先日、知人の突然の訃報を聞き、通夜へと参列した。
これまでに、親戚や家族をのぞいて自分と近しい人がなくなったのは、これで三回目であった。
自分と年齢などが近い人が亡くなるたびに、いたたまれなくなってしまう。
人の人生は短く儚く、そしてそれは突然やってくるものだ。
しかし、自分がなくなっても、まわりの世界はかわらず動いている。かならず進んでいる。
自分がいったい何を残せるのか。
自分がいた証はあるのだろうか。
まわりの人はどういう思いでいるだろうか。
自分が日々何気なく過ごしている毎日は、誰かが生きたかった毎日なのかもしれない。
井伏鱒二はこんな詩を残している。
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
(『厄除け詩集』より)
これは、もともとは詩人の于武陵が書いた「勧酒」という漢詩をもとにしている。
勧酒 (酒を勧む)
于武陵
勧君金屈巵 (君に勧む金屈巵(きんくつし))
満酌不須辞 (満酌辞するを須(もち)いず)
花發多風雨 (花發(ひら)けば風雨多し)
人生足別離 (人生別離足る)
君に勧める黄金の盃。
なみなみと注ぐが、遠慮はしなさんな。
花が咲けば、とかく風雨が多い。
人生には別離がつきものだ。(訳語)
さよならだけが、人生だ。
人は生まれた瞬間から、死を約束され、どんなにあがいても死という最後からは逃れられない。
長く生きることが目的ではないかもしれない。
ただやみくもに生きるのでは意味がない。
しかし、人の死は花のように短く嵐がふけば一瞬で散ってしまう。
だからこそ、いまこの目の前にあるお酒を楽しもう。すぐに別れはきてしまうけど、いまはここでつきあわせて楽しんでいるんだから、楽しもうじゃないか。
いま、この瞬間を生きることに無駄なんてない。つねに楽しまなきゃ意味がない。
人生の別れはときとして突然訪れます。
そのときに、悔いのないように生きていたい。
そして、周りの人にも、自分がいてよかったと思われる生き方をしないといけない。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
この言葉を改めて思い出したと同時に、まわりから受けた思いをきちんとカタチにしていかなくてはいけないと強く思った。
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