は理解できなかった。
時代の当事者として大なり小なり関わっているにもかかわらず、その事柄自体のことについてや、そもそもの事の発端や本質的なもの自体を理解できなかった。また、それらを理解することを要求されていなかったし、する必要性もなかったからだ。

自衛官というと名前はいいかもしれないが、実際は訓練などで演習場に行けば一週間や二週間以上演習場に缶詰になり、演習場から駐屯地に帰ってきたときには世の中のニュースががらりと変わっていて、ある意味で浦島太郎な感じを経験することはざらにある。
そうなればなるほど、だんだん世の中の関心ごとに対して疎くなり、毎日訓練をして、自分たちからするとそこまで自覚はそこまでしていないが寝ることも仕事だと言われ昔から言われ続け24時間働いている感覚で生活を送り、そしてそれら全体が仕事だと仕事いうことを要求されている。

自分たちはここで生活していることが仕事であり、仕事が生活なのだとだんだん感じるようになった。そして命令が下ったらその命令通りに動く。そしてそういうことが毎日繰り返されていくのだ。
もちろん年齢や階級などが上がればもちろん活躍の幅が増えることもあるし、組織内における責任の重みも増えてくるということでは仕事における重要性はましてくると思うし、職場や環境が変われば考えや自身がやる仕事の量や質も変わってくるのは確かではある。

でも、自分が考えていた「何か世の中や人の役にたつこと」が果たして自分はできているのか、と同時に考えるようになった。
毎日を繰り返し、自分が30歳になったときにこれくらいの階級になって、40くらいになったらこれくらいの部下をもち、50になれば部隊の上層になって定年もそろそろかーと考え始めるというある程度のレールや自分のモデルが見えてくることに対する違和感を少しづつ感じ始めた。

「自分」というものが果たして意味があるのか、自分というものの存在や生きること働くことを今一度考えたかった。
それと同時に、はたして自分がいまいる世の中がどう動いているのか。
自分がいまいる社会がどう成り立っているのか。そしてその中で自分がどう少しでも貢献できるのか、そして貢献できることはなんなのかを考えたかった。

同時に、自分自身が多少なりと関係しているイラクの派遣がそもそもよかったのかどうか、そしてそれらを含めた戦争自体や意味があるのか。それらを考えたかった。もちろん、いま自身でさえもときおり考えるし、それらの結論がでることは難しいかもしれないが、そういったことなどについて少しでも自分自身で考えたかった、という思いだ。

いま考えれば、自衛隊などが出動するということは世の中に取ってみれば有事や非常事態なわけであり、でも自分たちがおもに活動したりするためにはそういうことが起こらなければ活躍ができない。ということは、自分が活躍するためにはそういった事態が起きないと意味がない。
つまりはそれは世の中全体を考えればあまりいい方向でないわけであり、この、自分自身と世の中との間における二律背反的な葛藤という存在なのだと思う。

自衛隊などは、どんなことを言ってもそれらはある程度の戦力や武力がそこで存在しているのであって、それは傍からみれば「武器」でしかない。でも、武器なんて使わないにこしたことはないわけであって、それらをむやみやらに使ってはいけない。それらを使うということは、非常事態のあまりよろしくない状態なんだ、ということを理解しなくてはいけない。

そんなことを考えるようになり、でも様々な事態が起きたり、社会が激しく動いているにも関わらずそれらに対して自分自身がとくに考えやこういう世の中にしたいとか自分がその中で何ができるか、そのためには何が問題でどういった解決策があるのか、といったことなどに対して、自分があまりに社会の動きや世の中のことについて意識や関心がなく、それらに対して考え、そして何か少しでもいいから学びたい、という思いで、その当時は大学に行けば何か学べるのではないかと考え、自衛官を辞め、大学に行こうと考えそこからはじめて1から勉強して約半年くらいで大学受験をして、そして東京へ行くことになった。

自衛隊を辞めてはいるものの、自分がいままで経験してきたことに対してはすごく感謝をするし、やっていた仕事自体はとても自分自身好きだったし、一緒に仕事できた仲間や同僚はに対してこんな自分を育ててくれたというものに対して感謝しきれないものがすごくある。
いまの自分のおそらく半分以上はこの約3年半ほど経験させていただいた環境に作られてると言っても過言ではないし、いまでの自衛隊に在籍されてる人たちには尊敬の念しか思い当たらない。
3月におきた地震では多くの自衛官が活躍し、日々昼夜を問わず救助にあたっている姿は感謝という言葉だけでは言い尽くせないくらいだ。
そういった意味で、やめている身ではあるものの、自衛隊というものを語ったり普段ではなかなか理解や説明がしにくいものであるものの、多少はみなさんにご説明できる部分などに対しては、素直に応えたいと思う。

そんな自衛隊を辞め、そこから1から勉強をし始めたのだが、よくよく考えれば英語なんて中学校レベルがなんとかがわかる程度、数学とかも二次関数がやっと理解できるくらいなレベルから約半年程度の勉強ながらまわりの受験生と変わらない程度の勉強量にまで少しは追いついた気はする。それも今思えばすごく楽しかったし、勉強する意味というのがそこで少しわかった気がする。
教科書を読むことの楽しさや、社会などでは世の中の出来事や歴史を学ぶことの重要性や面白さを少しをそこで初めて理解できた気がする。

そして東京にでてきたのが23歳になる2007年。
高校の友人らとはほとんど疎遠になってるし東京にまったく知り合いもいないし特にツテなどがあるわけでもない。
まさに独り身というか裸一貫な感じで東京にでてきた。

同い年くらいの人はそのほとんどが大学をちょうど卒業することだし、様々な点においてまわりからすれば一歩も二歩のスタートが遅いし、知識や経験や思考や考えなど、他の誰よりも足りてない自分がどうこれからやっていけるか、というただそれだけを考えてた。

そして、ちょうどその頃くらいから911の10年目、2011年に自分がなにをしているかわからないが、時代がどう移り変わっているか、そして、そのときに自分自身が世の中や物事についてどう考えているか、それらを確認するために、そもそもの発端やある意味で時代の節目、そして自分自身の人生でもなにか変な因果がある911のあの現場に、2011年9月のその日にいたい、という思いがあった。
それは、自分にとっても確認でもあり、ある意味でのけじめとして、自分自身と向きあうために必要なことなのでは、と自分でそう考えた。
別に自分は911で誰か近い人が亡くなったわけでもないし、とくにアメリカに対して思い入れがあったわけでもない。

ただ、自分自身と社会とを結びつけ、そして世の中全体としても節目の一つであるだろう911のあの現場を、10年経ってどう時代や社会が変わっているかを、その現場を自分の目で確認しに行きたかった。ただそれだけなのです。

東京に来て、色々な活動をしてきた気がする。
そもそも自分は物事や身の回りのあわゆることについて知らないことだらけだし、特に誰かと比べて優れているものもない。どちらかと言うと落ちこぼれなほうだと思う。
だから、いろんなことをまずは自分の五感を通じて体験してみないと意味がないし、そうしないと学習しないと思った。
まずは色々な書籍を読み漁った。それまで、活字というもの自体はマンガくらいでしか読んでいなかった自分が、古典やら専門書からあらゆるものをまずは読もうと思った。とくに社会の教科書に載ってるような著名なものはまずはそこからできるだけ手にとって読もうと思ったり、人が読んだ本や興味をもったものに対しては、自分もそれを読んで感想や意見をまわりの友人などと意見交換をした。

そして、実際に政治的な現場を生で見てみたいと思い、国会議員のインターンをその後経験した。自分が伺った先は民主党の議員さんだったが、特に自民党や民主党どちらでもよくて、実際に自分の目でその現場を少しでも体験したいと思ったからだ。

折しも時代は福田政権から麻生政権時代に変わるところで、世間的に政権交代やらの流れがきているときだった。
自民党の代表選の所信表明のときには自民党党本部に行ってその所信表明演説を聞き、その日に登壇した5人の所信表明演説を全部文字おこししたりしたこともあった。特に誰かにやれと言われたわけではないのだが、文字に起こして友人らに起こした文章をまわして一緒に議論したりしたこともあった。

それから行政関係やNPO関係のイベントや勉強会に参加したりしているときに、海の向こう側ではオバマ大統領の当選が決まり、その選挙においてインターネットやSNS,ソーシャルメディアが活躍してことをうけ、インターネットなどによって社会が変わることの片鱗を感じたことで、ウェブな世界に少しづつ学び始めた。

それまで自分のパソコンをもったこともなかったし、なんかmixiが流行ってるらしい、という程度でとくにやってなかったし、携帯も電話とメールができれば十分な感じで、Yahoo!とGoogleの違いもいまいちわかっていなかったような、ましてやwebデザインやらBlogがどうとかすらさっぱりなインターネットのイの字もよく理解していないようなそんな程度だったのがいまからだいたい二年くらい前の話であるから今から振り返るとまあ多少は変わったかなと思う。

そのころくらいで、実際に盛り上がっているTwitterやらFacebookなんかをはじめ、そのころはまだまだTwitterのユーザーも全然少なかった時期だったりはしたのですが、イベントや勉強会などをそれこそ一人で見よう見まねで要約して実況中継したり、Twitterのハッシュタグを使ってゴミ拾いを促進する「Twitter gomihiroi」(ハッシュタグ#gomihiroiをつけてゴミを拾った写真を取ってそれをマップでマッピングする企画)などを仲間うちではじめて多くの人たちが賛同してくれたりしたのは嬉しかった。
まだそんなにTwitterが盛り上がる前だったのでいまだと色々な企画やらマッシュアップされたサービスがあると思うけど、当時からしたらまだ何もノウハウなんかがないときに自分たちだけでありモノの中でやっていた気がする。

それと同時に、日本全国でソーシャル・アントレプレナーという言葉やその概念を知り、いまある社会問題に対してビジネス的発想や新しい試みによってその解決をしていこうという動きを知り、そういった活動を広めるための全国フォーラムを運営したりしていた。

そのあとには、慶應大学の友人が立ち上げた電気自動車の認知を図るために地方の都市をまわりその土地の良さを再発見していくという旅企画に参加し、その旅の様子をハッシュタグをつけて随時発信するようなことをやってた。
いまでこそ、旅やらイベントやらをハッシュタグや特定のサービスやサイトで発信しつつアーカイブしていくということはある程度認知されはじめていたけど、そのときはまだ早すぎたのか、でも逆にそういうことをしている人が少なかったのか、色々な人に応援やら話を聞きたい、というようなお声をかけていただいたのは嬉しかったし、そういう面白いことをやっている若い人がいる、ということでイベントなんかに呼んでいただけるようになったのはすごく感謝しています。

84年の人たちのWebマガジン「84ism」を作ったのも、25歳になったときに、まわりの同い年はほとんど社会人になっている中で、みんなどういうことをやっているのか、それぞれどういった思いや考えをもっているのかを知りたかったというのが最初のきっかけ。
それから、オトナになってから同い年と知り合うことで、学生時代などとは違い、社会やらこれからの自分自身を見つめ直し、そしてそのコミュニティから生まれる人間関係などによって新しい気づきや他業種他ジャンルに人たちとつながることができるというネットワーク、そして、色々な考えや思想をもったこの”ハチヨン”という人たち全体を中心に少しでも盛り上がっていけたら、ということで色々な人に声をかけてスタートすることになって実現した。別に誰のものでもないものだと思っているし、逆に84ismを遊び場ようなカタチで色々な人が関わりあえるような場所に多少はなっていってるのが嬉しいなと思います。

それ以外にも、色々なことをやってきたのだが、そのほとんどは当たり前だがまわりにいる人達に支えられてやってこれてる。
けっして自分自身の力でここまでやってこれたとも思っていないし、周りを見ればたくさんのスペシャリストな人たちがいる。
自分はそういった人たちが活きるような場所や環境をつくっていけたらと思っている。
自分自身が人よりも長けたものなんてないと思っているし、できないことなんて山のようにある。
いつも自分ができるかどうか不安なときもあるのを、まわりに公言して自分自身を奮い立たせるようなことばかりだ。
ものすごく頭がいいわけでもデザインができるわけでもそのセンスがあるわけでもなく、歌がうまいわけでも演奏ができるわけでもないし文章がうまくかけるわけでもぶっとんだ発想や考えができるわけでも、ましてやデジタルネイティブだとかそういうものでもないし、そういった素晴らしい人達が周りにいて、その人達の様子なんかを常に観察し学習して、少しでも自分のものにできればと思っている。
逆に言えば、まわりのいいところにいつも羨ましいなと思いコンプレックスをいただきつつも、その気持ちをベースにいつも自分の行為やモノゴトへの理解を少しでも人よりがんばらなきゃ、という自分自身を奮い立たせるきっかけになっていると思う。
そんな自分でも少しは必要としている人たちがいることはとても嬉しいことだし、そういった周りの期待などに対してしっかりと添えれるように頑張っていけたらと思っているし、それが自分自身にとって意味のあることだと思っている。

自分が別に企業だとか個人とかには特にこだわっていなくて、組織がいいとか個人がいいとかは別に目的のための手段のカタチであって、そういうことに特にこだわりはない。
あるのは、自分が必要とされていること、そしてそれに対して自分がどこまで貢献できて自分の存在価値があるのか、ということだけだと思う。
あとは、自分自身が社会やらモノゴトに対してどうしていきたいか、その自分の軸をベースに行動すればいいだけであって、やっていることや自分が属している組織やコミュニティにものすごく固執することはないと思っている。
あるのはそこが自分にとって意味のあるものかどうか。それだけだと思う。

そんなこともあってそして2011年を迎え、9月11日の現場のためにアメリカに。
2001年から数えるとちょうど10年。
自分が2011年の9月の現場に足を踏み入れたいと考えて4,5年たったんだなと実感した。
当初計画していたことと多少変更はしたものの、6月から9月いっぱいまで、色々な方にお世話になりながら、色々とアメリカをうろうろと経験できたのはよかったと思います。
それらはまた別のところでまとめたいと思います。

この数年、自分は少しは何か変わったのだろうか。少しは成長したのだろうか。
自分ができることはなにだろうか。
世の中はよくなったのだろうか。そしてどう進んでいくのか。そして自分がその社会に対してなにができるだろうか、そしてこれからどう貢献していけるのだろうか。などと色々と考えたものです。

今年はまた10年という節目、そしてテロ自体の首謀者であるとされる人物が亡くなって一応の収束を迎え、そして10年目にまたテロが起きるのではないか、などとという厳重な体制ではあったが、特に滞りなく式典は終了した。

実際に式典が始まり、そういったこれまでを考えていたのと同時に、この10年でアメリカ全体も、かつての非日常な出来事をすっかり受け入れている様子だった。
式典自体は、大統領などの演説が終わり、追悼者の名前をひとりひとり呼び、関係者のみが9月12日にオープンする911memorialの中において、献花やお祈りをして式典を去っていく。

個人的に印象的だったのが、建設予定のWTC1タワーすぐ近くに住んでる親子が、式典の途中だけど休日ということですぐ眼の前の公園でキャッチボールをしているさまだった。
おそらく911以降に生まれたであろう子どもだと思うし、彼にしてみればテロのときの記憶なんかないわけで、それでいてアメリカのこれまでの状態を知らないわけで、彼にしれみればいまの様子は普通の日常なんだろう。

かつては”非日常”な体験であったテロや各地の戦争も、それらを非日常のままにしてしまっていては、自分がいま住んでいる世界、そしていてこれからもずっと続く日常をうまく生きることができない。
大事なのは、その”非日常”を経たこと、そこで経験した、体験した、感じたことを、いかに日常の中に緩やかにシフトしていくかが大事なのだと感じた。
その”非日常”がずっと続くわけではないけど、そこで経験したものは紛れもなく事実であるわけで、そこで学んだこと、感じたことを日常に活かすことが重要なのだと。
”非日常”を”非日常”として特別なものとして置いておくのではなく、自分の身の回りや生活にそれらを溶けこませ、そして日々の生活をシフトしていく。
それによって今後の続く世界を生きていく必要がある。そんなことがいまの求められているのだろう。
過去のことを過去のことのままにして何も学習していないのではまったく意味はない。
歴史は人の失敗や行為の連続の中で生きているわけであって、過去にあったことを学び、そしてそこでくだされたジャッジが果たしてよかったのかどうかを思考し学習することがいま必要なことあると同時に、時代の連続性のなかで、いま自分たちがたっている現在すらも、未来からしらた過去であるのだから、未来からみて、将来のいまの子供たちがいまの自分たちのことをどう考えるか、自分たちがいまやっていることが将来にとって良いのかどうかを、いまという視点でなくて、未来という視座にたってモノゴトを考えるべきなのではないか、ということを考える機会だった。

式典に参加していた人も、もちろんまわりは厳重な体制がしかれているとは言っても、献花や式典が終わればいつもの日常が待っている。
亡くなった人はもう帰ってこないのはわかっているし、それらを悲しむときはあっても、それらに縛られても意味はない。
そうではなく、いまを生きていく、という様子がほとんどの人にうかがい知れた。

911で亡くなった人がなくなって約10年。
グランドゼロで亡くなった人もしかりだが、あの現場にいて、少しでも救助しようと行動した警察官や消防官に対しては、その墓標の前には涙しかでなかった。

それと同時に、911が発端になって起こったイラク戦争などにおける米軍や中東地域で亡くなった人などのほうが規模は大きく、そちらを考えてみると、この一連の負の連鎖、悲しみの連鎖が起こっている限り、世の中から紛争や戦争、なくなる人や、健康や命の危険にされされている人が多いのは事実。
とくに自分と同じ年くらいのイラク戦争当時20代前半の若者が多く戦場に駆り出され、いまでの戦争の残り傷によって社会復帰できていない人が多数いる。
PTSDや惨劇の恐怖などは、いったいアメリカに何を残したのか。
そして、そもそも戦争に突入しなくてはいけないほどの国際問題自体が問題なのではないか。
戦争によって膨らんだ債務を今後消化していくことを考えると、戦争自体に意味があったのだろうか。

「テロを知らない世代」と呼ばれるまだまだこれからの世代や、「911世代」と呼ばれるようなテロを幼少・青年期に過ごした自分くらいの世代の若者が、アメリカの今後の社会を築きあげていくのだと改めて感じる。
と同時に、戦争や紛争はそれらの世代に対して大きな負担をしいらせ、傷を追わせる。
国として社会として、これからの世代に押し付けるようなことはあってはならない。

人が亡くなるということ、そして、戦争などの惨劇などによって、個人個人にどれだけの深い傷を負うのか。
それらに否が応なく巻き込まれる人たちを見ると、果たして意味があったかどうか、いまだ疑問が残る。
それらの判断が自分がすることはできないかもしれないが、これからの社会を作るにあたり、そういったことがない時代にしていかないといけない。
戦争も言ってしまえば人災でしかないわけで、日本においてもある意味で人災がいまも続いているようなものだ。
これらを、いまから10年たったときに振り返ったときに果たして意味のあるジャッジをしているのかどうか。
そして、自分も含めた、世の中全体、社会全体がどういった方向に進んでいくか。
それらは個々人の意識においてしか変えることはできない。
自分自身の中で意識の軸をもち、社会や生活をどうしていきたいか。

どんなツールも、どんな物事やツールであっても、使い方を間違えたり場合によっては人を傷つけたりする「武器」になりうる。
その「武器」ということを理解し、むやみやたらにそれらを振り回したりしてはいけない。
振り回している限り、相手が対抗するには当たり前のことだと思う。
そうではなく、お互いに武器なんかもたないことで初めて両の手で互いに握手し、相手を理解できるのだと思う。

果たしてそんな世の中にできるかどうか。
これ以上戦争など人が悲しむような世の中にしたくないし、もっと世の中が面白くて楽しくなるようにしていきたい。
そのために自分自身が何を成せるか。
既存の枠組みでなく、どう新しい価値を創り上げていくか。
そしてそのために必要な人達をどううまく結びつけたり、そのために必要な場所や技術や考えは何かを考える。
少しでもあとからの時代から見て意味のあることだったと言われるようなことができればと改めて考えた。

この日に自分自身がいれたことでいままで自分が考えてきたこと、行動してきたことに対する改めてのけじめがつけれたと自分では思っている。
これからの日常を、もっと意味のあるものにしていき、そして意義ある人生を送れればと思う。
それと同時に、ここまで色々な場面でお世話になった周りの方たちに改めて感謝していきたい。
こうやって自分が生きているのもまわりの人達のおかげだし、まわりの人達がいないと自分は生きていけないことは自覚しなくてはならない。
そういった日々生活に感謝しつつ、これからも日常を過ごしていきたいと思う。

2011/09/07

「都市について考える」BMW Guggenheim Labが行う世界移動式ワークショップに参加してきて思うこと

BMW Guggenheim Lab(BMWグッゲンハイムラボ)が、6年という長期で全世界をまわり、都市の公共性やサステナビリティなどについてのワークショップを行う移動式ラボが8月からNYでオープンしているという話を聞いたのでぜひ参加してみたい、と思い参加してきました。


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BMW Guggenheim Labは、シンクタンク、公共フォーラム、コミュニティセンターの機能を組み合わせたもので、「現在都市が抱えている様々な問題や未来への課題についての意見交換の場所をつくる」というテーマのもと、全プログラムを無料で誰でも参加でき(open public free)、100以上ものワークショップなどを実験的に展開する新しく、そして大規模な試みです。

また、移動式のラボとなっており、6年間かけて3サイクル世界9都市をラボがまわり、その都市それぞれにおける課題をフォーカスすると同時に、都市の新たな挑戦の重要性を喚起し、それぞれの都市のこれからにおける持続可能な解決策を考えていく、というもの。

このラボのワークショップは、2012年にベルリン、2013年にムンバイに移動しワークショップを行い、その後一度NYにあるグッゲンハイム美術館にてラボの活動の結果とそれらに関する展示を行い、これをもって1サイクル終了とするとのことです。


サイトにあるカレンダーを見ると毎日ワークショップが行われており、どのワークショップに参加してもどれも趣向を凝らしたりと有意義な企画が目白押しだろうと思います。”ラボ”と銘打っているだけあって、カレンダーも、どこか大学か施設のシラバスやスケジュールカレンダーみたいになっているのも特徴的です。
イベントによってはゲストも登場したりと、多くの人がこの企画に賛同していることがわかります。

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また、スタートとなるNYのラボでは、「Confronting Comfort(安らぎへの取り組み)」をテーマにワークショップ、実験、討論会、上映会、屋外ツアーなど多数のプログラムを予定していて、ただの講義などだけでなく、参加者同士が意見を述べ合ったりグループを作って作業をするなどの企画が予定されています。

そして、ラボに併設されているカフェは、オーガニックなどをメインに取り扱ったレストランが企画参加するなどしており、ちょっとした休憩ついでに参加することも可能でした。

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このBMW Guggenheim Labの最初のサイクルで使用する移動式ラボ施設を建設したのは、日本人の塚本由晴と貝島桃代によるAtelier Bow-Wow(アトリエ・ワン)が設計担当し、軽量でコンパクトな二階建てのまさしく「移動式の道具箱」をイメージした施設になっています。

100以上ものイベントやプログラムに対応することができる構造になっており、プログラムに合わせて施設上部で二重の半透明なメッシュに覆われた道具をあげさげしたりして収納可能になるという施設全体のデザイン自体にも興味がわきました。また、骨組みにカーボンファイバーが使用されているなど、建築物としてもかなり評価されるものだと思います。ラボ施設の建築の様子の動画も必見です。




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ちょうど僕が行ったときも、講義形式のイベントが開催され、都市の温暖化などについて話していました。講義もそこそこに、質問や議論が飛び交うなど、参加している人も真剣に話を聞いたり意見を述べたりしていました。

こういう何気ない企画や、知らない人同士でも集まれば意見がばんばんでてくるのはさすがだなと思うし、みんな相手の意見をきき、そして自分の意見を述べ、いい意味でディスカッションを行う姿は、それぞれがきちんと参加して考えているのだと実感しました。

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この講義形式のイベントが終了したあと、奥にあるオブジェを使った「Urbanology」というロールプレイングゲームワークショップに参加することができました。

「Urbanology」は、それぞれが考える都市のあり方について、「住居」「持続可能性」「交通機関」など8つの項目のうち5つをピックアップし、選ばれた項目にそったシナリオに対応する質問に対して「Yes」「No」で答え、その結果を多数決で決定し、その決定に対して5つピックアップされた項目が順次変化していき、それぞれが実体験をもって都市のあり方を体験する、というもの。

僕らのときは、「Affordability」「Livability」「Sustainability」「Transportation」「Wealth」の5つをもとに質問が組まれました。他に「Health」「Lifestyle」「Innovation」があり、5つに選ばれた項目によって質問が変化するのだと思います。

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この床においてあるオブジェを、質問が終わるたびにその結果に応じてマス目にそって動かす。デジタル的なものとちょっとアナログなものとの融合も楽しいものだなと思います。

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真ん中にいるお兄さんが企画のファシリテーター。正面図上にある質問が書かれたディスプレイに対して、参加者に「Yes?No?」「なんでYesなの?」と議論の呼び水を生み出すようなファシリテーションを行っています。

決して、Yesが正しいとか、Noが正しいというものはなく、質問に対して自分がなぜYesなのか、なぜNoなのか、その理由と参加者同士でその意見を交換していくことが目的で、質問自体も、「街の持続と街の文化を共存させるためには」というような内容の質問や、「街に大企業を誘致するが街の残りの企業がダメになる可能性があることに対してYesかNoか」というような、実際の都市に起きうる問題やどちらが実際に現実として良いか悪いかのジャッジができないような絶妙な質問を用意していました。

もちろん、目的な参加者同士の議論や、自分だったら最終的にどっちを取るか、ということを問う質問なのだが、その自分のジャッジとまわりの人との多数決で最終的に結果がでる、というのも、民主主義を踏まえた上でのワークショップの構成の仕方だと思います。

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質問に対してみんなで議論しているところです。みんなYes、Noどちらも難しい問題に最初は頭を悩ませていましたが、ある程度時間たち、Yes,Noを尋ねられるときちんとYes,Noと応えていました。そして、それに対してファシリテーターが疑問を投げかけ、参加者同士が自分がなぜYesか、Noかを相手とディスカッションしていました。

最初は5人くらいでやっていたのに、気づいたらまわりが10人くらいの人だかりになっていて、飛び込みできたおじさんや若い兄ちゃんなども企画に参加するなど、Open Freeな感覚が自然になっているなと感じました。

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Yes,Noを最終的に答えると、集計されディスプレイに掲示されます。今回のメンバーの集計結果と同時に、これまでのグループの統計の履歴も掲示されており、どの質問も4:6や5;5など、拮抗した回答結果にほとんどがなっているなど、どの質問も難しく、だからこそ、議論のしがいがあるんだろうと思います。

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最終的にYes,Noになった結果をもとに各項目のグラフが変化していきます。その結果に応じて、足元にあるオブジェを前に後ろに動かして結果が随時変化していきます。もちろん、オブジェを動かすのも参加者自身ですので、自身の選択の結果で+になったりーになることをまさに身をもって体験していくワークショップでした。

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写真のように、各項目ばらつきがあり、全部がプラスになることがあるかどうかわかりませんが、やはり、こちらをとったら別の項目が下がり、別の項目を下げればこちらの項目が上がるなど、きちんと連動した結果になっていて、すべてが全部プラスになる、というようなものでなく、きちんと現実に沿った動きをしているのでしょう。

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最終的に8つの質問が終了し、僕らのグループが選択した都市の結果がこちらでした。
自分たちが選択した結果の都市の状態がこうですよ、ということをきちんと数字とビジュアルで示していました。最後に、各項目の数字をもとに実際の世界の都市と照らし合わせ、「Wealth」はメキシコシティ、「Transpotation」はヒューストンという具合に、実際に自分たちが選択した擬似都市を、現実世界の様子と合わせて表現していました。

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そして、最後にでるメッセージが「Your city may be the future of all city」(あなたたちが選択した都市は、すべての都市の将来の可能性がある)と締めくくり、ここで選択した都市の可能性は、将来自分たちがいる都市の可能性が高いことを示していました。文字通り、選択した結果が良いかどうかは、選択したあなたたちによって創られる、というメッセージでした。

このワークショップは、BMW Guggenheim labの中でもかなりメインなワークショップで、ほぼ毎日体験することができます。また、オンラインでも体験することが可能で、自分が選択した結果によって都市がどう変わるかを身を持って体験することができます。

その他のワークショップの様子などの写真や最新情報などは、各ソーシャルメディアで発信しているということで、ソーシャル連携まわりにも注目です。

BMW Guggenheim Lab (bmwgugglab) on Twitter
Facebookページ BMW Guggenheim Lab
Flickr: BMW Guggenheim Lab Photostream
BMWが主催ということで、モータリゼーションを謳っているかというとそうではない。
きちんと都市について僕らで考え、そして自分たちで決定し創り上げていくということがこの企画のメッセージから伝わってきます。

都市のあり方に正解はない。

もちろん、完璧な都市なんて存在しないわけで、自分たちのコミュニティを自分たちの手で考え、議論し、その意思決定をする、ということをもっと身近に感じることができたら、もっと政治は楽しくなるし、もっと都市を暮らすことをみんな真剣に考えると思う。

相手の意見を否定するのではなく、自分はどう思うか、どう決定するか、そして相手の意見とどう違うのか、そして相手とどう議論するか。いまの日本にかけている部分も見えてくると思います。

まずは一緒に考えてみること。
そして自分の意見をもつこと。
そして相手と自分の意見を交換すること。
そこからまずは始まると思います。

正解がない世界を生き、そして自分たちが決定したことに対して責任をもつということ。都市をつくるということ、コミュニティをつくるということ、国をつくるということ。その多くに共通すると思います。

少しでも多くの人が都市や自分たちのまわりのことについて考えたり議論できる場をつくっていければと思います。そして、少しでも世の中が良い方向に進む努力と、そのための活動をしていけたらいいなと思います。

今後、ラボはベルリン、ムンバイと移動するのですが、調べてもその後の移動先がまだ見つからないので、どうにかして日本に来れないものかと考えています。誘致とかできるんでしょうか?NYでは8月3日から10月16日まで開催されています。場所やイベント詳細などは、公式サイトを参照ください。

みなさんは、どんな都市にしていきたいと考えますか?
ぜひ、ご意見をもらえればと思います。

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2011/09/03

NYのCoworkingスペース「New Work City」にお邪魔してきた

NYに滞在ということで、日本にも来日してCoworkingの講演をしてくれたTony氏が運営している「New Work City」にお邪魔しに行きました。

中を色々と見ていいよ、ということで写真も撮らせていただきました。
(実際に撮影したのが、みなさんがある程度帰ったあとだったので、賑わいといより雰囲気ベースですが)

Coworking in NYC! - New Work City - http://nwc.co/

NWC

広いロビーに各テーブルがあり、片側にはモニターもたくさん設置してありました。

NWC

廊下にもソファーがあり、電話しながら作業する人や、コーヒー休憩する人たちがよく使っていました。

NWC

右奥に見えるのが、ミーティングなどができるスペースで、そちらでグループになって打ち合わせなどが行えるスペースになっています。

NWC

フロアの端から端まで、かなりの広さがあるのはびっくりしました。Coworkingとはいえ、ある程度のスペースや空間がないと狭く感じますし、ゆったりできない、という意味でも空間の広さは重要だと感じます。

ちなみに、NWCがはいっているビル自体はかなり古くからあるビルであり、中をリノベーションしてフロアを活用していました。

NWC

壁のレンガなど、もともとあったものを活用したり、壁にアーティストが手がけた画やアートが描かれてあったりと、空間デザインの面からも
学べるものがあると思います。

Tony氏とお話させていただいて、先日の東京、そして上海などアジアへの講演などや活動はとても有意義だった、ということでした。
(8月に行われたTony氏の講演などの詳細は【イベント告知】8/3 『New Yorkのコワーキング・スペース「New Work City」創業者と語る新しい働き方の可能性』 http://www.socialcompany.org/archives/2011/07/event/0803_coworking/html こちらを参照ください。)

Tonyさんとお話させていただいてトークにでてきた話題として、女性のエンジニアやソフト開発者を増やす活動をしているGirl Developer Itを運営しているSara氏をご紹介いただきました。

Girl Develop It http://girldevelopit.com/

女性のIT業界への進出や、それらをふまえた環境づくりを行っていくと同時に、学生へのアプローチを中心に活動を行い、エンジニア、ソフト開発者支援の環境づくり行っているそうです。
日本で言うところの理系女子などへの活動に近いのでしょうか。
まだまだ男性率が高いIT業界に対して、学生のうちからアプローチを行い、若手育成などがもっと盛んになれればと思います。

またNWCも次の活動として、NWCUという起業家や個人、ビジネス向けのワークショップや教育プログラム支援を行う活動を展開していくという話を聞かせていただきました。

NWCU | Upcoming Classes & Events http://nwc.co/edu/

個人や起業家に対して、ビジネス的なノウハウや教育的支援を行い、学生・若手起業家の育成などを中心にカリキュラムを組むプログラムを開始するそうです。
Girl Developer Itもそのプログラムの一つになっており、学生や個人などを中心に活動を展開し、もっと多くの起業家やビジネス的スキルをもった人を育成していこうという試みです。
NWCなどが仲介となり、個人と企業や団体とを結ぶ、まさにプラットフォームのような役割を担っていくかたちです。

Coworkingというスペース事業だけでなく、そこを介した新しい活動を展開していく。

ただ、同じ空間で作業をする、経済的コストを軽減するためにオフィスをシェアする、という目的ではなく、スペースがメディア(媒体)となり、様々なヒトやモノをつなぎ、新しい活動を展開していく。
ただ集まるのではなく、”集まって何をするか”が課題であり、そのためのまさにプラットフォームとしての考えをTony氏は考えているのだと思う。

今後の展開に期待すると同時に、Coworking=集まって作業する、という考えでなく、Coworking=何かが生まれる、何かを新しく試みるためのプラットフォーム、というマインドがもっと広がればと思います。

「コミュニティをつくりあげていくこと」LAにあるCoworkingSpace「NextSpace」に行ってきた http://eguchishintaro.blogspot.jp/2011/08/nextspace.html の記事でも書かせてもらったが、
スペース事業が目的ではなく、スペースを介してそこを中心として様々な企画やアイディアが生まれる環境づくりと、それらを運営しまとめていくための運営者の手腕が問われていくのだなと実感すると同時に、運営者がコミュニティキュレーターなどの呼び名にふさわしいような立場や活動のように、ある一定の思想や哲学、方向付けを行う、ということもやはり運営者に必要なものだと僕は思います。

集まりシェアすることが目的ではなく、それを手段として新しい価値を生み出す、そんな場所(Media=媒体)がもっと増えるようにしていきたいと感じました。

2011/08/30

NYにオープンしたチャリティ専門店「treasure and bond」と、そこから見える事業との連携について

アメリカの老舗高級百貨店「ノードストローム」が、ニューヨークにお店を出店したのだが、そのお店のコンセプトが「利益の全額を寄付」という珍しいコンセプトだったので、実際にお店に行ってみました。

「ノードストローム」は、アメリカのシアトルが本店にある西海岸系の百貨店であり、そもそもニューヨークには、「ノードストロームRack」というアウトレット商品を扱った店舗のみであり、今後東海岸への進出を見越しての展開なのだろう。

そんな今後を見据えたノードストロームに取ってみても大きな仕掛けの一つになるであろうこの店舗、「treasure&bond」という名前を冠し、”ノードストローム””という名前を一切使っていない。同系列とは違う、という路線表示の表れなのかもしれない。店舗も、SOHO地区と呼ばれる高級ブランドなどが立ち並ぶブティック通りの地域に位置し、若者や女性たちで毎日賑わっている地域への進出からも、その意識が伺えます。

treasure & bond公式サイト:http://shop.nordstrom.com/c/treasure-and-bond/

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百貨店の店舗ですが、大通り沿いに店を構える「treasure&bond」はいわゆるセレクトショップな構えをしています。8月19日にオープンしたばかりのお店なのですごくキレイでした。

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店舗には、高級品などはなく、雑貨や小物、小さな家具や洋服などを取り揃えていました。

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店の壁には、
利益の100%を子供たちのためにニューヨークの国立図書館に寄付します。と掲げてあります。寄付先はローテーションで変わるようで、まずは8月〜10月までは図書館への寄付となるそうです。
寄付先などの情報は、こちらwww.treasureandbond.com/site/non-profit-partners に公表されています。

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お店全体としてもデザイン性があり、パッと見は東京などのセレクトショップと何ら変わらないくらいの中身です。
もちろん、商品自体も、厳選されたデザインやテーマやコンセプトをもとにセレクトされており、値段も通常のものと何ら変わらないものでした。

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ひと通り見たあと、僕も、お気に入りがいくつか見つかり購入してみました。

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特に真ん中にある「Table Topics」は、130枚以上あるカードをもとに質問が書かれていて、それらをテーブルにいつ人たちで話しあうというtable conversastionグッズ。質問の内容も面白く、ワークショップなどにも使えそうですごく面白かったので即買!

隣の本二冊も、世界のクリエーターのオフィスや部屋を紹介してインタビューした海外の書籍だったり、クリエイターのスケッチ本だったりと、デザイン、クリエイティブ寄りな書籍が全体として多くて、見ててすごく楽しかった。
他にも買いたい品がたくさんあったのですが、そこはぐっとこらえて3つにしぼりました。

コンセプトもいいし、置いてある商品のセレクトもなかなかぐっとくるものが多く、NYに来たらぜひ立ち寄ってみたいお店だと思います。
「決してノーと言わない」が企業理念のノードストローム。今後の動きに注目です。
treasure & bond 公式サイト:http://shop.nordstrom.com/c/treasure-and-bond/
Treasure&Bond on Facebook page:https://www.facebook.com/treasureandbond
Treasure & Bond (Treasure_Bond) on Twitter:https://twitter.com/Treasure_Bond

日本でも可能か?
よく、日本でも「売上の〜%を寄付」とかチャリティセールとかあるけど、それってすごく一過性のもので、いっときのノリや、とりあえず買っとくか、的なノリが多くなりがちであり、恒常的な寄付や活動に結びついていないのでは、と思う。

そうではなく、コンセプトに共感し、きちんと良質な商品を展開し、満足した買い物と寄付とか連携する試みは面白いと思うし、同じ商品ならここで買っていいかな、と思う。他店舗との連携で店全体の売上をキープし続けることが可能ならば、こういったコンセプト重視のお店を展開すれば、中途半端に各店舗数%の寄付をするよりも効果的なのでは。また、それらの店舗を新規参入する地域への足がかりとして展開するところに、若者に対するメッセージや店舗としての印象付けなどを含むのだったら、利益以外のものを手に入れることは可能なのだろう。

販売してある商品の多くをwebサイトやFacebook、Twitterなどのソーシャルメディアに投稿し、商品の良さや活動の素晴らしさ、そして、おそらくチャリティの金額が集まればその金額などの好評や図書館などの情報、子供たちへの教育的アプローチなどへの展開など、事業と慈善活動とをうまく連動することが今後うまくできれば、まだまだ東海岸では知名度が低いノードストロームとしての事業展開も軌道に乗ると察する。

日本でもCSRという言葉が流布してから数年たったが、いまいち成功事例や大きな話題になっているものが少ない印象である。ともすると、寄付した、環境を意識した、だけで終わっている企業も少なくないが、これらのように事業と慈善活動とをうまく連動してこそ、だと感じた。チャリティだからといって決して手を抜かず、クオリティや事業のコンセプトなどをしっかりもち、市民や商品を買ってくれる人へのメッセージを強く打ち出すことが鍵なんだろうと思う。


2011/08/29

NYのハリケーンにおける対応から学ぶべきこと

アメリカ東海岸を襲った大型ハリケーン「アイリーン(IRENE)」が、8月27日から28日にかけて接近し、甚大な被害を及ぼしてきました。
ニューヨーク史上初の大規模な天災に対して、行政などの迅速な対応から学ぶべきものがあるとかなり感じました。

・NY市長の迅速な対応
ブルームバーグ市長公式サイト:Mike Bloomberg: MikeBloomberg.com – Home


NY市のブルームバーグ市長は、8月26日13時にNY市民に対して避難勧告を示す演説を行いました。


演説によると、27日お昼すぎには地下鉄、バスなどの公共機関すべてを停止。合わせて、避難指示と各エリアに応じ危険度合いに応じたマップを示すなどの指示をしました。

その後定期的に市長は演説を行い、住民に対して洪水などの被害の様子や避難のための指示、現在のハリケーンの様子などの公式発表を行っています。
市長のサイトには特設のページを用意し、随時情報を更新しています。
もちろん、各サイトにはFacebookやTwitterのシェアボタンもついており、情報の拡散などのソーシャル連携も全て行っており、演説の様子も公式Youtubeにすべてあがっている。
Video: Update on City Preparations for #Irene and Steps NYers Should Take Now to Prepare

・NYCのCDOによるソーシャルメディアの活用
合わせて、市長と連携してNYCにはCDO(Chief Digital Officer)のRachel Sterneが適宜Twitterで情報発信を行っている。
CDOとは、各デジタルのツールを使いNY市の行政改善のための活動や情報発受信のための役職であり、住民とのインタラクティブな関係によって行政をよりよくしていくための施策を講じる役職としてできた役職である。

就任したのは20代後半のRachel Sterneであり、市として今後の新しい時代に対する活動に適応していくために力をいれていくところに今回のハリケーンが起き、その重要性を改めて認識した。

就任時のニュース;New York’s Chief Digital Officer Seeks to Connect the City and the Public – NYTimes.com

CDOは、市長の避難指示の後に避難が必要な住民に対しての危険レベルを示した避難指示地図をTwitterで配布した。ゾーンA,B,Cに別れ、それぞれ危険度合いに応じており、資料はPDF化され誰でもダウンロード可能なものになっている。




CDO(Chief Digital Officer)による26日のTwitterの投稿。
Twitterのリンクには、避難地域住民を示した地図のPDFへのリンクが示されており、行政の公式の資料としてとてもわかりやすい地図を配布している。


避難指示マップのPDF(縮小)
www.nyc.gov/html/oem/downloads/pdf/hurricane_map_english.pdf
また、26日から27日中にかけて、NYCMeyersOffice(NY市の公式Twitterアカウント)やNYPD(NY警察のTwitterアカウント)などの連携し、避難のサポートや街の巡回、強風などによって倒れた大木などの除去などの作業にあたるなどの連携を行っている。

また、けが人や避難に遅れた人などを見つけた際には、911コール(日本で言う110が119に相当する)に電話してください、などの呼びかけを行っている。今も、随時情報を更新しており、行政や警察、消防などがすべて連携してハリケーンに対処している様子が伺える。

・メディアも即応的対応
各種大手メディアも、大規模なハリケーンに対して避難のためのサポートを行っている。

CNNはハリケーンのための情報をテレビで放送。ハリケーンのための特別番組として各地の様子などを中継している。NYTimesでは、NY市が発表した公式避難地図をもとにデータをマッシュアップ。26日夕方にアップしたサイトには、危険ゾーンの表示だけでなく、住所を入力すると自分がどのゾーンにいるかが検索できる機能を追加。

合わせて、地図上に避難センターも表示し、避難の誘導を促した。
New York City Hurricane Evacuation Zones – Interactive Map – NYTimes.com

また、リアルタイムでハリケーンの現在地と進路経路を示したトラッキングサイトも公開し、現在の状況を発信している。

Hurricane Irene Tracking Map – NYTimes.com

・4sqを使ったユーザーのマッシュアップ
また、NY市民も独自の方法でハリケーンの情報などを更新している。位置情報サービス「foursquare」には、”Hurricanepocalypse2011(Hurricane+apocalypseの造語?)”を作り、ハリケーンの様子などを写真やTipsで更新し、まさにマッシュアップによって住民同士が情報を共有しているものである。
ちなみにNYの最近のトレンドとして、リアルの建物や土地などへのチェックインではなく、こうした事象や物事などにチェックインするのが流行っているようであり、4sqの新しい活用法としても注目できるところです。
28日17時現在では、チェックインは3万を越え、500枚以上の写真やTipsが集まっている。
fouraquare-Hurricanepocalypse2011

もちろん、Twitterのハッシュタグ #NYC #IRENE などでも情報は更新されており、各自が情報を共有し合ってハリケーンの様子を発信している。

・ハリケーンの対応から見えてくるもの
今回のハリケーンでは、特に大きなものとしてNY市が初の26日時点で避難指示を行い、オバマ大統領自身も「これまでに最大規模の天災かもしれない」と表明し、避難の指示を大統領としても表明。
実際にNYに直撃するのは27日の夜中から28日の朝にかけてと予想されていたのだが、避難指示や公共機関の全面ストップ指示も26日昼時点、実際に公共機関が全停止するのは27日12時と、かなり時間的にも猶予をみた上で最大限の避難命令を行っている。

おそらく、どのくらいの被害が及ぶか予想もできないための過剰なくらいの前倒しでの対応策を講じていたと思われるが、実際にこれが想定内とし、避難指示もそこそこに時間的猶予もぎりぎりだったら、と考えると、実際に被害が起きたときにまったく意味がない。

行政は、市民の命を保護する立場として、最善の策と、常に最悪の状況を想定した上で行動しなければいけない。それらの思想に沿った考えがベースにあるからこそ、市民が行政を信頼することができる。

行政が少しでも手を抜けば、それらは政治家本人に対して向かう。なぜなら、政治家は「市民が選んだ」人であり、市民の代わりに政治を行う代理人である、という意識があるから。そういった意識のもとに、行政と市民とか良好な関係によって保たれているからこそ、被害を最小限に食い止めることができるのだと感じ、改めて行政としてのあり方を実感した。

また、合わせて避難のための資料の見やすさ、そしてそれらをPDF化してダウンロードしやすい状況にしていること、そして、それらすべてお情報を Webサイトやソーシャルメディアを通じて行うところ、また、市としてCDOを就任させているところなど、現在の東京や日本という国と比べても対応の違いに驚かされるし、学ばなければいけないところだと実感。

各自治体、市長、警察、消防、地下鉄などは、そのほとんどがFacebook、Twitter、Flickr、4sqなどをアカウントを所持し、それぞれがDigital運用のための責任者を就任させ、リアルタイムでの情報発信やアーカイブとしての活動を行っており、現場と運用指揮系統などとの連携がきちんととられている。

対応の迅速さと準備の周到さ、そしてそれらの内包する環境の整備などによってNY市内においては浸水などの被害はでたものの、そこまで大きな被害はでていないと思われます。もちろん、まだ余談も許されない状況ではあり、雨は弱まってはいるものの、強風に煽られたり、木が飛んでくるなどの危険もあるため注意が必要である。

もちろん、ニュージャージーやノースカリフォルニアなどNYに比べてもっと被害の大きなところがあり一概に喜ばれるものではないが、できうるだけの対策を行ったであろう、という点では評価できるものだと思われる。地下鉄やバスなどが通常復旧するのには時間がかかると思われ、被害の大きなところでは死亡者や停電などでており、まだまだ時間のかかる作業が多い。被害のあった地域は大変だと思うが、少しでも早い復旧を祈りたい。

また、NY市内のハリケーン直前の様子などを撮影しました。写真はCC(クリエイティブ・コモンズ)なので、自由に使用することが可能ですのでよかったら使ってください。
https://www.flickr.com/photos/eguchishintaro/sets/72157627532989920/



2011/08/21

その”SHARE”は目的か手段か。

Shake

ここ最近「シェア」系のサービスの登場とともに、シェアする文化もじょじょに浸透してきました。

まわりで「シェアハウス」をする友人も増えてきたし、本などのものを人にあげたり売買するなど、これからの時代で、新しいモノを買う時代から、シェアして、合理的にそしてお金をかけずに生活する人や環境が整いつつあると思います。

そんな今だからこそ、ちょっと立ち止まって考えてみたいことがあります。
「その”シェア”は目的なのか手段なのか」

”シェア”と一言に言っても、その内実に違いがあると思うのですが、ここでは大枠で2つに分けてみたいと思います。サービスにより、その”シェア”が生み出す結果が違うと思います。一括りにシェアとするよりももっと深く考えてみると、新しいサービスの参考になるかもしれません。

例えば、目的の場合。
シェアすることで自分が当初の目的とする結果が得られること。つまり、シェアする行為によって完遂することです。具体例だと、Zipcarなどのシェアカー系のサービス。

これは、自分自身で車を所持することでのコストよりも、シェアし、自身が使いたいときだけ利用することで、コストを抑えつつ、環境にも優しい仕組みを作る、ということです。もちろん、環境にやさしい、経済的負担の軽減という目的のための手段、とも取れなくはないですが、ここでは利用する人からすると、「便利「財布にやさしい」などのポイントが重視され、「シェアする行為」によって目的が完遂されるため、シェアしたらそこで終わり、という意味では、目的に付随するのかなと思います。

他にも、フリマ、中古本の売買、物々交換などもこれに当たると思います。シェアする行為によって、意味をなすこと。ここが大事だと思います。

つまり、シェアしたい、というユーザーが増えることにより、シェアするものの選択肢など、シェアしたことで得られる利便性や経済的メリットが増すことになると思います。

次に、手段の場合。
シェアすることによって生まれる効果やシェアすることがきっかけになり相乗効果が生まれるようなこと、だと思います。例えば最近だとシェアオフィスやCoworkingなどのシェアはそれにあたるのかなと思います。

シェアする行為自体をきっかけに、業務のやりとりや、それらを通じた意見交換やアイディア交換、フィードバックなど、そこから生まれる新しい何か、が主眼におかれていると思います。シェアし、それによって生まれるコミュニティや創造性を目的とするため、シェアする行為それ自体は手段でしかないと言えると思います。

シェアが手段となる場合、ただ単にシェアする行為それ自体で完遂する目的的行為と違い、シェアする行為によって生まれる”何か”を引き出すための働きかけが必要になります。ただ人が会ったり同じ場所に居るだけでは意味がありません。

シェアをきっかけに相手とコミュニケーションをとったり、ときに自分自身がもっている何かを相手と相互交換したりするためには、個々にコミュニケーション能力や持っている知識やスキルなどが必要になるため、個人にその結果が依存されます。

もちろん、そのために何を目的にするか、それのために自身がどう行動すればいいかを考える、という意味で、自律性が求めれれると思います。また、そのシェアを促すサービス側(プラットフォーム側)での、何かしらのオーガナイズやキュレーションが必要になってきます。

つまり、シェアすることで生まれるコミュニティに相応しくない人物や事柄に対して、ときに排他的になることでそのコミュニティとしての機能を担保する必要性もでてきます。なので、シェアする人数などが増えれば増えるほど意味があるのかと言うとそうとも言えません。

ある意味で自身が考える目的や結果のために必要な量と質との両立が求められるため、一概に数に比例するとは限らないということです。Coworkingするところに、10人程度だとみんなと会話することが可能になるけど、30人とかに増えてしまうとただの名刺を交換して終わり、ということもおこりえますからね。つまり、結果のための最適値と結果を得るにいたる個々の能力などに依存されるということです。

対してシェアが目的の場合、その行為をすることによって得られる効果やメリットが明確になっているなど、個人の能力や差異にあまり依存することなく意味をなすことが多いと思います。
それでいて、ユーザーやシェアできる環境が整うことで、よりその効果やメリットが増加していく可能性が高くなるため、シェアする人が増えることで意味をなすといえると思います。

シェアを目的的と捉えるか手段的と捉えるか。それによって得られるメリットや結果が違ってくると思います。そして、この目的と手段とを見誤ることで、齟齬が生まれてくるのだと思います。

例えばカウチサーフィン。https://www.couchsurfing.org/
このサービスは、バックパッカーなど旅をしている人を自身の家に無料で泊まらせる(バックパッカー側からだと泊まれる)ためのマッチングサービスなのですが、ここでバックパッカー側が、「タダで泊まれる」という目的のために利用してしまうと意味を成さなくなります。

このサービスの本来的な意味は、「旅をしているバックパッカー同士のコミュニケーションを図り、互いに相互補完し合う」ことをサービスの根底におき、また哲学としているサービスです。つまり、「カウチ(ソファー)で泊まる」ことをきっかけに、旅人がその宿主と出会うきっかけを作り、旅の話や自分自身の国の話、その人自身がもっている興味関心などを交換するなどのコミュニケーションし、それによって生まれる「カウチサーフィン」というコミュニティの醸成が真の目的となっています。

そのあたりは、いま旅をしている太田くんがコメントしてるので参照までに。

Togetter – 「旅好きの必須ウェブサービス、Couch Surfing(カウチサーフィン)とAirbnbの違いについて等。」http://togetter.com/li/173257

ここでは、カウチサーフィンは”共有”(シェア)をベースにおいているのと対照に、Airbnbは金銭関係による契約的関係という違いのもとに説明しています。
相手と共有し、コミュニケーションをとることを前提とすること、相手と友達になったり話をすることを目的とするならCS(カウチサーフィン)が選択肢としていいと彼は説明しています。

これらの踏まえると、自分自身がシェアすることをどう考えているか、ということを改めて考える必要があります。何をシェアするのか、シェアによって何を目的とするのか。これらを踏まえて”シェア”しなくてはいけません。

また、ちょっと蛇足ですが、シェアハウスをしている人も、この目的的と手段的とおそらく分かれる、もしくは緩やかにグラデーションしているときもあると思います。単純に金銭的に安いから、とか、家具買わなくていいから、という理由でシェアハウスを利用する人もいれば、シェアしている人同士でコミュニケーションしたり、何か特定の意識のもとに仲間を募り同じ空間を共有することが目的な人もいます。(Colishというサービスは、特定のテーマや意義をもとにメンバーを募る、という意味で手段的シェアハウスの形だと思います。)

そして、この手段的な意識の人と目的的な人がシェアハウスで同じ空間を共有したりしたら、けっこう大変なことになります。コミュニケーションとりたい人ととりたくない人が同居することほど、大変なことはないと思います。同じ「シェアハウス」と言っても、人によって「何を、どのように」意識しているか、事前の共有が必要だと思います。

同じ言葉の中にも、人によって捉え方が違うため、そのあたり意識してみるといいかもしれません。

あなたは、”SHARE”をどのように考えていますか。

2011/08/18

「コミュニティをつくりあげていくこと」LAにあるCoworkingSpace「NextSpace」に行ってきた

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アメリカに滞在して各地をまわっていた理由の一つとして、各地のワークスペースやベンチャーの人たちとお会いして、話をすることも理由の一つでした。そして、Los Angelesに行ったときに、紹介してもらったCoworkigSpaceの一つとして、NextSpaceという場所を紹介してもらいました。

http://nextspace.us/

Coworking + Innovation | The (r)evolution of Work
というテーマのもとに、
デザイナー、プログラマー、マーケティング、ベンチャーやスタートアップ、フリーランスの人たちなどが集う場所として、2009年にスタートし、現在では、
NextSpace Santa Cruz
NextSpace San Francisco
NextSpace Los Angeles
NextSpace San Jose
などの場所が存在する。

僕がお邪魔したのは、LAのNextSpaceで、オープンしたのが2011年の5月頃だったので、まさにできてまもなくというときに案内してもらいました。

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LAのNextSpaceを運営しているのは、(左)Jonathan Lane(右)Sara Vainer で、中を色々と紹介していただきました。

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スペースがあるビルの正面玄関の様子。しっかりと看板が据え置かれており、スペースはビルの二階だったのだが、きちんとわかりやすいようにしている。このあたり、ビルの中などで看板がわかりにくい、ということに対して注意を払っています。

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ここは、フロア中央の様子。机一つからスペースは利用でき、みんなそれぞれ思い思いに作業などをしていました。

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ここはワークスペース。机一つの利用ではなく、もっと広いスペースを利用することもでき、もっと奥に行くと、個人用のデスクやスペースが設けられていて、数人で使っているデザイナーやベンチャーの人たちがいた。

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ここはカンファレンスルーム。時間あたりで利用でき、スペース利用者は契約の形態によって一ヶ月に無料で利用できる時間が決まっており、それ以上利用する場合などはお金が発生する。

しかし、これくらいの大人数でルームを使うことはそこまで多くはなく、普通は個別の打ち合わせ程度なら中央のスペースや外のカフェを利用するだろう。つまり、カンファレンスルームを使うときは、きちんと時間を決めてしっかり、それでいて大人数のプロジェクトなどでの打ち合わせにぴったりだろう。なので、日本みたいにだらだらとミーティングすることもないのだろう。

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フロアの玄関に入ってすぐのところにある壁紙です。利用している人たちのプロフィールや好きなこと、趣味、自分の得意分野やみんなに提供できるもの(これは仕事だけとは限らない。ギター教えるよ、などといったものもあるので、基本なんでもいい)を掲示して、それぞれの参加者の人たちとの交流のきっかけとしている。
(まだ、スタートしてそんなに時間がたっていなかったのでカードや書き込みは少なかったが、徐々にみんなカードを作成しているので、いまはもっとあると思う)

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こちらもフロア入り口入ってすぐのところに掲げてあるイベントスケジュール。定期的にメンバー同士のイベントを開催しており、勉強会やお互いのスキルのシェアなどを行っている。

また、お固い勉強会などのイベントだけでなく、写真にあるように一番上のイベントは「ワインテイスティング」のイベントで、聞いてみると、毎週水曜はワインテイスティングな週だそうです。他にも、ちょっとした気軽にできるパーティなども定期的に開催されており、仕事の面だけでなく、コミュニティの機能としても働いている。

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NextSpaceの裏の通りでは、毎日夕方になるとファーマーズマーケットが開催されており、新鮮や野菜やフルーツジャムなどが売られ、気分転換としてちょっとうろうろしてもいいし、買ってきた食材を軽く調理して、みんなに振る舞うこともできる。もちろん、キッチンやフリーコーヒーは常備設置してあり、Jonathanに話を聞くと、コーヒーにはこだわりがあるらしいです。


LAのNextSpaceがオープンする際に作成された動画で、スペースの説明をしています。CEOのJeremy Neuner自身も動画に登場し説明をしていますが、やはり最後にコーヒーがでてきます。いい仕事にはおいしいコーヒーが大事ですよね。

動画にもでてきますが、案内をしてもらったJonathanの肩書きは
Community Curator +Co-founder
とあります。
つまり、「NextSpace@LA」というコミュニティが、ただそこに存在するだけがコミュニティではく、きちんと運営者Jonathanの意思のもとにマネージメントされており、それに基づいて場が創られている。
なので、サンフランシスコにいけばサンフランシスコのCommunity Curatorがいて、そこの運営者の色や個性によって同じNextSpaceという場所にもかかわらずまったく違う場所として存在しているのだ。

また、運営をサポートするSaraの肩書きも、Community Builderという肩書きであり、場所を創りだして、中にいる人たちへの相乗効果を促すという意味合いがこめらえている。

だから、Jonathanなりの場がここにはあり、彼自身がどうこの場所をやりとりしていきたいか、というものがそこにはあり、それにそって運営されているのだ。

これは、様々なところで主催や運営をされているスペースにとっても考えさせられるものだと思う。”このコミュニティをどうしていきたいのか”という意識を常に考え、それに沿って場所を運営し、キュレーションしていくものであり、そこには特定のメッセージや思想、意識などがあるはずだと思うし、なくてはならないものなのだ。

それなくして、Coworkingスペースというものも、ただ集まればいい、というような意識であってはならないと僕自身も考えるし、NextSpaceの話を聞いて、さらに痛感させられた。

ひと通り中を案内してもらったが、案内してくれたJonathanはとてもフランクな人で、終始会話をしていて楽しかったし、質問したことに対して事細かに教えてくれた。こういうHospitalityあふれる人によって、コミュニティがきちんと運営されていくのだろう。

NextzSpaceの利用自体は、一ヶ月単位、三ヶ月、半年などの契約で利用でき、24H/7Dayで利用できる。もちろん、ONE DAYでの利用でも可能だが、8;30−17;30のみの利用である。

また、イベントやパーティなどの多くが18時からだが、参加も強制ではなく、人によってはそれぞれ自分の家に帰って家族と団欒するなどの時間を積極的に設けており、自由でお互いの個性や生き方を尊重している。

家族や仲間を大事にしつつ、オンの時間に、充実した時間を過ごしつつ、コミュニティの仲間とときに団欒する。自由で楽しく、それでいてクリエイティブな場所なのだと思う。

もちろん、毎日ここに来る必要性もない。それではただの遠隔オフィスになるだけである。Coworkingにいる人達は仲間であり、場所であり、そこで語らうこと、議論や情報を共有することが大切なのだろう。お邪魔させていただいた時間だけだったが、楽しい時間を過ごせました。

Jonathan、Sara,ありがとう!


2011/08/16

これからの政治を語る材料としての玉音放送

8月15日は、日本においては終戦記念日です。

毎年この時期になると、戦争に関して深く考えてしまうものです。

なぜ終戦記念日であったかというと、1945年、当時の昭和天皇が戦争終結の放送、いわゆる玉音放送を全国民に対して行った日なのは、おそらく教科書などで知ってると思います。
そして、この放送によって、日本人は初めて天皇の肉声を聞くことになりました。

玉音放送。おそらくきちんと聴いたこと、読んだことがある人はそこまで多くないのかもしれない。しかし、この放送こと、これほど人々のことを思い、そして戦争を行った責任に対して、ここまで自分の声で、自分の意思で表明した人は多くないのかもしれない。

’戦争’という、もうあとにも引けない状況において、戦争の全責任を痛感し、あとにひけない物事にけじめをつけること。これこそ、ここから学ぶべきことだと思います。

もちろん、戦争を始めること自体が、天皇自身の手でないことであったとしても、最高責任者として責任をまっとうしようという意識をもっていることは素晴らしいと思います。

物事は、始めるは易し止めるは難し、という言葉を、その社会的立場と責任をもって全うするということを、今一度考えていくべきなのではないでしょうか。

この文章、この内容こと、いまの時代に政治に必要なものではないかと考え、全文を書いてみました。よければ読んでみてもらえればと思います。

先に現代語訳を書いております。後半に原文も載せてます。動画でも、当時の音声と映像を交えてありますのでそちらもどうぞ。



<現代語訳>

私(昭和天皇)は、今の戦争の状況と日本の現状を深く考えた結果、この戦争を収拾しようと思い、忠義をもった日本国民にお話します。
私は帝国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソビエトの四国に対し、共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させました。
もともと日本の平和及び、世界の国々の発展を共存していくことは我が歴代の天皇先祖達の残してきた教えであり、私も大切にしているところであります。
アメリカ、イギリスと戦争を行ったのも、日本の自立および東アジア全体の平和を願うためであり、他国の主権を犯し領土を侵略するようなことは、もとより私の意志ではありませんでした。
開戦から4年がたち、我が日本軍は勇敢に戦い、我が一億の国民も身を捧げ、各々最善を尽くしたのにもかかわらず戦局は決して好転せず、また世界情勢も我々に有利にはなりませんでした。
そして敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用してむやみに罪なき者を殺傷し、その被害の及んだところは本当に計り知れません。
そしてなおもこのまま戦争を継続するならば、最後には日本民族の滅亡を招くのみならず、全人類の文明を破壊することになりかねません。
もしこのようなことになったら、一億もの日本国民をあずかっている私としては、歴代先祖達にどうあやまればいいのでしょう。このことが、私が政府より共同宣言を応じるに至った理由です。
私は日本帝国と共に、終始東アジアの解放に協力してきた諸国に対し大変申し訳ないと感じずにはいられない。
戦地で死に、あるいは殉職したものやその遺族のことを思うと身が張り裂けそうな思いです。
また、戦争でケガをしたり、家、仕事を失った者の保証については私の心を深く痛め、心配しているところです。
思うに、今後日本の受けるであろう苦難は大変なものであり、日本国民の口惜しい気持ちは私にもよくわかります。
しかし、私は時代の流れに従い、堪え難きを堪えて、忍び難きを忍び、このようにして今後の永遠の平和をもたらしたいと思います。
私は、我が日本という国を守ることができ、私に忠実であったあなた達の真心を信頼し、常にあなた達と共にありました。
しかし、感情にかられて、みだりに事を荒立てたり国民同士が争い、互いに時局を乱して、それによって人の守るべき道を誤り、世界の信用を失うことは私が最も戒めるところです。
これらを我が国の子孫に伝えていき、日本は不滅であると信じ、今後の道のりは重く遠いけれど、全員の力で日本の将来の再建に傾け、道義を守り、固い信念を持ち、我が国のよいところをさらに発展させ、世界の流れに遅れようにしていきましょう。
わが日本国民よ、この私の言葉をよく心にとどめて行動してください。

<原文>
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク
且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

2011/08/01

「独裁者」チャップリンの演説から、もう一度世の中について考えてみる



1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開され、未だに伝説になっている映画「独裁者」のラストの名シーン。この動画を見るたびに、社会について考えさせられます。

いまの日本や世界の情勢に対して、はたして僕達は考えているのだろうか。

昔よりも今のほうが良い社会だと胸をはって言えるのだろうか。

1940年当時、まだまだサイレント映画とトーキー映画(映像に音声を重ねた、いまの映画の原型)とが入り乱れている時代。

今の時代に比べて、映像表現や映像技術が発達していなかった時代。それでも、この映像から伝わっているものは、当時の時代を反映し、社会情勢を批判するメディアとして、ここまで確立したものはないと思うと同時に、まさにいまの時代でさえも当てはまる普遍なのだと思う。

当時の権力者を批判することがどれだけ大きなことか。そしてそれを笑いと言葉で痛切に批判していることが、はたして今の時代の私たちが行えていることだろうか。はたして、ここで述べれている言葉を、私たちも、考え、表現できるのだろうか。今一度考えてみようと思う。

動画とは別に、セリフと翻訳をまとめた文章を以下に記載しておきます。

I’m sorry, but I don’t want to be an emperor. That’s not my business. I don’t want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone if possible – Jew, Gentile – black man – white.

申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。それは私のやりたいことではない。誰に対しても支配や征服などしたくない。ただ、できれば皆を助けたいのだ。ユダヤ人、キリスト教徒、黒人や白人の皆を。

We all want to help one another. Human beings are like that. We want to live by each other’s happiness – not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another. In this world there’s room for everyone and the good earth is rich and can provide for everyone.

私たちは皆、お互い助けたいと思っている。人間とはそういうものだ。他人の不幸ではなく、お互いの幸せで生きたい。私たちはお互い憎みあったり、軽蔑したりなんかしたくない。この世界には一人一人場所がある。大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれるものだ。

The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way. Greed has poisoned men’s souls – has barricaded the world with hate – has goose-stepped us into misery and bloodshed. We have developed speed, but we have shut ourselves in.

人は美しく自由に生きられるはずなのに、私たちは道を失ってしまった。貪欲が人の魂を毒し、憎しみをこめて世界をバリケードで封鎖してしまったのだ。貪欲が私たちを悲劇と殺戮へと軍隊歩調で追いやったのだ。私たち人間はスピードを開発してきたが、自分自身を閉じ込める結果となってしまった。

Machinery that gives abundance has left us in want. Our knowledge has made us cynical; our cleverness, hard and unkind. We think too much and feel too little. More than machinery we need humanity. More than cleverness, we need kindness and gentleness. Without these qualities, life will be violent and all will be lost.

富を生み出すはずの機械が、私たちをどんどん貧乏にしてきた。知識は私たちを皮肉屋にした。知恵は私たちを非情で冷酷にした。私たちは考えてばかりで、感じることが出来なくなってしまった。機械が増えれば増えるほど、私たちには人類愛がより必要なのだ。知識が増えれば増えるほど、優しさや思いやりが必要なのだ。そうでなければ、人生は暴力で満ち、すべてを失ってしまう。

The aeroplane and the radio have brought us closer together. The very nature of these inventions cries out for the goodness in man – cries for universal brotherhood – for the unity of us all. Even now my voice is reaching millions throughout the world – millions of despairing men, women, and little children – victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.

飛行機やラジオのおかげで、私たちはお互いの距離を縮めることができるようになった。こういった発明品の本質は、人間の良心や、国境を越えた兄弟愛や、私たちが団結することを強く訴えかけることにある。今でさえも、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに届いている。絶望している男女や子供たちのもとに。罪のない人たちを拷問し投獄する組織の犠牲者のもとに。

To those who can hear me, I say: ‘Do not despair.’ The misery that is now upon us is but the passing of greed – the bitterness of men who fear the way of human progress. The hate of men will pass, and dictators die, and the power they took from the people will return to the people. And so long as men die, liberty will never perish.

いま、私の声が届いている人達に言おう。「絶望してはいけない」と。いま私たちの上に覆いかぶさっている不幸というのは、貪欲がただ通過しているだけにすぎない。人間の進歩を恐れている人たちの敵意にすぎないのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶えるだろう。民衆から奪いとった権力は、また民衆のもとに戻るだろう。人間は永遠に生きることはできないのだから、自由は決して滅びることはないのだ。

Soldiers! Don’t give yourselves to brutes – men who despise you and enslave you – who regiment your lives – tell you what to do – what to think and what to feel! Who drill you – diet you – treat you like cattle, use you as cannon fodder.

兵士たちよ!獣に身をまかせてはいけない!奴らは、君たちを軽蔑し、奴隷にし、生活を管理する。君たちが何をすべきか口を出してくる。考え方や感情にまで指図する!思想を叩きこみ、決められた食事を与え、家畜のように君たちを扱い、砲弾の餌食として使うだけだ。

Don’t give yourselves to these unnatural men – machine men with machine minds and machine hearts! You are not machines! You are not cattle! You are men! You have the love of humanity in your hearts. You don’t hate, only the unloved hate – the unloved and the unnatural!

こんな自然に反する人間たちに身をあずけてはいけない!こんな機械の頭と機械の心を持った機械人間に!君たちは機械じゃない!君たちは家畜じゃない!君たちは人間なのだ!君たちは心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛を知らない者だけが憎むのだ。

Soldiers! Don’t fight for slavery! Fight for liberty! In the seventeenth chapter of St Luke, it is written the kingdom of God is within man not one man nor a group of men, but in all men! In you! You, the people, have the power – the power to create machines. The power to create happiness!

兵士よ!奴隷になるために闘うな!自由のために闘え!『ルカによる福音書』の17章に、「神の国はあなたがたの中にある」と書かれている。神の国は一人の人間や特定の人たちの中にあるのではない。一人一人、君たちのなかにあるのだ。君たち民衆は力を持っているのだ。機械を作り、幸せを生み出す力が!

You, the people, have the power to make this life free and beautiful – to make this life a wonderful adventure. Then in the name of democracy – let us use that power – let us all unite. Let us fight for a new world – a decent world that will give men a chance to work – that will give youth a future and old age a security.

君たちには力がある。人生を自由で美しくする力が!人生を素晴らしい冒険にする力が!だから、民主主義の名のもとに、この力を使おうではないか!みんなで団結しよう!新しい世界のために闘おう!皆に雇用の機会を与えよう。若者に未来を与え、老人に保障を与えよう。そんなまともな世界のために闘おう!

By the promise of these things, brutes have risen to power. But they lie! They do not fulfil that promise. They never will! Dictators free themselves but they enslave the people. Now let us fight to fulfil that promise!

獣たちもこういった公約をかかげて権力を手にしたのだ。だが、嘘だった。奴らは公約を守らなかった。これからも実現させることはない!独裁者たちは自分だけを自由にし、民衆を奴隷にしたのだ。さあ、この約束を実現させるために闘おうではないか!

Let us fight to free the world – to do away with national barriers – to do away with greed, with hate and intolerance. Let us fight for a world of reason – a world where science and progress will lead to all men’s happiness. Soldiers, in the name of democracy, let us unite!

闘おう、世界を解放するために。国境を取り除くために。貪欲と憎しみと不寛容をなくすために。闘おう、分別ある世界のために。科学と進歩がすべての人たちの幸福へと導くような世界のために。兵士たちよ!民主主義の名のもとに、団結しよう!

Hannah, can you hear me? Wherever you are, look up Hannah. The clouds are lifting! The sun is breaking through! We are coming out of the darkness into the light. We are coming into a new world – a kindlier world, where men will rise above their hate, their greed and their brutality. Look up, Hannah!

ハンナ、聴こえるかい?君がどこへいようと、ほら見上げてごらん、ハンナ。雲が消えて、太陽の光が差し込んできただろう?僕たちは暗闇から抜け出て、光のなかへいくんだ。新しい世界に。心やさしい世界に。憎しみも強欲も残忍もないそんな世界に。だから見上げてごらん、ハンナ。

The soul of man has been given wings and at last he is beginning to fly. He is flying into the rainbow – into the light of hope, into the future, the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us. Look up, Hannah… look up!

人間の魂には翼が与えられていたんだ。そしてついに人間は飛び始めたんだよ。虹に向かって。希望のに向かって。未来に向かって。輝かしい未来に向かって。君や僕、みんながそこで暮らすんだ。だから見上げてごらん、ハンナ、見上げてごらんよ。


参考
高校英語教科書レビュー : Lesson 20 チャップリンの演説~『チャップリンの独裁者』より~
http://blog.livedoor.jp/eigokyoukashoreview/archives/51770153.html

2011/07/28

今こそ「西部戦線異状なし」を読んでもらいたい

「西部戦線異状なし」という本がある。

おそらく、たいがいの社会科の教科書に載っている本だ。

簡単に内容を説明すると、
第一次世界大戦時のドイツにおいて、西部戦線に投入されたドイツ軍志願兵のパウル・ボイメルのお話。
戦争に参加したはいいけど、戦争に参加した仲間らとたわいもない話をしたり、メシが旨いとかまずいとか、誰が好きとか、仲間が怪我したときにお見舞いに行った話とか、まあそんな話。

しかし、内容は正直言うとそこまで面白いかというと面白くない。
どっちかと言うと普通な話。

でもこの本が社会科の教科書に載るってことは、なにか意味があるわけで、どこか面白いところがあるに違いない。
と思うけど、最後まで特に山場もなくページも終わりに近づく。

そして、とうとう主人公のパウル・ボイメルが1918年10月のある日に戦死してしまう。

「あー主人公死んじゃった。いいやつだったのに…」

と思い、最後のページに。
そして、ドイツ軍の司令部が上層部に一日の報告の一報の一言で本文は締めくくられる。

「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」

この一言でおそらくすべてが理解できると思う。
つまり、これまで普通に生活をして、恋をして失恋をして、仲間と馬鹿騒ぎやったり、友達の死を悲しんだり弔ったりする、いたって普通の人間が一人死んだところで、戦争時においては特にさして報告するほどの必要性がないということ。
もっと言うと、司令部らにとっては、戦争に勝てるかどうか、自分たちの利害がどれだけとれるかどうか、ただそれだけであって、人ひとりが死ぬことなんてまったく意味がない。
でも、その死んだ人は、死ぬ間際までそこに確かに生きていたし、普通の人として、そこに確かに生活して生きていたわけであって、そこには膨大な人と関わり、膨大な時間が費やされているにもかかわらず、そこに意味がないと、報告される。

こんなに戦争の虚しさを表現する言葉はないんじゃないだろうか。

本棚にあって、久しぶりに手にとって読んだが、やはり何度読んでも最後のこの一言を読むたびになんとも言えない思いをしてしまう。

たしかに、この書籍は戦争を痛切に批判している本である。
しかし、このセリフはなにも戦争だけに当てはまるものでもない。
いまの日本でもまさにそうなのかもしれない。
人が一人死ぬ、ということがどういうことか。
たしかに、数字上の上では、1人も2人も3人も違いはないかもしれない。
しかし、その数字の裏に潜んでいる、膨大で多くの時間と関わった人は、そこにたしかに存在しているのだから。

数字だけを見ていては何も感じない、と思う人も、その数字の裏にあるものをもっと感じてもらいたい。
もっと、人が”死ぬ”ということがどんなことなのか、考えてもらいたい。
もうすぐ、日本に広島や長崎に原発が落ちた日が近づいている。
今年ほど、多くの人に戦争や原発を考える時期はないだろう。

ちなみに、「西武線異状なし」というタイトルの映画も存在する。

内容は、書籍と同様だが、ディテールなどの違いがあるにしても、痛切に戦争を批判している。
僕個人でも、戦争批判の映画の中でもトップレベルにはいる映画だと思う。
こんな映画が、1930年に作られた(1979年にリメイク)んだから、それから80年以上経ってる今でも人って変わらないのか、と思ってしまう。

ぜひ、お時間のある人は、映画でも書籍でもいいので、読んでもらえたらなと思います。
読んだら、感想など教えていただければと思います。





2011/07/22

空港での待ち時間というニッチな時間にチャンスがある

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国内国外問わず、空港での待ち時間をどう過ごすかはいつも考えるポイント。

フライトまでの時間などはそれなりにまとまった時間で、することといえば本を読んだり携帯をいじくったりがほとんどだと思うけど、それらをもっと有効に活用するためのサービスなどがあればと思ったので、メモがわりに書いてみる。

1.緊急時の体験ブース
Jayne Hrdlicka and David Hall with our newest A320

参照:JAL 機体整備工場&客室教育・訓練センター見学会(6)|客室訓練部レビュー: Kite's Field http://kitefield.air-nifty.com/blog/2010/12/jal-cb7a.html

飛行機に乗ったときに必ずあることの一つに、緊急時の酸素マスクやライフジャケットの着用の仕方のデモやレクチャーがある。飛行機のトラブルなど、着陸のための安全確保や緊急脱出など、コトが起こったときに行わないと命に関わることの一つで、航空会社は説明を義務付けられている。しかし、いざレクチャーが始まっても、それをきちんと見たり真剣に聞いている人がどれだけいるか、いつも疑問視してしまう。

もちろん僕は毎回真剣に聞いていますよ。しかし、実際にコトが起こったときに、いざ自分が使えるかというと、やはり実物を触ったこともあまりないので、スムーズにできるかどうか不安もある。

だったら事前に、しかも実際に体験することで、いざというときの不安を解消できるのではと思う。キャビン・アテンダントの学校などで航空機内を模した機内を使った模擬を行っているが、それを乗客にも体験させるブースがあれば、より身近に感じることと思うし、子どもとかはアスレチックみたいな感覚で楽しんだりすることで、楽しみながら覚えることもできるのでは。

これは高速のSAなどで車同士の衝撃のデモやエアバックやシートベルトなどのデモでも使えそうで、普段なかなか意識しないことも、実際に自分がいまから飛行機なり車なりに乗るときにすることで、危機意識を醸成する機会としてベストだと考える。

2.iPadなどの電子書籍貸出ビジネス
iPad

空港の待ち時間、そしてフライト時間などのまとまった時間を有効にすごす手段して、雑誌などの読書は有効だと思う。売店などで雑誌が売ってあって数冊ほど購入して航空機内に乗り込むことはよくあるが、考えてみるとそれってかなりかさばるし、読んだあとの処理をいつも考えてしまう。

ということで、雑誌や書籍などをDLしてあるiPadや、Kindleが借りれたら便利だなと思うで、そういったレンタルビジネスはありだと思う。待ち時間だけの利用でもいいし、機内に持ち込むならフライト時間に応じた課金することで確実に利用の課金モデルはできそう。

到着した空港で返却すれば、今度はその空港から離陸するユーザーに対してすぐに利用できるので、使用サイクルとしてもかなり楽になる。またよく機内の雑誌なども時間があるから隅から隅までじっくり読んでしまう人も少なくないので、貸しだした電子書籍内での広告枠を売ることで広告ビジネスとしても見込みがあると思う。

ちなみに、一日の乗客数は羽田空港で14万人/日
航空:首都圏第3空港の必要性-羽田空港の利用状況-〔資料3-1〕 – 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000750.html
なので、その内の10%が利用したとしても、それなりに効果はあるのかなと。

また、札幌や関空や福岡などの空港と連携することで、より相乗効果も生まれそう。
(ちなみに、飛行機の離陸時などでの電子端末の利用は禁止されているので、そのあたりのモラル問題は別ですので、利用の際は気をつける必要はある)

3.待ち時間で、プチ英会話レッスン

すでにやってるところもあるみたいですが、待ち時間で簡単な語学レッスンができるといいですよね。海外旅行で一番不安なことの一つに言語問題があると思います。

旅行雑誌などで、旅行に必要な会話の定型文や質問文などが書いてありますが、いざ実際に使うというときにスムーズにでる人はすくないと思う。緊張したり、発音が悪かったりとあると思うので、行く前に不安を解消するという意味で、簡単なレッスンができるといい。

なにも教科書とかは用意する必要性はなくて、もってる雑誌などの定型文などをもとに実際に喋ってみるなどの会話を15分とか30分程度できるブースがあると、より海外旅行が楽しめることは間違いない。

他にも、日本ではなかなか見ないけど海外だとよくある電源チャージブースは、もっと日本でも普及していいと思う。充電している間、サイネージに現地のニュースなどの情報が表示されるとなおいい。ただ充電を待ってるだけでなく、用意してあるタッチパネルから現地のいまの情勢や天気、最新のニュースをもって海外に行くことで、時間を有効に使える。

他にも考えたら色々と出てきそうなので、なにか思いついた人がいたらコメントをもらえたらいいなと思います。


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