2011/08/21

その”SHARE”は目的か手段か。

Shake

ここ最近「シェア」系のサービスの登場とともに、シェアする文化もじょじょに浸透してきました。

まわりで「シェアハウス」をする友人も増えてきたし、本などのものを人にあげたり売買するなど、これからの時代で、新しいモノを買う時代から、シェアして、合理的にそしてお金をかけずに生活する人や環境が整いつつあると思います。

そんな今だからこそ、ちょっと立ち止まって考えてみたいことがあります。
「その”シェア”は目的なのか手段なのか」

”シェア”と一言に言っても、その内実に違いがあると思うのですが、ここでは大枠で2つに分けてみたいと思います。サービスにより、その”シェア”が生み出す結果が違うと思います。一括りにシェアとするよりももっと深く考えてみると、新しいサービスの参考になるかもしれません。

例えば、目的の場合。
シェアすることで自分が当初の目的とする結果が得られること。つまり、シェアする行為によって完遂することです。具体例だと、Zipcarなどのシェアカー系のサービス。

これは、自分自身で車を所持することでのコストよりも、シェアし、自身が使いたいときだけ利用することで、コストを抑えつつ、環境にも優しい仕組みを作る、ということです。もちろん、環境にやさしい、経済的負担の軽減という目的のための手段、とも取れなくはないですが、ここでは利用する人からすると、「便利「財布にやさしい」などのポイントが重視され、「シェアする行為」によって目的が完遂されるため、シェアしたらそこで終わり、という意味では、目的に付随するのかなと思います。

他にも、フリマ、中古本の売買、物々交換などもこれに当たると思います。シェアする行為によって、意味をなすこと。ここが大事だと思います。

つまり、シェアしたい、というユーザーが増えることにより、シェアするものの選択肢など、シェアしたことで得られる利便性や経済的メリットが増すことになると思います。

次に、手段の場合。
シェアすることによって生まれる効果やシェアすることがきっかけになり相乗効果が生まれるようなこと、だと思います。例えば最近だとシェアオフィスやCoworkingなどのシェアはそれにあたるのかなと思います。

シェアする行為自体をきっかけに、業務のやりとりや、それらを通じた意見交換やアイディア交換、フィードバックなど、そこから生まれる新しい何か、が主眼におかれていると思います。シェアし、それによって生まれるコミュニティや創造性を目的とするため、シェアする行為それ自体は手段でしかないと言えると思います。

シェアが手段となる場合、ただ単にシェアする行為それ自体で完遂する目的的行為と違い、シェアする行為によって生まれる”何か”を引き出すための働きかけが必要になります。ただ人が会ったり同じ場所に居るだけでは意味がありません。

シェアをきっかけに相手とコミュニケーションをとったり、ときに自分自身がもっている何かを相手と相互交換したりするためには、個々にコミュニケーション能力や持っている知識やスキルなどが必要になるため、個人にその結果が依存されます。

もちろん、そのために何を目的にするか、それのために自身がどう行動すればいいかを考える、という意味で、自律性が求めれれると思います。また、そのシェアを促すサービス側(プラットフォーム側)での、何かしらのオーガナイズやキュレーションが必要になってきます。

つまり、シェアすることで生まれるコミュニティに相応しくない人物や事柄に対して、ときに排他的になることでそのコミュニティとしての機能を担保する必要性もでてきます。なので、シェアする人数などが増えれば増えるほど意味があるのかと言うとそうとも言えません。

ある意味で自身が考える目的や結果のために必要な量と質との両立が求められるため、一概に数に比例するとは限らないということです。Coworkingするところに、10人程度だとみんなと会話することが可能になるけど、30人とかに増えてしまうとただの名刺を交換して終わり、ということもおこりえますからね。つまり、結果のための最適値と結果を得るにいたる個々の能力などに依存されるということです。

対してシェアが目的の場合、その行為をすることによって得られる効果やメリットが明確になっているなど、個人の能力や差異にあまり依存することなく意味をなすことが多いと思います。
それでいて、ユーザーやシェアできる環境が整うことで、よりその効果やメリットが増加していく可能性が高くなるため、シェアする人が増えることで意味をなすといえると思います。

シェアを目的的と捉えるか手段的と捉えるか。それによって得られるメリットや結果が違ってくると思います。そして、この目的と手段とを見誤ることで、齟齬が生まれてくるのだと思います。

例えばカウチサーフィン。https://www.couchsurfing.org/
このサービスは、バックパッカーなど旅をしている人を自身の家に無料で泊まらせる(バックパッカー側からだと泊まれる)ためのマッチングサービスなのですが、ここでバックパッカー側が、「タダで泊まれる」という目的のために利用してしまうと意味を成さなくなります。

このサービスの本来的な意味は、「旅をしているバックパッカー同士のコミュニケーションを図り、互いに相互補完し合う」ことをサービスの根底におき、また哲学としているサービスです。つまり、「カウチ(ソファー)で泊まる」ことをきっかけに、旅人がその宿主と出会うきっかけを作り、旅の話や自分自身の国の話、その人自身がもっている興味関心などを交換するなどのコミュニケーションし、それによって生まれる「カウチサーフィン」というコミュニティの醸成が真の目的となっています。

そのあたりは、いま旅をしている太田くんがコメントしてるので参照までに。

Togetter – 「旅好きの必須ウェブサービス、Couch Surfing(カウチサーフィン)とAirbnbの違いについて等。」http://togetter.com/li/173257

ここでは、カウチサーフィンは”共有”(シェア)をベースにおいているのと対照に、Airbnbは金銭関係による契約的関係という違いのもとに説明しています。
相手と共有し、コミュニケーションをとることを前提とすること、相手と友達になったり話をすることを目的とするならCS(カウチサーフィン)が選択肢としていいと彼は説明しています。

これらの踏まえると、自分自身がシェアすることをどう考えているか、ということを改めて考える必要があります。何をシェアするのか、シェアによって何を目的とするのか。これらを踏まえて”シェア”しなくてはいけません。

また、ちょっと蛇足ですが、シェアハウスをしている人も、この目的的と手段的とおそらく分かれる、もしくは緩やかにグラデーションしているときもあると思います。単純に金銭的に安いから、とか、家具買わなくていいから、という理由でシェアハウスを利用する人もいれば、シェアしている人同士でコミュニケーションしたり、何か特定の意識のもとに仲間を募り同じ空間を共有することが目的な人もいます。(Colishというサービスは、特定のテーマや意義をもとにメンバーを募る、という意味で手段的シェアハウスの形だと思います。)

そして、この手段的な意識の人と目的的な人がシェアハウスで同じ空間を共有したりしたら、けっこう大変なことになります。コミュニケーションとりたい人ととりたくない人が同居することほど、大変なことはないと思います。同じ「シェアハウス」と言っても、人によって「何を、どのように」意識しているか、事前の共有が必要だと思います。

同じ言葉の中にも、人によって捉え方が違うため、そのあたり意識してみるといいかもしれません。

あなたは、”SHARE”をどのように考えていますか。

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