2014/05/06

年を取ることは、自分自身に対して自覚的になることだ



最近、前に比べて朝に走るようになった。体を鍛えたいという目的もあるが、それよりも、改めて自分の体をどう動かすのか、ということにより自覚的になってきた、というほうがいいかもしれない。

昔取った杵柄よろしく、自分の体は自分がよく知ってて、体力とかこれくらいは走れるだろう、と思っていたものが、なぜか思ったように動かせない。それよりも、自分の体が昔に比べて明らかに変わっているということに気づくようになった。それは、体力的なものもそうだし、体の関節とか動かし方とかそういったものすべてだ。

普段の生活をしていると、周りの変化には敏感になってくるけど、自分の体の変化には気づきにくい世の中になっているのではないだろうか。特に、年齢による変化は、他者とつながることが当たり前になってきている時代の中で、自分と他者との比較性を持ちづらくなっており、年他者と自分との変化の違いに鈍感になりつつある。

いわんや、年齢による変化なんて、普段の仕事や同じ世代やコミュニティの人たちとばかりやりとりしていて、ついつい自分は若いと思っていたり、昔と同じような感覚に陥りがちになっていないだろうか。

人間は、誰もが年をとり、その年とともに人それぞれでさまざまな経験をし、その経験の積み重ねによって成長を促すことができる。年齢を重ねているということは、自己の成長と変化の証拠であり、人生におけるステージの変化に気づくことでもある。

体力でいえば、20歳の時と30歳の時では、回復力でも筋肉の付き方、成長速度なども違う。特に、若い時には無自覚に体を動かしていてもある程度こなしてしまうくらいの有り余るものを持っていた。しかし、30歳、40歳になっていけばいくほど、そうはいってられない。だからこそ、自分の体のクセや状態をよく知り、どのように駆動させ、どのようにメンテナンスすればいいか、1つ1つの動作に意識的になることで、持ってるものを効率的に活かそうとすることができる。

人間誰しも、最後を迎える。それは逆らうことはできない。時間には誰もが逆らえないのだから。だからこそ、自分自身が年を取り、年齢を重ねているということにより自覚的になる必要がある。自分は今はまだ若い、と思っている人ほど、年を取っている自分の体に無自覚なっていることは往々にしてあり、年を取った後になって色々と振り返っても手遅れになってしまうことがある。人生という流れの中で、人間はみんな最後を迎えること、時間を経過することによって心身ともに変化していく、ということへの気づきをもたなければいけない。

若作りや若い感覚でいるということは、過去を引きずり、未来への意識を延長しているだけにすぎない。そうではなく、年をとるということを受け止めること。年を取るということをもっと好意的に受け止め、受け入れること。それを踏まえた上で、体の変化に敏感になり、生きていくことが必要かもしれない。

そのためには、他者と比較してばかりだったり、つながってばかりではなく、自分自身を見つめなおす時間が必要かもしれない。

最近、生活スタイルを改め、朝に走ったり座禅を組んだり、自分の体の一つ一つを確認しながら日々を過ごすようになってきたなかで、こんなことを考えるようになってきた。自分ももうすぐ30歳になる。昔の自分と今の自分は違うこと。だからこそ、未来の自分にとって、今の自分の選択によって、いかようにでも変わるという可能性も大きく秘めているんだということを考えていくことは大切だ。




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